短編集|夢見る植物園

花村レミ

モンステラの妖精

モンステラの花言葉は「嬉しい便り」「壮大な計画」「深い関係」。

学名はMonstera deliciosa。「Monstera」はラテン語の「monstrum(怪物、異常なもの)」を語源とし、大きく切れ込んだ葉の様子が奇異に見えたことから名付けられました。一方、「deliciosa」は「美味しい」という意味で、熟した果実が食用になることにちなんでいます。


新築祝いに頂いたモンステラの鉢。部屋の雰囲気に合わなくて部屋の片隅をウロウロと彷徨った挙句に日当たりの悪い軒下に置いたまま忘れてしまった。


先日、気に入って購入した小ぶりのオリーブの植え替えをしようと久しぶりに庭に出てみたら、葉の縁が丸まり、しおれたモンステラと目が合った。家に来た時は大きな葉も独特で、じっとこちらを見つめられているような気がして少し戸惑ったものだった。今はその見る影もなく、軒先で静かに頭を垂れている様を哀れに思った。とにかく日当たりだけでもいい場所に置いてみよう。鉢を抱えると思ったよりも軽く、大人しく玄関先の端に収まった。


翌朝、玄関先のオリーブに水やりをしようとドアを開けると人影があった。知らない女性が大きな観葉植物の鉢を抱えて玄関先のモンステラを見ていた。こちらに気がつくとギョッとした顔をしたが、しばらくして意を決したように近づいてきた。何やら好意的ではない気配に、私は一歩後ずさった。


「…あの!こちらのモンステラ!交換して下さい!」

頭を下げた衝撃でダークブラウンの髪がサラサラと揺れる。年は三十代ぐらいだろうか。このあたりに引っ越してきたばかりなので勿論、面識はない。


「えっと…どういうことですか?」

不安を隠せない私に、彼女は興奮した声で続けた。


「これあなたのモンステラですよね。どうしてこんなに枯れているんですか?土も乾燥しきってます。それなのにこんな玄関先に置くなんて。」

彼女の抱えた観葉植物がゆらゆらと揺れる。

会話が噛み合っていない気がした。要領がつかめない。状況によっては通報すべきかもしれない──でも、彼女の言葉には敵意はあっても、悪意は感じなかった。


「どうしてって…それは私がうまく…育てられなかったんです」

ぽつりと漏らしたその言葉は、真実ではない。好みと違う植物だったから?贈ってくれた人が好きではなかったから?新居に招いたのに散々けなして帰ったから?言われた時にニコニコとやりすごして、何も言い返せなかった。それなのに何も言えない植物の世話をせずに枯らしてしまった。


「とにかくこのストレリチア、私が丹精込めて育てたものです。これとモンステラを交換して下さい。大事に育てますから」

そう言った彼女の顔から初めて緊張が解け、モンステラに向けられた眼差しは、とても優しかった。


つまり彼女は植物が異常に好きな人──そう思った。私の家の枯れかけたモンステラを見かけて、家からこのシュッとした植物を持ってきたのだろう。確かにツヤツヤしたその葉は美しかった。


意図は分かるが、知らない人から物を受け取るわけにはいかない。

「交換…いえ、そんな大切なものは…いただけません」

「じゃあモンステラはどうするんですか?こんなに傷んでしまって…日当たりも足りない、栄養も足りてない、この鉢は小さすぎる…」

後半は私にではなく、ブツブツと鉢に向かって話しているようだった。


「あなたが育てていたら、立派に育ったかもしれませんね」

と初対面の人に言うべきではない言葉がでた。植物に柔らかい眼差しを注いでいる彼女を見てつい口を滑らせてしまった。


「はい。私なら枯らしません。このストレリチアも本当は渡したくありません。…でもあなたの家ならこちらの観葉植物が似合うと思いました。スラリと伸びた茎がぴったり」

彼女は笑っていた。家を見て、私を見て、「何が似合うか」を考える時間があったのが、なぜだか面白かった。優しい笑顔を見て、何か思い出せそうな…。前にどこかで会ったのかもしれない。ここ最近あった人はスーパーの店員さんと、駅前のパン屋さんと、宅急便の人と…。


こちらの緊張もほぐれて、不思議と悪い人ではないと確信した。交換すれば、モンステラは元気になるだろう。私はこのシュッとした植物を日差しのしっかりと入るリビングに置いて世話をするだろう。


「ありがとう。でも…私やってみるわ。モンステラ。ここからでも育ててみたい」

「かなり難しいですよ。ここからどんどん大きくなりますし、根もにょろにょろ出てきますし…」

抱えた植物の隙間からじろりと見る彼女。


「やってみます。居場所を見極めて、枯らさないように」

「わかりました。急にこんなこと言ってすみませんでした」

彼女は軽く頭を下げ、スタスタと歩いて角を曲がっていった。あっけない別れにそっと角までついて行くと彼女の姿はもう見えなかった。


(もしかして彼女はモンステラの妖精だった?)


それから近くの園芸店で相談し、鉢を植え替えて、栄養剤を入れ、日当たりをよくするとグングンと大きくなった。あんなにしおれて縮こまっていた葉は顔よりも大きくなり夏の日差しの下、元気を取り戻した。


何も言えない植物であっても愛情を注ぐと不思議なもので、世話をしていると息づかいを感じるようになった。水を上げながら自然と、玄関先のモンステラに話しかけていた。

「元気になってよかったわ、また枯らしたら人間になって怒りに来るもんね〜」

モンステラの妖精さんなら他の植物ともお話できそうね、と思いながら顔を上げると先日の彼女が立っていた。


一瞬、心臓が跳ねた。また何か怒られるのではないか、世話が行き届いていなかったかと息を呑んで見上げると彼女は柔らかい笑顔を向けた。


彼女は紙袋を差し出した。

「これ、実家から届いたとうもろこしです。おすそわけ。あ、モンステラ元気そうですね」

「はい、しっかりとお世話しました…」

また怒られるのではないかと敬語になってしまった。


「もう心配なさそうですね。うちのストレリチアも元気ですよ」

「あの…あなた…近所に住んでいるの?」


「そうですよ、角を曲がってすぐの白い家です。今度遊びに来ます?」

彼女は人間で、普通にご近所さんだった。


(終)

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