第四章14 闇の代表取締役ノア(私の屋敷を襲ったのは)

 街の建物はほとんど全て石と金属でできていた。高さは地上の一階建て、もしくは二階建てくらい。建物と建物の間には鎖が張られ、無数のモザイクランプが吊り下げられている。それがほぼ一直線に並んで密接に建っており、路地のような隙間はない。時折建物と建物の間が開いていると思うと、金属製の水道管が通っていた。


「よぉノア。そっちの上等な服着たねぇちゃんたちは、さっきの大立ち回りのねぇちゃんたちだな?」


 露店で肉を串焼きにしている屈強な男が声をかけてきた。ロズリーヌとマルティーニに向けられているのは品定めの目つき。


 一方ノアは、ロズリーヌが見たことのない四角い銅貨を男に渡しながら答えるのだった。


「警戒するのは構わないが、演技でも協力的な姿勢を見せておいた方が無難だぞ。一瞬で何十人も伸した【怪力】を持つ彼女がいるからな」


 マルティーニがえへんと胸を張る。


「それから、俺も黙っていない」


 一言付け加えれば、男は口をへの字に曲げながら、串焼きを二本ノアに渡した。ノアは串焼きの一本をロズリーヌに、もう一本をマルティーニに渡してくれる。


「食べてごらん」


 先ほどからずっと、肉の脂が焼ける匂いと、スパイシーな香りに食欲を刺激されていた。ロズリーヌは警戒心なんてそっちのけで、肉汁が浮いたつやつやの串焼き肉を頬張った。絶妙な塩気に引き立てられた脂の甘さが口中に広がり、ロズリーヌは感激した。


「これ、すごく美味しい! 彼はかなり凄腕のシェフだな。うちのピエールと同じくらい」


「ふふ。俺から串焼き専門のシェフに任命しておこう。まだお腹に空きは? 甘いものもどうだ?」


「食べたい」


「こちらへ」


 反対側の露店へ案内される。今度の露天商は女性で、ナッツの蜂蜜漬けの入った瓶と、大きなチーズが並べられた店だった。


 ノアが商品を頼む。すると女性はチーズを薄くスライスし、その上にナッツのはちみつ漬けを乗せたものを二つ用意してくれた。ロズリーヌとマルティーニは直接女性からそれを受け取った。


 かじると口の中でナッツの香ばしさと蜂蜜の甘さがチーズの塩気と調和した。シンプルながらこれも絶品。露天のスイーツとしておくにはもったいないくらいだ。


「こうするとまた味が変わって良いよ」


 ノアが黒胡椒を振りかけてくれる。


 どんな味になるのだろうと期待してかじり、またもや感動した。ピリリとした刺激が病みつきになる。


「美味しすぎる。胡椒か……先ほどのお肉にも香辛料が使われていたようだけれど、庶民にはなかなか手が出せない高級なものだろう? ここでは皆が手に入れられるくらい安価なものなのか?」


「表の市場を破壊しない程度に、特殊な方法で流通させているんだ」


「特殊な方法……特別な……四角い銅貨。特別な通貨か?」


 ノアは頷き、感嘆の息を漏らした。


「気づくとは、さすがだな。ここではもちろん聖レピュセーズ帝国の貨幣も使われているが、特別な貨幣も使われていて、表と著しく価値の違う物にはこの特別な貨幣を使うことになっている」


 目の前に銅貨を出して見せてくれる。ロズリーヌが手を出せば、そこへ一枚置いてくれた。


 狐の紋章が焼き印された銅貨だ。裏を向けると100という数字が記されていた。


「数字は帝国の貨幣との釣り合いを示している。100が金貨、10が銀貨、1が銅貨だ」


 ということはロズリーヌが持っている狐銅貨は帝国の金貨に相当するということだ。


「すごい。一つの街どころか、国ではないか――」


ガシャン!


