13. 空
俺は久しぶりにあの町に行くことにした。駅を降り、ルティの姿が無いのを見て安心した。彼にはやはり俺は必要なかったのだろう。俺はゆっくりとその街を回った。駅の裏にあったレストランはひっそりとそこにあった。
変わらない町だ。ずっと変わっていない。俺はふと思い立って、目的地に向けて歩き出した。
しばらく歩くと小高い山の麓が見えた。山に沿ってトタン屋根が連なっている。
その中でも一際大きな建物がまるで山の一部のように生えていた。俺は煙草を1つ咥えてその建物を睨んだ。今では廃坑になったと聞いている。しかしその建物、そして山は未だにその大きな図体を横たえていた。
ここで働いた仲間たちはどうなったのだろうか。あのとき捕まった仲間は…?会いたいなどとは全く思わなかった。ただ、自分は恐ろしく幸運に恵まれていたのだと思った。
町は夕方の気配を孕みやや暖色が強くなってきていた。トタン屋根に烏が10羽ほど止まって、木の無いこの町に数少ない曲線を作った。俺はその風景に煙を混ぜながらいつもの駅へ戻った。
俺は驚くほど落ち着いていた。あの町の空気は俺の心に似ていた。渇き、汚染、欲、退廃。生き延びた仲間がもしいるならば、彼も同じであるのかどうかを、あの町の人特有の空虚なのかどうかということを聞きたいと思った。
ホームはいつも通り空いていた。貨物列車が遠く線路の先に見えた。俺はそれをぼうっと眺めていた。ふと、気になる人影があった。ぼさぼさの髪にみすぼらしい格好をした少年だった。
「ルティ……」
彼は俺に気づいていないようだった。ふらふらと線路の方へ足を進めていく。
すぐに彼が何をしようとしているのかわかった。
「おい、やめろ!」
彼の手を掴んで思い切り引く。次の瞬間強風に吹き飛ばされる。その衝撃で腰を地面に叩きつけられた。
「うぐぅっ……」
痛みに耐えつつ顔を上げると、目の前には列車が轟音を立てながら通過していく光景が広がっていた。
「あっぶねえなぁ……」
彼は列車が見えなくなるまでそこに立っていた。
「大丈夫か?」
「……」
彼はホームに横たわっていた。どうやら意識を失っているらしい彼につぶやく。
「おい、何してんだよ。死ぬつもりだったのか?ふざけんなよ。」
ホームには俺とルティ、二人きりだった。
「俺を置いてくなよ…。」
ふと彼が目を開けた。ゆっくりとこちらを見る。
「………えっと…どなたですか?」
「え?」
時が止まる。嫌な汗が流れ、喉が渇く。
「冗談……だよな?」
それを確認する間もなく、彼は再び眠ってしまった。彼に限って冗談な訳がないのだ。それは彼の目からもわかった。本当に覚えていないのだ。俺のことを忘れてしまったのだ。
「………俺は一度たりとも忘れてないのに。」
俺は苦しかった。何かの間違いであって欲しかった。
だが先に彼を置いていってしまったのは俺の方だった。彼は一人で生きていけたのだろうか。その問の答えは自明だった。あの時もうすでに手遅れだったのだ。そのことにこのとき初めて気づいた。
「ルティ。」
彼はスースーと小さく息をしながら眠っていた。大きな音を立てて列車がホームに入ってくる。俺は彼を抱えてその列車に乗った。
窓の外はすでに夜で車内の蛍光灯が夜の闇を照らしていた。彼は俺の膝に頭を乗せて眠っていた。予想外の出来事だったのに、何故か心は落ち着いていた。彼の温もりがただただ愛おしかった。
俺はきっと人を愛せない。あるのは愛に似たただの独占欲と執着。そしてそれを生む孤独だけだ。
店の外に行けば本当の愛がわかると思っていた。
これが本当の愛と呼べるのか。俺には判らない。
ただ、もし愛と呼べるなら、それは同時に呪いとも呼べる。人を依存させ、縛り付け、必要のない孤独を生む。俺はオーナーに産み付けられた呪いの卵を、孵らせることもできないまま抱えていた。それは伝染する。不完全な"愛"なるものがそのまま心の欠如として寄生し、伝染するのだ。俺はそれに気づかないまま、知らず知らずのうちに移してしまった。移された方はその欠如を完全な"愛"で埋め合わせようとする。その愛の行き場は、その愛の供給源は同じ虫を飼う者だ。しかし彼が居なくなったら?その愛の循環が止まる。欠如を埋めようとするサイクルが。決して終わらないその作業が、ただ現状維持をするだけのサイクルが止まる。それは何を意味するか。欠如は進む。欠如が欠如として認識されないほどに。そして空っぽになったとき。
そのとき、人は線路に飛び込むのではないか。
一度空っぽになった心をもう一度満たすことが可能かどうかは不明だが、少なくとも気休めにはなる方法が一つあった。
自身にその呪いを移した本人もしくは他の人物とそのサイクルを再開させることだ。オーナーの死後、ルティはその役割を担ってくれていた。一人では生きていけなかったのは俺の方だった。そのはずなのに俺は無責任に彼のもとから逃げた。俺は自分の立場を、その欠如を、すべてを恥じていた。それを煙草の煙で隠して彼に会っていた。ただそれにも限界がある。俺はその限界を恐れて彼から逃げた。その判断は一度彼を殺してしまったようなものだ。
今になってやっとわかった。俺は、彼を、一度殺してしまったのだ。
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