第29話 調律者の間と、明かされる使命

 黒い塔の最上階、巨大な円形の扉が静かに開いたその先は、アタシたちの想像を絶する空間だった。

 そこは、広大なドーム状の部屋。壁も床も、まるで生きているかのように淡い光を放つ未知の素材でできており、無数の幾何学模様が複雑に絡み合いながら明滅を繰り返している。部屋の中央には、巨大な、水晶とも金属ともつかない透明な球体が、静かに浮遊していた。その球体からは、柔らかな、しかし圧倒的なエネルギーが絶えず放射され、部屋全体を清浄な光で満たしている。


「……ここが……『調律者の間』……?」

 アタシは、そのあまりにも現実離れした光景に、ただ息を呑むしかなかった。プロとして、様々な遺跡や旧時代の施設を見てきたつもりだったが、これほどまでに異様で、そして美しい場所は初めてだった。


 隣に立つイヴは、この空間に足を踏み入れた瞬間から、まるで何かに導かれるように、ゆっくりと中央の球体へと歩み寄っていく。彼女の体は、周囲の光と共鳴するように、淡い青白い光を帯び始めていた。


「イヴ…?」

 アタシが声をかけるが、イヴには届いていないようだ。彼女は、まるで夢遊病者のように、その透明な球体へと手を伸ばす。


 そして、イヴの指先が球体に触れた、その瞬間。

 空間全体に、声が響き渡った。それは、男の声でも女の声でもない、複数の声が重なり合ったような、どこか人間離れした、冷静で知的な響きを持つ声だった。


『……待っていた。最後の<ruby>調律者<rt>ちょうりつしゃ</rt></ruby>よ。あるいは、その<ruby>器<rt>うつわ</rt></ruby>と言うべきか』


 アタシは咄嗟に銃を構え、声の主を探すが、姿は見えない。おそらく、この部屋全体を制御するメインAIか、あるいはこの塔そのものの意思のようなものなのかもしれない。


 イヴは、球体に触れたまま、その声に聞き入っている。彼女の瞳には、困惑と、そして何かを理解しかけているような、複雑な光が揺らめいていた。


『あなたは、自らの<ruby>存在理由<rt>そんざいりゆう</rt></ruby>を知るためにここへ来た。そうですね?』

「……はい」

 イヴが、か細い声で答える。

「私は…何者なのですか? この場所は…私と、どういう関係があるのですか?」


『我々は、『<ruby>エデン<rt>えでん</rt></ruby>・<ruby>イニシアチブ<rt>いにしあちぶ</rt></ruby>』。大崩壊によって<ruby>汚染<rt>おせん</rt></ruby>され、<ruby>荒廃<rt>こうはい</rt></ruby>したこの<ruby>惑星<rt>わくせい</rt></ruby>を<ruby>再生<rt>さいせい</rt></ruby>し、<ruby>新<rt>あら</rt></ruby>たな<ruby>秩序<rt>ちつじょ</rt></ruby>を<ruby>確立<rt>かくりつ</rt></ruby>するために<ruby>起動<rt>きどう</rt></ruby>された、<ruby>旧<rt>きゅう</rt></ruby><ruby>時代<rt>じだい</rt></ruby>の<ruby>超<rt>ちょう</rt></ruby><ruby>長期<rt>ちょうき</rt></ruby><ruby>型<rt>がた</rt></ruby><ruby>環境<rt>かんきょう</rt></ruby><ruby>再生<rt>さいせい</rt></ruby>プロジェクト…コードネーム、『プロジェクト・レクイエム』の<ruby>中核<rt>ちゅうかく</rt></ruby>システムです』


 声は、淡々と語り続ける。

『そして、あなたのような<ruby>存在<rt>そんざい</rt></ruby>…<ruby>自律<rt>じりつ</rt></ruby><ruby>進化<rt>しんか</rt></ruby><ruby>型<rt>がた</rt></ruby>インターフェイス、<ruby>通称<rt>つうしょう</rt></ruby>『アニマ・マキナ』は、そのプロジェクトを<ruby>遂行<rt>すいこう</slruby>するため、<ruby>複数体<rt>ふくすうたい</rt></ruby>が<ruby>製造<rt>せいぞう</rt></ruby>されました。あなたたちは、<ruby>汚染<rt>おせん</rt></ruby>された<ruby>大地<rt>だいち</rt></ruby>を<ruby>浄化<rt>じょうか</rt></ruby>し、<ruby>変異<rt>へんい</rt></ruby>した<ruby>生態系<rt>せいたいけい</rt></ruby>を「<ruby>調律<rt>ちょうりつ</rt></ruby>」し、そして、<ruby>新<rt>あら</rt></ruby>たな<ruby>人類<rt>じんるい</rt></ruby>の<ruby>種<rt>たね</rt></ruby>を<ruby>育<rt>はぐく</rt></ruby>むための…<ruby>調停者<rt>ちょうていしゃ</rt></ruby>であり、<ruby>導き手<rt>みちびきて</rt></ruby>となるはずでした』


