第三章07 第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ(緊張してきた)

 いわゆるデートの日がやってきた。


「今日のご予定は厳しいですよ! 気合を入れていきましょう!」


 明け方。顔を洗うためのぬるま湯を持って来たマルティーニは、いつになく張り切っていた。忙しい一日を乗り切るためだけの気合ではないだろう。


「よろしく頼む」


 ロズリーヌは時間を書き出して念入りに調整した本日の予定を再確認しながら、マルティーニに手伝ってもらって、いつもより念入りな朝の支度を終えた。


 そうしてロズリーヌとしてトリオール邸を出たロズアトリスは、いつものように馬車の中でかつらを脱いでロズリーヌの仮面を剥ぐと、ヴェールを被ってロズアトリスに変身した。


 ルドルダ大聖堂に到着したのは午前六時。聖職者専用の出入り口から敷地内に馬車ごと入場し、大聖堂に併設されている宮殿の私室へ入った。


 聖女ロズアトリスの部屋は非常に簡素なもので、家具は鏡台とベッド、ビューロ、クローゼットのみである。ロズアトリスは慣れた手つきでクローゼットから出した祭服に着替え、ドレスはクローゼットにしまい、鏡台の前に座った。そうして軽く化粧を済ませて早々に部屋を出た。


 午前六時半。宮殿にある礼拝堂で他の聖職者たちと朝の祈りを捧げ、七時になると大聖堂へ出て、厳かな雰囲気の中、朝のミサの奉仕。それが終わるとすぐに敷地内の孤児院へ移動した。


 大聖女が運用している孤児院では、聖職者が孤児の面倒を見ている。


 始業前の祈りを捧げ、九時にロズアトリスが姿を現すと、孤児院の子どもたちは喜んで駆け寄って来た。ロズアトリスがまず子どもたちに行うことは、座って聖書を読み聞かせること。


 ロズアトリスが床に座れば、子どもたちは自然と周りに集まった。そうしてロズアトリスが紡ぐ鈴の音のような聖書の朗読を、静かに座って聞いてくれた。


 聖書の朗読が終わると自由時間だ。


「ローズさま! きょうは ぼくと ボールであそぶんだよ!」


 一番のやんちゃ坊主リオが背中に飛びついて来た。


「まぁ、いつもリオは元気ですね」


 ロズアトリスはリオを咎めることなく、口元に優しい笑みを浮かべた。ここへ来たばかりのリオは座って聖書の朗読を聞くなんていう、落ち着いたことはできなかった。それでも今ではちゃんと大人しく座っていることができる。


(子どもはいつの間にか大きくなる……)


 子どもの成長が愛おしくて仕方がない。


「リオ! ちがうよ! ローズさまは わたしと おえかきするの!」


 目を細めてリオを見ていると、女の子がやってきてリオを引っ張った。リオと同年代のクララである。クララは男の子にも引けを取らない負けん気を持っていて、譲り合いも苦手でよく他の子と喧嘩をしては孤立する。しかし。


「どちらもしましょうね。リオとの約束が先だったから、ボール遊びをしてから、お絵描きをしましょうクララ」


「……はーい」


 渋々だけれど、譲ることができるようになっていた。


 ロズアトリスが十人余りの子どもたちを見るようになって半年。


 任された当初、ロズアトリスは不安を抱えながらも、大人として子どもたちに未来を与えてやらねばならないという責任感に身が引き締まる想いだった。子どもたちはそんなロズアトリスの想いに応えてくれ、徐々に社交性が身に付き、知識や知恵も増え、体力的にも逞しく、日に日にできることが増えている。


(子どもって、なんて尊い存在なのだろう)


 子どもたちを導くことへの不安よりも、彼らがどんどん育っていく姿を見ることへの喜びの方が大きくて、与えられているのは自分ではないかとさえ感じる。それは聖職者、聖女という務めに通じるものがあった。


「ローズさま! ボールあそびしよ!」


 リオが満面の笑みでボールを持ってきた。ロズアトリスは周りの子どもたちにも声をかけて外へ出ると、無邪気に芝を駆け回った。


 小半刻ほどボール遊びをして、少し休憩し、クララや他の子どもたちとお絵描きをした後は、お勉強をした。文字を書く練習と数字を覚える勉強だ。覚えるのが早い子もいれば、時間がかかる子もいる。人はそれぞれだ。けれど共通していることもある。どちらもできたときに褒めると、花が咲いたような笑顔を見せることだ。


 ロズアトリスはこの笑顔が大好きだった。子どもたちが心の底から安心して笑顔を見せられるような場所を提供できることを、誇りに思う。


(そういえば……)


 子どもたちのこと考えていたら、街で出会った子どもたちが頭をよぎった。


(彼らには心安らぐ場所があるのだろうか。安息の地があるならそれで良い。けれど、ないのなら作ってあげるのが大人というものではないのか)


 ロズアトリスは思案する。


 ここでふと時計を確認すると、約束の十一時まで小半刻を切っていた。内心慌てつつ表面では冷静に、別の聖職者に子どもたちのことを任せて孤児院を出ることにする。


 いつもより少し出るのが早くても気づかれない。普段の真面目な態度のおかげだ。これからデートのために休憩を取ろうとしているなんて、誰が思うのだろうか。


(……自分が一番驚いているかもしれないな)


 婚約者がいたときでさえ、務めの合間にデートをするなんて考えもしなかったから。


 しかしこれは打算的な行為。不純な動機ではない――はずなのに。デートのために仕事を中断するという形だけを見ると、十分不真面目で、悪いことをしているような気分にさえなった。けれど同時になんだか身体がふわふわしているような気もして、落ち着かない。


(そもそも殿下とはデートをしたこともないのだったな。……緊張してきた)


 トットットッと静かに速くなる鼓動を押さえながら、速足で廊下を歩いていると。


「ローズさま! いっちゃうの!?」


「まだ いっしょにいて!」


「!」


 リオとクララが後ろから足に飛びついてきた。二人が大きな声を出したためか、他の子どもたちも集まってきてロズアトリスを取り囲む。「いかないで」「さみしい」「ローズさまと あそびたい」「もっと いっしょに おべんきょうしたい」「やだよぉ」……


 ロズアトリスが行ってしまうことを惜しむ子どもたちの素直な声を聞いていたら、離れがたくなってきた。しかしここで負けてはならない。ロズアトリスは心をしっかりと持って、また明日来ることを約束し、半ば強引に孤児院を後にした。

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