2.黒い雨 -由貴-



幼馴染で同居している時雨こと、

金城時雨かねしろ しぐれの出勤が遅いのをいいことに

何時もよりゆったりと朝を迎えた私、氷室由貴ひむろ ゆき

少し遅めの朝食を作っていた。




国家試験をようやく終えて、合格発表までの束の間。




ドキドキしながらも、勉強地獄からようやく解放されて

気分的には少しのんびりとしたい心境。




無事合格となれば、進路に悩んでいた高校三年生の時に

鷹宮の教会で出逢って以来、親友となった緒宮勇人おのみや ゆうと

高校時代からの親友である早城飛翔はやしろ ひしょうたちと一緒に、

勇の養父が病院長を務める鷹宮総合病院へと研修・就職が決まっていた。



そして時雨が仕事に出掛けた後は、

午後から、鷹宮が率先して行っているボランティア活動に挨拶がてら

顔を出そうと勇や飛翔たちと話していた。




「おはよう」



リビングのドアを開けて入って来る時雨の表情は

まだ眠そうだった。




「おはよう、時雨しぐれ


 体起こすのにお風呂入るなら、行っておいで。

 昨日も遅かったよね。


 氷雨と小父さんの為に警察官になったのは知ってるし、

 いろいろと思う様に調査が進んでないのも何となくわかってる。


 だけど……無理だけはしないでくださいね」



彼、時雨には私も良く知る、

金城氷雨かねしろ ひさめと言う名の弟が居た。



とある事件に巻き込まれて、

父親と共に同時に亡くなったのが高校三年生の十二月。



それから時雨と私の歩く未来は変わってしまった。




「有難う。

 今日も帰りに寄りたいところがあるんだ。

 だから遅くなる」


「わかりました。

 私、今日は鷹宮たかみやに行く以外は特に予定がないので

 用事が終わり次第帰ってきます」


「了解。

 んじゃ、ちょっと体起こして来るわ。


 朝ご飯、軽く食べれるもので宜しく。

 少し胃がおかしい」




そんな会話をしながら、時雨はリビングから

バスルームの方へと移動した。


微かに残るアルコールの匂い。



ここ数カ月、時雨が朝帰りをした日は

アルコールの匂いが残ってるが多い。


時雨のリクエストを受けて、簡単に中華粥を作り始めた頃

私の携帯からメロディーが流れた。


料理中の為、少し遅れて電話に出る。



「遅いっ」



電話に出た途端に、

不機嫌そうな飛翔の声が聞こえる。



「飛翔、遅いって何?

