第三章08 第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ(殿下を待たせるわけにはいかない!)
遅れた分を取り返すため小走りで移動してきたロズアトリスは、私室に滑り込んだ。
「少し押しています! 急ぎましょうローズ様!」
私室には、あらかじめ待つように言ってあったマルティーニがいて、ロズリーヌへの変装の準備を整えてくれていた。
ロズアトリスが祭服を脱ぐと、マルティーニは流れるような動作でドレスを着せてくれた。それから黒い長髪のかつらを被って髪を梳いている間に、化粧を変えてくれる。ロズアトリスの透明感のある淡い色合いの化粧から、印象的で鮮やかな色合いの化粧のロズリーヌへ。ものの数分で変貌を遂げたロズリーヌは頷いて、頭から聖職者の白いローブを被った。
姿見に映るのは、まるで聖職者。白を基調とした控えめのボリュームのドレスにしたのは、聖職者に紛れるためである。
「ありがとう。マルティーニも見つからないように」
ロズリーヌが告げるとマルティーニは騎士のように静かに、それでも力強く敬礼をした。
「ご武運を!」
ロズリーヌは親指を立てて応え、部屋を出た。
不自然にならない程度に、すれ違う聖職者たちに顔を見られないよう注意して廊下を進み、宮殿の最奥までやって来た。
宮殿の最奥には三メートルを超える女神と天使の石像が置かれていて、天井のステンドグラスから色とりどりの光が女神と天使の祝福のように注がれている。
ロズリーヌはそんな女神と天使の像の裏に回ると、何の変哲もない壁を押した。
壁の一部がめり込む。できた隙間に指を引っかけて横へ動かすと、引き戸のように壁が滑った。
現われたのは同じ女神と天使の像の背面。ロズリーヌは誰も見ていないことを確認すると、素早く移動して壁の隠し扉を元に戻し、ローブを脱いでスカートの下から腰に巻き付けた。
隠し通路を通って出てきたのはルドルダ大聖堂の北側の翼廊である。この隠し通路は限られた聖女や聖人しか知らず、万が一の際の避難経路にもなっているので、余程でない限り使われない。
(今は緊急事態。そういうことだ)
心の中で言い訳をしながら翼廊から身廊へ移ろうとすると――。
「あれ? ロズリーヌさん! ロズリーヌさんが聖堂にいらっしゃるなんて珍しい! 信仰心の乏しい方だと思っていたのに!」
癖の強いベビーピンクの長髪の聖女、シャルルリエルが目の前に躍り出てきた。
思わぬ邪魔が入り、ロズリーヌは狼狽えた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに気を取り直したロズリーヌは、いつも通り優雅に微笑んでみせた。
「普段は別の聖堂で祈りを捧げているのですよ。貴方が見かけていないだけで信仰心が乏しいと言われるのは心外です。ひょっとして、ルドルダ大聖堂に来ていない信者の方々にもそのようなことをお思いなのですか?」
皮肉を皮肉で返した途端、シャルルリエルは頭を下げた。
「そんなつもりで言ったんじゃ……。ただ、会えたことが嬉しくて声をかけただけなのに……」
大きな瞳を潤ませて訴えかける姿は実にいじらしく、シャルルリエルを目当てに集まっていた信者たちがひそひそと噂を広げた。大聖女候補であり、うわべを整えるのが巧みな聖女シャルルリエルがひとたび嘆けば、世論はそちらへ動く。
(巧く乗り越えねば彼らのいらぬ反感を買ってしまうことになるな)
冷静に今後のことを鑑み、蔑ろにしてはならないと悟ったロズリーヌは、シャルルリエルの肩に優しく手を添える。
「私も貴方に会えて嬉しいですよ。まさか貴方と同じことを思っているなんて、運命的で感激しました。私のような者にもこうしてお声をかけていただき、光栄です。さすがは大聖女候補に選ばれる聖女様ですね」
隙の無い賞賛で埋め尽くした言葉は、シャルルリエルを満足させるには十分だった。「そんなことはありません」と表面だけ謙遜するも、満更ではなさそうな表情をしている。
(花は持たせてやった。これで充分だろう。先を急がなければ)
ロズリーヌはそれを円満解決ととり、早々に踵を返そうとした。
しかし。
ガシッ
「!」
シャルルリエルに手を掴まれてしまった。
「これで仲直り、ですね」
にこりと笑いかけ、両手で強引にロズリーヌの手を包み込むシャルルリエル。
二人が手を組んでいるところを見た観客たちが拍手をする。傍から見ると握手をしているかのように見えたのだろう。
(相変わらず、大したパフォーマンスだ。だが……)
これ以上は付き合っていられない。
ちらとスカートの下に忍ばせた懐中時計を確認すると、あと五分で午前十一時になるところだった。
(ティモシー殿下を待たせるわけにはいかない!)
皇族を待たせるなんて不敬にあたるから、という理由もあるが、きっと早めに来ているであろう彼を待たせるのが申し訳ないというのと、彼の前ではだらしない姿を晒したくないという理由もあった。
余計なことを言ってまた足止めされるのは困るので、ロズリーヌは微笑むだけで乗り切ることにした。そうしてシャルルリエルの手が離れると「では、私はこれで」と今度こそ離れようとした。
「待ってロズリーヌさん!」
(ま、まだ何かあるのか!?)
呼び止められて顔が引きつりそうになり、咄嗟に扇子の裏に口元を隠す。
「今度、お茶でもしませんか?」
「えぇ、是非。日程は後日……」
「やった! 嬉しい! とっておきのカフェがあるんです!」
「その話は、また今度に。実は人を待たせていて……」
「そのカフェはとってもアップルパイが美味しいんですよ。是非ロズリーヌさんに食べてもらいたくて――」
(おいおい勘弁してくれ!)
シャルルリエルは自分の話をし始めると止まらない癖があった。怒鳴ってこの場を立ち去ることもできるが、そんなことをすれば周りの信者たちの反感を買い、ロズリーヌは二度とルドルダ大聖堂へ立ち入れなくなるだろう。
(どうする!? 早くしないと約束の時間が……)
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