7. 未亡人
その次の日、俺の体調は最悪だった。頭痛、吐き気、倦怠感。俺は一日、自分の部屋に引きこもり、布団を被って過ごした。
昼過ぎ頃、俺はようやく起き上がってトイレに行った。便器の前に立った時、強烈なめまいに襲われてその場に倒れ込んだ。
次に気づいた時は自室のベッドの上で、医者がいた。医者によると、過労のストレスによる自律神経失調症とのことだ。俺は「そうですか」とだけ言って煙草を吸おうとした。医者は怪訝な顔をした。
「君、17歳と聞いているが…」
「違います。今年で18歳です。」
医者は相変わらず怪訝な顔をしていたが、少しして去って行った。医者を呼んでくれた世話係は俺に外出を勧めた。
朝。何もしなくても時は進んでいると実感しながら、俺は外出した。金は腐るほどあったが、店とプライベートの線引きが薄くて迂闊に手を出せなかった。
店をやめるという選択もあった。従業員に通常より高い退職金を払って店ごと潰すか、そのまま誰かに売り払うだけだ。だが何故かそうしなかった。
店を出て、いつもの町に行く。煙草が不味くなるので必要最低限の3本だけを箱に入れて持っていくことにした。
電車には俺しかいなかった。
3段しかない階段を降りると、その日は嫌に静かだった。煙草を吸おうとポケットを探るも、空箱だけが出てきた。やっちまった。店を出て1本、駅について1本、電車待ちで1本吸ったのだ。仕方がないのでタバコ屋を探すことにした。
駅の近くをじっくりと歩いたのは何気にこれが初めてだった。この駅は利用者が少ないのだろう、駅前は閑散としていた。人通りの少ない道を歩いていくと、寂れた商店街に出た。
その商店街の中に、何やら雰囲気の違う店が一軒あった。ガラス張りで中が見えるようになっているのだが、中に客がいる様子がなかった。店内では一人の老婆が一人で座っていた。店のドアにはOPENの文字がある。
俺は吸い寄せられるようにその店に入っていった。
入ってみるとそこはアンティークショップのようなところであった。壁一面に掛けられた時計や、骨董品、アクセサリーなどが並べられている。
俺は商品を見て回った。どれもこれも値札はなく、どれくらいの価値なのかわからなかった。その中で1つ、俺の目を引くものがあった。腕時計だ。木目調のベルトに、真珠のような文字盤。小さな音を立てて時を刻んでいる。俺はそれを買って再び町に出た。それから数日間、俺は毎日のようにそこに通い詰めた。オーナーのいない館にいるよりよっぽど居心地が良かったからだ。
ある日、俺は思い切ってあの老婆に声をかけてみた。彼女は俺を見ると驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しい笑みに戻ってこう言った。
「お兄さん、あんたは孤独な顔をしているね。」
「え?」
「最初に来たときから思っていたんだよ。戦争で夫を失った未亡人とおんなじ顔だ。」
俺はむっとした。老婆は言った。
「大丈夫だ。時は進む。呪いは解かれる。」
俺はなんとなく泣きそうな気分になった。その言葉が少しの救いになったみたいだ。
店を出ると、耳をつんざくような罵声が聞こえた。見ると商店街の一角の店から全速力で走る少年がいた。それを店主が追いかけている。懐かしいな、と思って煙草を吸おうとした。煙草を持っていないことに気がついた。
俺は平静を装って商店街を歩いた。
日が傾き始め、そろそろ帰ろうかと思い駅に足を向けたとき、すすり泣く声が聞こえた。路地裏だ。そこにはあの少年が縮こまって泣いていた。
俺は迷った。ここで話しかければもう後戻りできないと思った。煙草もなかった。
「あ、」
やべ、ばれた。
「お兄ちゃん。」
俺は気づかないふりができなかった。
よく見ると少年は至るところに痣や傷を作っていた。
「どうした?それ。」
「言いたくない。」
「そうか。」
「………」
「……盗みがバレたか。」
「え」
「図星か。」
「………」
昼の光景が目に浮かんだ。あの後捕まったのだろう。
「何盗もうとしたんだ」
「何だっていいだろ。」
「飯か?」
「……」
彼は痩せていた。この町の子供はみんなそうだ。骨が浮き出るほど痩せている。それに比べて大人たちは肥満傾向にあるらしい。
「じゃあお前は今日何を食べた。」
俺は聞いた。
「……パンと水。」
「他には。」
「それだけだよ。」
「そうか。」
俺は彼に近寄って、しゃがみ込んだ。そして彼の頭を撫でながら言った。
「腹減ってるだろ?」
少年は少しの間黙っていたが、やがて小さくうなずいて俺を見た。
「お前、名前はなんて言うんだ。」
「……ルティ」
「ルティか。忘れねえようにしとく。」
「……お兄さん」
「アケルだ。このあたりに飯屋は?」
「駅の裏にレストランがある。」
「奢ってやる。」
俺は少年の手を引いてそこに行った。小さな店だった。
「美味いか」
「うん。」
「ならよかった。」
俺は少年の食事風景を見つめた。彼は一心不乱に食べ続けた。その姿は、かつての自分を見ているようだった。
食事が終わると、俺はポケットから札を取り出してテーブルに置いた。
「食った分、これで足りるかな。」
「そんな大金……。」
「他に使い道が無えんだ。」
「………ありがとう。」
俺は席を立って店を出ようとした。しかし少年が俺の服を掴んだまま放さないのだ。
「お礼に何かできることある?僕なんでもするよ。」
俺は苦しくなった。俺はこいつに呪いをかけてしまったと思った。ふと、食後の一服が恋しくなった。
「この辺りにタバコ屋はあるか。」
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