第四章15 闇の代表取締役ノア(彼の顔を見てしまったら)
街の端まで歩いてノアの屋敷まで戻って来た三人は、執務室に入り、再び同じ位置についた。
地下都市の興奮は冷めやらないが、ロズリーヌには此処へ来た目的がある。そろそろ本題に入らなければならない。
「ところで、聞きたいことがあるのだが」
ロズリーヌが話を切り出すと、ノアは「答えられることなら」と言った。一旦聞いてはくれるらしいと解釈したロズリーヌは、包み隠さず話すことにする。
「私たちが此処へ迷い込んだのは、とある事件……宝石ドロボウ事件の犯人を追ってきたからだ。犯人はすっかり見失ってしまったのだが、何か知らないか?」
ノアは沈黙で答えた。白い仮面がこちらを見たまま微動だにしない。表情が見えないので、彼が何を思っているかは定かではなかった。
ロズリーヌは彼が口を開くのを辛抱強く待った。
数秒後、ノアは静かに口を開いた。
「……宝石ドロボウを捕まえたらどうするつもりだ?」
望んだ答えではなく、問いだったけれど。ロズリーヌは心の赴くままに答えた。
「罪を償ってもらいたいと思っている」
「貴族の所有物の窃盗は重罪だ。捕まれば死刑。それでもか?」
間髪入れずに返ってきた声色は一段低かった。
こんなところへ逃げて来るのだから、宝石ドロボウ事件の犯人の身分は平民だろうというのは予想がついていた。ノアの回答で確信を持つことになったが、同時に、ロズリーヌはもう一つ確信してしまった。
地下都市の住民たちを尊重しているノアが、死刑になることを分かっていて犯人を売ることはないだろう、と。
しかし、諦められるものではない。もう少しで犯人に辿り着けるのだ。
ロズリーヌは慎重に言葉を選んで口にした。
「なんであれ、罪を償ってもらいたいというのは変わらない。けれど……死刑は違うと思う。盗みは悪いことだが、相手に怪我をさせておらず、脅してもおらず、奪っただけで殺されるようなものではない。しかもそれがもし逆の、貴族から平民にしたことなら、裁判にかけられることすらないのだ。そもそも身分によって罰が違う刑罰なんて、間違っている。貴方はそう思ったことはないか?」
これはこの国の司法に対する意見であり、皇帝への謀反と捉えられてもおかしくない内容だった。ロズリーヌはそれを分かっていながら、堂々とした態度を崩さなかった。
ノアはまた黙り。しばらくしてから、ゆっくり立ち上がった。
「こちらへ。見せたいものがある」
ロズリーヌは疑問符を頭に浮かべはしたものの、大人しくノアの後ろについて執務室を出た。もちろんマルティーニもついてくる。
ノアが案内してくれたのは二階の最奥の部屋だった。扉には三つも鍵穴のある錠がかかっており、ノアはローブの下から取り出した鍵束の鍵を選び出して、錠を外した。
一度ロズリーヌを振り返り、扉を押し開けて中に入ると、ノアは室内の灯りをつけた。
「な、に……!?」
途端、ロズリーヌは驚愕した。思わず部屋の中に飛び込む。
宝石のついた金や銀のアクセサリーがベルベットを敷いた箱に入れられ、長机に並べられている。深海を覗いているかのように輝く大粒のサファイアをあしらったネックレスは、サラ公爵夫人の『深海の雫』だ。
「これは一体!?」
説明を求めて振り返ると、ノアはため息交じりに言った。
「宝石ドロボウが俺に売りつけに来るんだ」
「盗品を買いつけているのか!?」
「こんな曰くつきの物、いるものか。買うふりだ。表に出したらすぐに足がつくから裏の奴らも取引ルートに自信がないとこんなものは買わない。そもそも裏にはこんな高額な物を買える奴はそうそういない。宝石ドロボウはそれを分かっていて俺に持って来るんだ」
「金は払っているのか?」
「もちろん。必要のない物に高い金を払わされ、困っているところだ」
うんざりした様子でノアは言うが。
(断れば良いのでは?)
