第10話 そして、スパイは食べまくる
無事パレードも終わり、ミライは私室に戻るなり襟元をばさっとほどいた。
さっそく、いつもの黒の上下に着替えて一息つく。
王女だろうと、この格好のほうが性に合ってる。
(……うん、やっぱりこっちじゃなきゃ落ち着かないわ)
けれど、落ち着く服と空間の相性はまた別の話。
改めて見渡す王女専用の私室は、真紅の絹布が垂れた天井、金箔押しの障子に龍の彫刻が施された柱。
極めつけは、床の間にドンと飾られた“謎の巨大な壺”。
(これ、身をひそめるにはうってつけね)
とりあえず壺の中の大きさを確認して、そっと窓を開ける。
視界の先には、どこまでも続く翡翠色の瓦屋根に白い壁。
欄干には風鈴が並び、風に揺れてちりん、と音を鳴らしていた。
(この豪華な内装は慣れそうもないけど…)
ぐ〜〜
気持ちが落ち着いたら途端にお腹から聞こえる催促の声。
(甘いもの…、あるかな)
こうなったら早速、王女様とやらの特権使わせてもらうわ!
そこへ通りすがった侍女をひょいと呼び止める。
声を潜めるでもなく、自然な調子で切り出した。
「ねぇ、ちょっと。……ここって、間食とかどうしてるの?」
「でしたら王女様!お妃様がティーホールにてお菓子などをご用意して王女様をお待ちしておりますよ!」
「え!?お菓子!?……コホン。ありがとう、気が向いたら立ち寄るわ」
(にしてもこの国、妃がいたのね…?存在を感じなかったけど…)
形だけの気品をまとい、さらりと歩き出す。
(……ってことで、早速“お茶の間”とやらに潜入開始っと)
足取りは軽やか、だけど目はいつものように冷静。そこがお茶の間だろうと、彼女にとっては常に油断のできない未踏の領域。
お菓子の味すらも、情報の糸口になりえるのがスパイの世界。
(あ、お茶の間を発見!焦らずおしとやかに、潜入開始します)
*********
そっとお茶の間に入ると、なんとも華やかに並んだお菓子達の行列に遭遇。
(……高糖菓多、色彩多彩の好条件、これ想定外!)
見たこともない甘味のパレード、その先に見慣れないマダムの姿が。
「あ、こっちじゃミライ……コホン、ミライちゃん!こっちこっち~!お菓子いっぱいあるわよ」
「え……っと?」
将軍がすっと前に出て、朗々とした声で言った。
「このお方はお妃様、ミライ様の母君になります」
ミライの目がうっすら細くなる。
(ほう?……どういう余興なの?)
すかさずお妃様とやらが手にお茶と桜のロールケーキを持ちながらにこやかに差し出してきた。その姿は煌びやかに着飾っているが…。
(どう見ても「王様」に他ならない…!!)
「あ、ミライ、これも、これもおいしいわよ~♡」
「……あ、ありがとうございます、王様」
思わず見たまま、言ってしまう。
「……!?!?」
王(お妃モード)が明らかに固まる。
(な、なぜわかったのじゃ!?将軍シオンですらすぐには見破れんだというに!)
「え、えぇ…?なぜって…その」
(見たらわかる)
王は「んぐっ」と一瞬詰まって、ミライにそっと耳打ちする。
「……気づいたのはお前だけ、まだシオンしか知らん。だから、黙っててくれるか?」
「え?は……はぁ」
「よろしい。ささ、これをお上がり、これも!これも!」
どんどんと皿に盛られるお菓子に我慢できずにパクッとひとくち。
ミライの一言「おいしいです」により、お妃様はテンションMAX。
「聞いた!?シオン聞いたでしょ!?“おいしい”って言ったのよ!私の娘が!」
「は!お妃様、すべてはその一言のために」
二人がしっとり盛り上がっていると──
「おまたせしました~!追い甘味、入りまーす!!」
元気な声とともに、襖を滑るように開けて現れたのは、栗色ポニーテールの侍女。
「あ、ミライさま!!いっぱい召し上がってくださいね~!!」
かつてはギルド受付を務めていた彼女は、今や王女付き侍女としてお茶係も完璧にこなしている。
「お妃様ぁ~、新作のほうじ茶のガトーショコラと、さくら蜜のきんとんプリンです~!」
大皿には、さらに数種の和洋菓子が盛りつけられていく。
「あら新人の侍女の子ね、ありがとね♡」
「もったいないお言葉です、お妃様!」
いや、この子気づいてない。ガチでお妃様だと思ってる…?そんなまさかね?
