第11話 そして、スパイはカコに逢う

 空が少しだけ白んできた頃、私は城の1番高いところにいた。もちろん王女が立つべき場所ではない。


「胸騒ぎがする…この感覚、誰か入った…?」


 城の北西の方角。


 私は自分が最初にこの世界へ降り立った場所へと足早に向かった。


 *******


 風の流れ、魔力の反応、足跡の消え方。どれも、完璧すぎるほどに整っている。

 私が初日にやった、DimCode式の「転送後消去処理」と同じ方法。


「でも、1つじゃない…」


 私は静かに視線を巡らせ、かすかに指先で地をなぞった。


(まさか、追加の調査員?)


 私の報告に違和感を感じた本社が私に黙って調査員を送ることは十分あり得る。


 でも、あの本社からの返信の速さからして、その可能性は低い。


 裏路地の、さらにその奥。


 誰も通らないはずの塀のすき間。わずかに押し潰された草と、重さの違う地面の感触。


(……ここ、誰かが通った)


 もし本社からの正規派遣のスパイなら、町人に溶け込むはず。こんな経路は通らない。


「これは、スパイとしての動きじゃないわね」


 私はその足跡を追って、微かな衣擦れのある建物の影へ踏み込んだ。


(……途切れた)


 ひとつ息を吸い、静かに立ち止まる。


「……出てきなさい。いるんでしょ、そこに」


 数秒の沈黙。


 やがて入り組んだ建物の陰から、ゆっくりとひとりの少女が姿を現した。

 青い髪、細い輪郭。制服の袖を、ぎゅっと握りしめる小さな手。


「……ミライちゃん。やっぱり、気づかれちゃうんだね」


 その声に、私は目を細めた。


「カコ…?どうして、ここに…」


 **********


 私たちは人目に付かないよう、裏手の無人温泉へと足を運んだ。


 まだ朝も早いこの時間、湯気の帳(とばり)が空気をぼやかしてくれる。

 ヘタに動き回るより、のんびり浸かってる方が目立たない。


「わぁ……」


「ったく……あんた観光客じゃないんだからね?」


 申し訳なさそうなカコと二人、ざぶんと湯に身を沈める。

 石縁にもたれかかりながら、私はカコに目を向けた。


「……で、あんた自分の任務は?」


 湯けむり越しに、カコの肩がびくりと揺れた。


「今はちょうど、待機期間だから任務はない…」


 カコはアサシン養成所から直接DimCode本社に入っている。いわば私の先輩だから、初任務の私とは動きが違う。

 私が指先で湯面をそっと撫でると、反射する朝の光がかすかに揺れる。


「私、どうしてもミライちゃんに伝えたくて…」


 湯気に消えそうな声で、カコが言った。


「それ、命令じゃないわよね?」


「……うん。私が、勝手に……」


 私の視線がゆっくりと細まる。


「……ばか」


 カコが罰を受けるだけ、怒鳴るほどじゃない。


 でも……。


 湯の温度のせいじゃないはずの火照りが、頬に広がる。


 湯けむりの向こう、カコは小さく目を伏せた。


「……あんた、DimCodeが逸脱行為にどれだけ厳しいか、分かってるでしょ」


 カコは目を伏せたままうなずいた。


「それでも、私……もう、ミライちゃんから逃げたくない」


「……は?」


 カコの声がかすかに揺れる。静かな湯音にまぎれても、震えは隠せない。


「アサシン養成所のとき……友達になってくれたのに、…助けてくれたのに…!私……怖くて何もできなかった」


 湯けむりの中、カコの肩がすこしだけ沈んだ。


「また、同じことになりそうで……今度こそ、一緒に立ち向かうんだって…!」


「……それ、どういう事!?」


 問いかけると、カコは一瞬だけ視線を落とし、次に顔を上げたときには、まっすぐ私を見ていた。


「……ナミとフェイが、ここに来てる」


 その名を聞いた瞬間、私は無意識に、湯の中の指先に力が入る。


「DimCodeの転送記録で見たの。二人とも、Baⅾlandに派遣補佐申請を出してた」


「それで……あの二人が、またミライちゃんの邪魔をしようとしてるって」


 私は黙ったまま、ただ湯面を見つめた。淡く揺れる水面に、自分の顔がうっすらと映る。


「今回は、ちゃんと止めたいの。……友達……だもん…」


 その言葉に、私は目を伏せた。


(友達ですって?)


 そんな言葉、任務中に聞くなんて。本当……バカじゃないの。


「……ま、それはなんとなく気づいてたけど」


 カコがぱちくりと瞬きをする。


「転送痕が二つ、あったのよ。……それに、気配がイヤな感じだった」


「やっぱ、すごいねミライちゃん…」


「むしろ、あんたの事の方が予想外だったわ」


 カコが申し訳なさそうに視線を落とす。私は、ふっと鼻で笑った。


「……あんたも、なかなかやるじゃんって事よ」


 そのひと言に、カコの頬がゆるんだ。


 それを見ていた私の頬も、気づけば少しだけ、ゆるんでいた。


「でも、ミライちゃん。おかしくない?」


「なにが?」


「ここ、特級危険指定だよね?」


「そう、ね…本社の情報では」


 カコはミライの顔色を伺うように、言葉を選びながら少しずつ話した。


「武装等級Sクラスって、私も一度だけ行った事あるけど…」


「住人ほとんどが、なんらかの武器を持ってる。異常な世界だったよ?」


「見慣れない顔なんて、一発で警戒される」


「……なにが、言いたいの?」


「多分、あの二人にもバレてる……」


 一番考えたくなかった可能性をカコが口にした。


(今日は平和祈念式…あの姉妹が何か仕掛けるにはうってつけね…)


「ねえ、カコ…」


 カコは何も言わずにミライを見つめた。


「あんた、あの二人には気取られてないのよね?」


 カコはお湯の中で静かにコクリと頷く。


「自分でもここにいるのが信じられないくらい突発的に来たから、多分その可能性すら考えてない、と…思う」


「ふ……、それは説得力あるわね…」


「カコ…。ちょっと、頼まれてくれる?」


「ミライちゃん…!もちろんだよ!」


 暖かい温泉のおかげか、アサシン時代から今日までのカコとミライの隙間は、少しだけ埋まった気がした。

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