ロズリーヌはそう思う。彼なりに理由があって金を払って買ったふりをしているのだろうが、犯人が分からない以上、ロズリーヌはどうして彼がそうまでしているのか全く検討もつかなかった。
(不思議な人だ)
ロズリーヌの中の彼の評価が、得体の知れない犯罪組織の親分から、地下都市の顔役、そして面倒見の良い指導者に変わりつつあった。彼の人となりが垣間見えると、妙に親近感が湧くこともあれば、分かり合えないのかもしれないという気持ちにもさせられる。ひとえに言い表せられない複雑な気持ちになるのだ。
「……宝石ドロボウが売りつけに来るということは、貴方は宝石ドロボウを知っているのだな」
話を元に戻せば、ノアは頷いた。
「しかし貴方に教えようとは思わない。貴方が先ほど俺に問いかけたことについては、同意するが。俺はすでに警告しているはずだ。この件からは手を引けと」
「理由は何だ? どうして私に手を引かせたい?」
「誰の得にもならないからだ」
ほら、今も。ロズリーヌは複雑な気持ちになった。ロズリーヌは彼の持つ価値観が気になり始めていた。様々な事柄についてたくさん意見を交わしてみたい。そんな機会を作ってみたいと思う。
とはいえ、今の議題は宝石ドロボウ一つ。これが解決しないことには、ロズリーヌも進めない。そして引き下がれない。
「貴方にも事情があることは分かっている。だが、私にも宝石ドロボウを突き止める事情があるのだ」
強く言い放つと、ノアは思案するように顎に手を当てた。
「それでは取引でもしようか?」
「取引?」
「宝石ドロボウの情報の代わりになる情報をあげよう。それで貴方はこの件から完全に手を引く。決まりだ」
パチンと指を鳴らされ、ロズリーヌは目を瞬いた。
「ちょっと待ってくれ。私が欲しいのは宝石ドロボウの情報だけで、その他に欲しい情報なんて……」
「欲しいはずだ。なぜなら、この俺の顔を、これから特別に明かしてあげようと言うのだから」
「……っ!」
不覚にも知りたいと思ってしまった表情を読まれたのか。
「交渉成立だ」
ノアは己の仮面に手をかけようとする。こんな一方的な交渉なんて無効だが、真面目なロズリーヌは素直に焦った。
(彼の顔を見てしまったら、宝石ドロボウの情報は得られないどころか、事件から手を引かなくてはならない!)
「ちょ、ちょっと待て!」
ノアが仮面の紐を解く。
「わぁぁぁぁ!」
ロズリーヌは咄嗟に手で両眼を覆い隠して彼の顔を見ないよう足掻いた。
一方。
「えぇ~!! うそぉ!?」
彼の顔をしっかり目撃したマルティーニが驚愕の叫びを上げる。マルティーニの興奮に駆り立てられ、彼の素顔を見たいという衝動にみまわれる。けれどロズリーヌは聖女ロズアトリスとして身に付けた欲望に打ち勝つ力を総動員して、見事耐え抜くことに成功した――はずだった。
「私を見てくれ、ローズ」
――ちゅっ。
「ひえっ」
目を覆う指先に感じた柔らかい感触に驚く。
そして何より、自分を愛称で呼ぶ聞き覚えのある甘い声に、確かめたいという気持ちと胸のドキドキが最高潮に達した。
(まさか、そんな……)
恐る恐る指の隙間から彼を見る。
――端正な顔立ちに、悪戯っぽく微笑む唇。艶のあるプラチナブロンドの長髪が肩口から流れ、はちみつ色の瞳がねだるようにこちらを見つめていた。
「ティモシー殿下!?」
ロズリーヌが名を呼ぶと、ノア――ティモシーは「いかにも」と、悪戯が成功した子どものように笑った。
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