12. 欲
夕方、客を入れる時間が終わり俺は部屋を出て煙草を買いに行こうとした。廊下に出た瞬間ガシャンという大きな音が耳をつんざいた。その方へ行くとルーグがいた。廊下に飾ってあった花瓶が散らばり、彼はその破片の中に腰をついていた。既に駆けつけた世話係がしゃがみ、彼に声をかけていた。
「大丈夫ですか?あ、ちょっと怪我しちゃってるね………。とりあえず救急箱持ってくるから待っててください。」
そう言って立ち上がったところで目があった。
「あ。ちょうどよかった。ルーグくんのそばにいて上げてください。」
俺は黙ったままルーグの方へ歩いた。
世話係の不審そうにする視線を背中に感じながらルーグを見下すように立つ。彼からは酒の匂いがした。見ると顔も赤くなっている。
「ごめんなさい……。」
彼はか細い声で言った。
「酒を飲んだのか。」
「………………ごめんなさい。」
「いくら勧められても酒は飲むなと言わなかったか?」
「……ごめんなさい。でも」
「でも?」
「無理やり飲まされて。こわくて」
「なぜ誰も呼ばなかった」
「……………」
「………立て。」
「え?」
「いいから立て!」
彼は恐る恐る立ち上がった。
怯えて震えるその身体。俺はその細い首に手をかけた。ゆっくりと力を入れていく。
「……え、あ……くるし…」
彼は目を見開き、その青さは見たことのないほど美しかった。
「え、ちょっと。オーナー!」
「お前は黙ってろ!」
「やり過ぎですって!死んじゃいますよ!」
世話係が俺を止めようとするのを振り払う。それと同時にルーグの首にかけていた手を解かざるを得なかった。
「かはっ………ゴホッ、ゴホッ、……はぁっ、はっ、はっ…」
ルーグは壁に寄りかかって涙目でこちらを見ていた。もう何も考えられなかったが、何かを恐れていたということだけが確かだった。
「何で言うことを聞けないんだ。そんなに俺が嫌いか?」
「…ちがう、違うんです。」
彼は必死に何かを伝えようとしていた。
「断りきれなくて。だめだってわかってたけどこわくて」
俺は次は彼を殴っていた。
「俺はお前のことを思っているのにどうしてお前はいつも勝手なことをするんだ!」
「痛いっ、ごめんなさい」
「お前らはただ俺に飼われてるだけだってのにどいつもこいつも」
「オーナー!!やめてくださいよ!」
世話係が俺を押さえ込んだ。
「最近なんか変ですよ!なんでこんなこと…」
俺は呼吸を整えた。頭に血が登っていた。憤りと情けなさでどうにかなりそうだった。
「一人にさせてくれ。」
俺は世話係の手を振り払うと部屋に戻った。
「はぁ…………………」
俺は部屋のベッド大の字になって大きくため息をついた。
『最近なんか変ですよ!』
確かにその通りだった。異常に様々なことに対して腹がたった。従業員に手を出すのもこれが初めてではなかった。
「最悪だ。」
まだ右手に彼を殴った感触が残っていてさっきの出来事が夢ではないと知らしめていた。
しばらくして世話係が来た。
「オーナー。なんであんなこと。」
「………ルーグは?」
「まだ殴るつもりですか?」
「……………俺は最低だ。」
「そうですね。」
「………」
「彼、心底傷付いてましたよ。自分を攻めてる。しばらく僕が彼の面倒を見ます。客の相手もしばらくお休みしてもらいます。」
「……助かる。すまない。」
「失礼します。」
彼が去ったあと、静寂が妙にうるさくて俺は耳をふさいだ。
翌朝俺は煙草を買うために外に出ようとしたとき、階段を降りてくるルーグと鉢あった。俺はたまらずに彼を抱きしめた。
「すまない。俺は最っ低だ。本当に悪かった。許してくれなんて言えないけど……本当にすまなかった。でも、これはお前の為を思ってやってることだ。わかるだろ?お前が大切だからだ。」
彼はじっと聞いていた。
「なあ。俺が嫌いだろ。」
彼は何も言わなかった。
「そうだよな。ああ。それでいい。」
「オーナー。あの、ぼく」
彼は何かを言いかけたが、その前に世話係がやってきた。
「ルーグくん……。」
俺は顔を背けて外に出た。
鉱山の大人たちに似ているのは俺の方だった。
「大丈夫ですか?何か変なこと言われませんでした?」
「………いえ。」
「災難でしたね。他に痛いとことかありませんか?一応消毒液と絆創膏持ってきたんで。」
「あ、ありがとうございます。」
「…………」
「…………」
「ルーグくんは、実際のところどう思ってるんですか?」
「え?」
「オーナーのことです。キャストさんの中でも一番近い存在みたいなので気にはなってたんですけど、昨日のこととか……」
「僕が悪いんです。」
「え?」
「僕が悪いので大丈夫です。早く彼に認めて貰わなきゃ。」
「ルーグくん……」
俺は煙草をふかした。
「……じゃあ、僕はこれで。また後で様子見に来ますから。」
「はい。ありがとうございました。」
玄関で世話係が去っていくのを見届けて、俺は部屋に戻ろうとした時だった。
「あ、あのっ!」
ルーグが呼び止めた。
「なんだ?」
「えっと……」
「言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。」
「……はい。」
「……」
「あの、僕、オーナーの事嫌ってなんかいません。」
彼はまっすぐにこちらを見た。
俺は思わず目を逸らしてしまった。
「わかった。」
「本当ですか?」
「ああ。」
ルーグは安堵しているようだった。俺は自分のどうしようもなさを突きつけられたような気持ちになってたまらなかった。
「おいで。」
俺はその気持ちを誤魔化すように彼を抱いた。
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