 私も……朝は忙しいんですよ。


 今、時雨のご飯、作ってるんですよ。

 今日、私の食事当番なんで」


「悪かった」


「それで飛翔、何か用ですか?」




時間はまだ9時前。



早い時間に電話をかけてきて、

遅いと怒鳴った理由はそれなりにあるはずだと思いながら問う。



「悪い。

 今から用事が出来た。


 午後の鷹宮、キャンセルするから

 勇たちに言っておいて」


「用事って何かあったんですか?」


「TV」



短く告げた飛翔の言葉に、慌ててキッチンから少しでて

テーブルにあるリモコンでTVの電源をいれる。



映し出されるは大雪で家屋が倒壊した映像。





『今回の大雪による災害の被害にあった斎市いつきしは、

 昨年の市町村合併で近隣の郡と合併して誕生した市です。


 合併した市町村を申し上げます。


 田丸郡たまるぐん田神村たかみむら安倍村あべむら

 月ヶ瀬郡つきがせぐん春日郡かすがぐん……


 以上の市町村が……』




そんな映像を背景に、

ニュースキャスターの声が淡々と響く。



その中で一つの地名が耳に残る。




「安倍村?……。


 飛翔、安倍村って確か……」


「あぁ。

 悪い、少し行ってくる」




飛翔はそれ以上説明することなく、

電話を切った。




「由貴、どうかした?」




お風呂から出てきた時雨は、

バスタオルで髪を乾かしながら、

リビングのTVを見つめる。




「凄い雪だな」


「えぇ……。

 斎市の中には飛翔の故郷も入っているそうです。


 今、連絡があって今日の鷹宮は行けないと連絡がありました。

 多分、安倍村に行くのかもしれません」


「だが、行くって言ってもこの状態だろ。

 安倍村の元住人って言っても、飛翔は一般市民だろ。


 災害真っ只中の現場に入れるか?」



そう言った時雨の言葉ももっともで、

私は中華粥を鍋から茶碗によそってテーブルに置く。



「由貴、飛翔のことは気になると思うけど

 今は朝食。


 職場に行ったら俺も情報収集に努めるから。

 とりあえず今は食事」



時雨がそう言うと、

TVの電源をリモコンでオフにした。



このままつけっぱなしで居ると

私自身の精神状態が不安定になっていくのを

幼馴染の時雨にはお見通しだから。




朝食の後、私は時雨を見送って

愛車のミニに乗って、鷹宮の教会へと向かった。




約束よりも少し早い時間。



車を駐車場に停めて、

何度も通いなれた、教会側の扉から

建物の中へと入った。



あの頃と同じように、

この教会の中には、倍音ヒーリングと呼ばれる

サウンドが流れ続ける。



勇の養母である、

歌姫が歌い続ける優しい歌声。



そしてその教会には、

私の想い人、春宮妃彩はるみや ひめあ

介助犬であり、彼女の生活のパートナー。


ラブラドールレトリバーの水晶みずあき号と一緒に

姿を見せていた。



彼女はこの春、住み慣れた桜ノ宮サナトリウムを出て

この鷹宮総合病院の中にある、ケアセンターでお世話になっている。


同じ敷地内の方が、妃彩ひめあさんに逢いに行きやすいと言うのが一つ。



そして、研修が始まった後は、

今までの様に、桜ノ宮サナトリウムまでの距離は気軽に行けない。


そんな私自身の思惑があったから。


そして……この場所。


私が心を慰められたように、

この場所に満たされる、倍音の音色か

彼女に何かの変化をもたらしてくれないかと期待しながら。




「あっ、由貴さん」


「おはよう。

 朝のお祈り?


 水晶みずあき、今日もお仕事お疲れ様」



すでに介助犬としては、引退している子もいる

年齢に差し掛かっている水晶みずあき号。


だけど彼は、まだ引退せずに

今も彼女の傍で支え続ける。


彼女の亡き彼氏である、

氷雨が彼女に送った最後のプレゼントだから。




だけど何時か、水晶号が引退の時を迎えたら

時雨の許可を貰って、

私が新しい家族になれたらと今は思ってる。



それは彼女にまだ話すことのない秘め事。





ふいに教会の扉が開いて姿を見せたのは、勇。




「由貴、此処に居たんだ。

 おはようございます、春宮はるみやさん」



そう言って妃彩さんにも声をかけると、

マリア像の前で祈りを捧げて、

私たちの方へと歩いていた。




「勇、飛翔なんだけど

 今日のボランティアには来れないって」


「来れないって何かあったの?」


「飛翔の故郷が、大雪の被害にあって

 飛翔は、そっちに出掛けた」


「飛翔の生家って、徳力だよね。


 徳力のホームドクターは、神前悧羅こうさきりら


 裕兄さんと、裕真ゆうま兄さんのところなんだ。

 裕真兄さんは留学中だけど、

 裕兄さんは国内にいるはず。


 何か情報があるかもしれないから、

 連絡してみるよ」



そう言うと、勇は携帯電話をポケットから取り出して

その場で裕さんのところに連絡をしているみたいだった。




伊舎堂裕いさどう ゆたか

伊舎堂裕真いさどう ゆうま




戸籍上の、勇の弟であり、

同級生の千尋君の従兄弟になるのかな。



勇も小さい時から親しくしてきていたから

鷹宮から緒宮に大学時代に、苗字が変わった後も

交流を続けているみたいだった。





「もしもし勇人です。

 忙しい時にすいません。


 徳力飛翔、今は苗字が変わって

 早城飛翔ですが覚えてますか?