 突然、ロズリーヌの言葉を、何かが壊れる大きな音が遮った。


 瞬時にノアの視線がそちらへ向き、一拍遅れてロズリーヌも目を向ける。


 二人の男性が殴り合いをしていた。片方が吹っ飛ばされて周りの物を壊せば、もう片方も吹っ飛ばされて別の物が壊れる。ついには地面に伏して代わる代わる馬乗りになり、殴打が続くようになった。


「……此処を動かないように。行ってくる」


 見かねたノアがロズリーヌとマルティーニを残して、殴り合う男たちへ向かっていった。心配になったロズリーヌは、マルティーニと共にひっそりとノアの後について男たちに近付いた。


「おいお前たち! やめろ! それ以上続けるなら地下警察を呼ぶぞ!」


 ノアが叫んでも喧嘩は収まらない。男たちの耳には周りの音が入っていないようで、ノアは仕方がないといった様子で声を張り上げた。


「リュタン!」


「はっ。お呼びですかノア様」


 前髪の長いもっさりとした黒髪に、黒装束の青年がどこからか降ってきて、ノアの隣に控えた。ロズリーヌとマルティーニが目を大きくして驚いているうちに、ノアは端的な指示を出す。


「仕事だ。連行して互いの話を聞いてやれ」


「かしこまりました。――集まれ!」


 リュタンと呼ばれた男が大きな声で呼ぶと、これまたどこからか現れた同じ黒装束を着た人物たちが集まってきて男たちを引き剥がし、何処かへずるずると引っ張っていったのだった。


「……あの人たち、もしかしたらお屋敷に忍び込んで来た『お客様たち』かもしれません」


 マルティーニに耳打ちされ、ロズリーヌは頷いた。


 屋敷を襲撃した、華麗な身のこなしに、月明かりだけで行動する『お客様たち』。狭く薄暗い地下暮らしならその身のこなしも頷ける。彼らが突然街中で消えたのは、知らない地下通路を使って地下へ潜伏したからだったのだろう。


 二人がそんな結論に達しているとは知らずに、ノアはリュタンを詰めていた。


「怠慢だぞリュタン。地下警察はお前に全権を任せてあるだろう。俺が介入する前に片付けないか」


「貴方の護衛をしつつ小間使いもして地下都市の治安維持まで手が回るとでも?」


 主らしきノアに向かって、堂々と言い返すリュタン。しかしノアも負けてはいない。


「お前、地下警察全員を俺の護衛に回しているだろう? 俺が知らないとでも思ったか? 職権乱用するな。降ろすぞ」


「分かりました。今後は分からないように職権乱用します」


 ノアは「お前」と低い声を出したが、リュタンはあっけらかんとした顔で(無表情で)「持ち場に戻ります」とそれらしいことを言って姿を消した。


 一人になったノアに、ロズリーヌは後ろから話しかける。


「……地下警察? 私の屋敷を襲った者たちが?」


 眉を顰めると、ノアはため息を吐いた。


「その節は申し訳なかった。貴方たちを殺す気はなかったんだが、こちらも断れなくてね。リュタンには体面だけ整えろと言ったんだが、どこまでするつもりだったのか」


(ということは私の屋敷を襲ったのは別の人物の依頼ということか)


 ロズリーヌはそう推測しながらノアの話の続きに耳を傾ける。


「彼らの三分の二はもともと裏家業をしていた後ろ暗い奴らで、なかなか彼らを完璧に御するのは難しいようでね」


「危険ではないのか?」


「どうだろう。先ほどのような喧嘩は絶えないうえに、表の犯罪の温床にもなっているだろうけれど。街として成り立つくらいには、ここではみんな弁えているよ」


 言っている傍からまた喧嘩が起こったようで、怒号が響いてきた。今度は女性同士の喧嘩らしく、片方はフライパンを、片方はめん棒を持っている。これにはすかさず地下警察が向かったけれど、女が振りかぶったフライパンが手から抜けて、こちらへ飛んできた。


「!」


 構えたロズリーヌの前にマルティーニより先にノアが滑り出て、剣を収めた鞘でフライパンを叩き落とした。


「――まぁ、自衛の術は持っていないとここではやっていけないかもしれないな。貴方はどうだろうか?」


 挑戦的な言葉を投げかけられ、ロズリーヌは腕を組んでノアを見つめ返した。そうしているとすぐ後ろでまた喧嘩が起こりそうな気配がした。


 ロズリーヌは咄嗟にノアの腰から剣を抜き、後ろで誰かに罵声を浴びせていた男の首元に切っ先を突き付けた。


 思わず醜い言葉を呑み込む男。喧嘩は始まる前に収拾がついた。


 ロズリーヌはノアを振り返って口角を上げる。


「多少の心得はある」


「そのようだな」


 ノアの声は満足そうだった。

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