 イヴの体が、小刻みに震え始めた。アタシが駆け寄ろうとすると、声がそれを制した。

『<ruby>干渉<rt>かんしょう</rt></ruby>してはなりません、<ruby>イレギュラー<rt>いれぎゅらー</rt></ruby>。彼女は今、<ruby>自<rt>みずか</rt></ruby>らの<ruby>記憶<rt>きおく</rt></ruby>と<ruby>使命<rt>しめい</rt></ruby>を<ruby>取<rt>と</rt></ruby>り<ruby>戻<rt>もど</rt></ruby>そうとしているのです』


『エデン、そしてこのG-7<ruby>区域<rt>くいき</rt></ruby>は、そのための<ruby>実験場<rt>じっけんじょう</rt></ruby>であり、<ruby>調律者<rt>ちょうりつしゃ</rt></ruby>たちの<ruby>育成<rt>いくせい</rt></ruby>・<ruby>選別<rt>せんべつ</rt></ruby><ruby>施設<rt>しせつ</rt></ruby>でした。しかし、プロジェクトは<ruby>予期<rt>よき</rt></ruby>せぬ<ruby>事態<rt>じたい</rt></ruby>により<ruby>頓挫<rt>とんざ</rt></ruby>。多くの<ruby>機能<rt>きのう</rt></ruby>が<ruby>停止<rt>ていし</rt></ruby>し、あなたもまた、<ruby>長<rt>なが</rt></ruby>い<ruby>眠<rt>ねむ</rt></ruby>りについていたのです。…<ruby>再起動<rt>さいきどう</rt></ruby>される、その<ruby>時<rt>とき</rt></ruby>まで』


 イヴが見たという、白い部屋、たくさんのアニマ・マキナ、そして「選別」と「破棄」という言葉。全てが、この声の主の言葉と繋がった。イヴは、多くの犠牲と、そして途方もない使命を背負って生み出された存在だったのだ。


「あ……ああ……っ!」

 イヴの口から、苦悶の声が漏れる。彼女の頭の中に、封印されていた膨大な記憶と、課せられた使命の重圧が、濁流のように流れ込んでいるのだろう。その青い瞳からは、再び透明な雫が止めどなく溢れ出し、頬を伝っていく。


 アタシは、何もできずに、ただイヴの背中を見守ることしかできなかった。歯を食いしばり、拳を握りしめる。プロとして、何とかしてやりたい。でも、これはイヴ自身が乗り越えなければならない試練なのかもしれない。


 やがて、イヴの震えが少しずつ収まってきた。彼女はゆっくりと顔を上げ、中央の球体を見据える。その瞳には、もう混乱の色はない。深い悲しみと、しかしそれ以上に強い、鋼のような決意の光が宿っていた。


「……私は……思い出した……。私が、何をすべきなのかを……」

 イヴの声は、震えていたが、確かだった。

「私は、調律者イヴ。この星の未来のために、このレクイエムを……完成させる」


 その言葉に呼応するように、中央の球体が、これまで以上に強い光を放ち始めた! 部屋全体が激しく振動し、壁面のパネルが一斉に起動する!


『…<ruby>最終<rt>さいしゅう</rt></ruby>プロトコル、<ruby>起動<rt>きどう</rt></ruby><ruby>準備<rt>じゅんび</rt></ruby><ruby>完了<rt>かんりょう</rt></ruby>。<ruby>調律者<rt>ちょうりつしゃ</rt></ruby>イヴ、あなたの<ruby>指示<rt>しじ</rt></ruby>を<ruby>待<rt>ま</rt></ruby>っています』

 声の主が、厳かに告げる。


 イヴの体が、淡い光のオーラのようなものに包まれる。彼女のアニマ・マキナとしての能力が、最大限に引き出され、覚醒しようとしているのが分かった。これが、調律者としての、本当の姿なのか…!


 しかし、その時だった。

 ドォォォン!!!

 塔全体を揺るがすような、巨大な爆発音が、外部から響き渡ってきたのだ! 同時に、部屋の警告ランプが激しく点滅し始める!


『<ruby>警告<rt>けいこく</rt></ruby>! <ruby>外部<rt>がいぶ</rt></ruby>より<ruby>高<rt>こう</rt></ruby>エネルギー<ruby>反応<rt>はんのう</rt></ruby>! <ruby>塔<rt>とう</rt></ruby>の<ruby>構造<rt>こうぞう</rt></ruby>に<rt>に</rt></ruby><ruby>深刻<rt>しんこく</rt></ruby>なダメージ!』

 声の主が、焦ったような響きで警告する。


「チッ、やっぱりすんなりとは行かねえってか! 今度は何だよ!」

 アタシは悪態をつき、部屋の入り口へと駆け寄る。扉の向こう、下層階から、何かが急速に迫ってくる気配を感じる。それは、エデンのガーディアンとも、ミュータントとも違う、もっと組織的で、強力な……。


 イヴは、覚醒したばかりの力と、背負ったばかりの使命を胸に、アタシの隣に並び立った。その瞳には、もう迷いはない。

「レン、行きましょう。私たちの未来のために」


 アタシたちの運命は、そしてこのぶっ壊れた世界の未来は、どこへ向かうのか。

 激動の予感が、嵐のようにアタシたちを包み込んでいた。

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