 元、昂燿校の。


 彼の故郷が大雪の被害にあったようで、

 兄さんのところに情報があれば教えて頂きたいんです。


 後、出動が出来るならドクターヘリは飛ばせませんか?」




そう言って勇が話しを切り出しながら、

後は頷き続けて、「お願いします」っと電話を終えた。




私と妃彩さんが不安そうに視線を向ける。




「おぉ、勇人。

 後、氷室君だっけ、此処に居たのか」



ふいに教会のドアが、病院側から開いて

ドクターコートを羽織った人が姿を見せる。




「嵩継さん」



嵩継さんっと勇が呼ぶ人の名前は、

安田嵩継やすだ たかつぐ


勇にとっては、お兄さんのような存在で

私も飛翔も大学時代から、何度か嵩継さんの行きつけらしい

小料理屋へとお邪魔して食事をした。



嵩継さんの大切な人のお母さんが一人で頑張り続ける小料理屋は、

とても居心地がよい空間だった。




「勇人には言ったが、氷室君も試験お疲れさん。


 後はもう、じたばたしたって仕方ねぇ。

 四月から一緒に働く同僚になるって、念じててやるよ。


 それより今日は、早城は?」



私のことは、氷室君と呼びながら

飛翔のことは呼び捨てにする嵩継さん。



「嵩継さん、飛翔は今日は休みです。

 飛翔の故郷が、大雪の被害にあってるみたいです」


「大雪の被害って、朝からニュースやってたアレか」


「はいっ」


「わかった。オレも院長に持ち上げてみる。

 四月から同僚になる予定の奴のことだからな。


 まっ、そっちの方は任せとけ。


 お前らは、院内ボランティア頼むな。


 春宮さん、教会である程度過ごしたら

 昼前には一度、センターの方に戻っててくれよ。


 センターの住人達に、

 編み物教えて貰わないとだからな」


「はい」



妃彩さんが返事をすると、嵩継さんは慌ただしく、

教会から飛び出していく。



その日、朝から院内にいる患者さんたちの部屋をまわって、

一部屋、一部屋掃除を行う。


掃除の後は、ベッドメイクをして

入院中の患者さんの中で、

洗濯物が洗いに行けないそんな人たちのところをまわっては

専用のネットの中に、一人一人の洗濯物を預かって回収していく。


それらを洗濯機に入れて選択して、

屋上で洗濯ものを乾かす。



その後は、散歩の付き添い。

将棋のなどのゲームの相手。




入院中の患者さんたちが快適に過ごせるように、

ここ鷹宮総合病院は、昔からボランティアさんが沢山活躍している。



そんなボランティア業務をこなしながらも、

私の脳内は、飛翔のことを考える。





行けるものなら、

今すぐ私も行きたいんですよ。



飛翔のところへ。




思いつめた、そう言う時の貴方は

昔からとても危なっかしくて、

出逢ったばかりの全てを拒絶していた頃を想い出させるから。



「さっ、由貴。

 僕たちも行こうか。


 鷹宮のボランティアは少し一段落ついたし、

 今日は僕が車出すよ。

 

神前に行けば、

 新しい情報があるかも知れないから」




勇がいれたハーブティを飲み干すと

勇の車が止めてある鷹宮の自宅前まで歩いて移動する。



その途中、鷹宮のケアセンターで入所中の

金城の小母さんの元を訪問しながら。



「小母さん、おはよう」


「あらっ、由貴君来てくれたのね」


「今日はここのボランティアを手伝いに来たんです。

 それでお邪魔しました」


「まぁ有難う。


 それに比べて、うちの息子たちはどうしたのかしら?

 2人とも、ちっとも見せてくれないわ」



今、小母さんの記憶の中に、

小父さんの死は存在しても、氷雨の死は認識されていない。


今、小母さんが会い続ける時雨と氷雨は、

どちらも時雨が一人でこなし続ける二役に過ぎない。


それでも小母さんの中では、

時雨として、氷雨として存在し続ける。




あの事件の後から、

決して抜けることが出来なくなったスパイラル。




「時雨も、氷雨もまだ仕事が忙しいみたいで。

 また伝えておきます。


 その分、私は春からもこれまで以上にお邪魔しますね」


「そうね。

 国家試験に合格してたら、由貴君はここの先生になるのよね」


「その予定です。

 暫くは、研修三昧ですけど」



そんな会話をして、私は小母さんの病室を後にした。




「終わった由貴?」


「えぇ。終わりました。

 では参りましょうか」






勇の運転する車は、

ゆっくりと自宅の門を出ていく。







私は……時雨の小母さんと、

時雨自身を……そして妃彩さんの心を守りたくて

この道を選んだんだから……。






車が動き出して暫くすると、

どんよりとした低い雲が広がって、

雨が音を立てて降り始めた。






大粒の雨が、

フロントガラスを打ち付けていく。






その雨は飛翔の頭上で、

ずっと降り続ける黒い雨にも見えて、

思わず車窓から広がる雲を見つめ続ける。




この雨が雲が流れてあがるように、

飛翔の心の中に降り続ける、

黒い雨も何時かは、止む日が来るのだろうか……。




突然、動き出した出来事に、

不安を覚えながらも、

私はその雨に打たれるために歩き出す。





飛翔がサインを出したときに、

何時でも手を差しのべられるように。




本当の意味での、

親友同士になるために……。





だから……飛翔、

一人で無理をしないでくださいね。





私は貴方の傍に居ますから。



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