「ねぇミライ様、ほんとに優しくて素敵な“お母様”ですよね!?私、感動しちゃって……っ!」
(いや気づけ)
ただ、シオン将軍だけが涙ぐみながら小さく肩を震わせていた。
「……王様は未婚でおられる分、ミライ様に“母の時間”を与えたいと、本気で…」
「うん、わかる。たぶんこのままでいい」
それはそうとして、私のお菓子調査は止まらない。
「おぅ…母様?三つ目のお皿、いただいても?」
ミライのひと言に、お妃様の顔がパァァッと輝いた。
「もちろんよぉぉぉ♡!」
嬉々としてあんこたっぷりのどら焼きを差し出しながら、ふわりと吐息をつく。
「ミライちゃん、聞いてよ〜!もう……王様ったら最近、お仕事!お仕事!でぜーんぜん私に構ってくれないのよ~」
(……いや、それあんたや)
そう心で返しつつ、ミライは甘味の確保を優先する。
そのとき、お妃様はふっと目を細めて横目で将軍・シオンを見る。
「ねぇ……いっそ、シオンと浮気しちゃおうかしら~♡」
将軍の目がカッと見開かれる。
「なっ……っ!わ、私は……その……っ!」
珍しく、あの鉄壁のガチムチ男が真っ赤になってうつむいた。
指先がわずかに震え……どうやら、拒否する気はなさそうだった。
「うふふっ♡冗談よぉ~……でも、シオンったら顔赤くなっちゃって♡」
「……わ、私はいつでも…は!ご、ご冗談でしたか…」
小さく目をそらしながら、そう答えるその声はどこか甘く滲んでいた。
(いや何、この昼下がりの情事)
ミライはすでに四皿目、ほうじ茶ガトーに手を伸ばす。
表情は変えないけれど、その手は迷いなく甘味を選び続けている。
「ふふ…でも安心したわ…。ミライちゃんすっごく強いのに、ちゃんと中身は普通に女の子なのね」
ふと、お妃モードの王がぽつりと呟いた、“親”の言葉だった。
その一言が、静かに胸の奥に触れてくる。
(もし母親がいたら……こんな感じなのね?)
平和って、たぶんこういうことなのだと思った。
**********
城の北西、外縁。
【Badlandバドランド属性:灼熱地獄圏/武装等級:S(特級危険指定)】
《解説》火山活動が活発な超高温地帯。潜入任務は極めて困難と判断され、殉職覚悟が求められる。
「……どこが?」
転送ゲートを抜けたナミの第一声は、それだった。
火山の噴煙と堅固な要塞、そういう地獄絵図を想定していた彼女の前に広がっていたのは一見するとただの癒しの温泉地。
「……ぬるすぎない?」
「湯気……地熱系。地形は下り。外気との温度差で霧発生……あれは風呂?」
周囲を見回すナミの目が細くなる。フェイはすでに小型スキャナで足場と気圧をチェックしていた。
「本当に……ここ、バドランド?名前が似た別の派遣先とかじゃ……」
「データ上は一致してる。が、実情は……違いすぎる」
ナミは無言で地面を蹴り、小さな砂煙を観察する。
(火山灰の混入率ゼロ。硫黄臭は…マイルド)
「地熱は感じる。けどここ、ほんとに【特級危険指定】?」
ナミは鼻を鳴らした。
道端に転がる壊れた桶、清掃された石畳、そしてかすかに漂う花の香り。
「でもまあ、潜入任務の最初ってこんなもんよ。敵の目がないぶんにはありがたいわ」
「ふーん……」
ナミは唇を尖らせながら、遠くを見る。
すると湯けむりの向こうに、整った家並みがちらりと覗いた。
(なんか、おかしい)
まだ断定はしない。
でも、少しずつ積み上がっていく違和感を、ナミもフェイも敏感に感じ取っていた。
「とりあえず……まずはミライ探そ。調査も兼ねて、ね?」
「賛成。あいつがどこでどうやって生き延びてるのか、確認しなきゃ」
そして二人のスパイは立ち上る湯気の中、霞むように消えていった。
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