第28話 上昇する箱舟と、導かれる魂

 黒い塔の深奥へと続く、エレベーターシャフトと思われる暗い縦穴。アタシたちは、その不気味な入り口の前に立っていた。先ほど見た記録映像と、そこで語られた「調律者」や「プロジェクト・レクイエム」という言葉が、重くアタシの心にのしかかる。そして何より、イヴが自身の過去と向き合おうとしている、その悲痛なまでの決意が、アタシの胸を締め付けた。


「…大丈夫か、イヴ? 本当に行くんだな? 無理してねえか?」

 アタシは、まだ涙の跡がうっすらと残るイヴの顔を覗き込むようにして尋ねた。プロとして、相棒のコンディションを見極めるのは当然の義務だ。


 イヴは、アタシの気遣いに気づいたのか、一度深く息を吸い込み、そして、力強く頷いた。

「はい、レン。もう、迷いません。私自身のためにも…そして、レンが一緒にいてくれるなら」

 その青い瞳には、不安を乗り越えようとする強い光が宿っていた。


「…チッ、当たり前だろ。どこへ行こうと、アタシがついててやるよ」

 アタシはぶっきらぼうに答え、エレベーターの呼び出しボタンらしきパネルに手を伸ばした。旧時代のものだが、まだかろうじて動力は生きているようだ。重々しい金属音と共に、シャフトの奥から、箱型の昇降ケージがゆっくりと姿を現した。


 アタシたちは、無言でエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まると、完全な密室となる。ひんやりとした金属の壁に囲まれ、アタシたちの息遣いだけがやけに大きく聞こえた。


 ゴウン、という低い駆動音と共に、エレベーターがゆっくりと上昇を始めた。窓はない。ただ、壁の継ぎ目から漏れる 희미한 빛이、上昇する速度と方向を辛うじて示しているだけだ。


 どれくらい時間が経っただろうか。沈黙が重くのしかかる。

「レン」

 不意に、イヴがアタシの名を呼んだ。

「この塔の上層階は、下層階とは異なるエネルギーフィールドで保護されているようです。先ほどから感知されるエネルギー反応の質が、徐々に変化しています。より強力で…そして、どこか純粋な…まるで、エデンの中心にあったクリスタルに近い性質のエネルギーです」

「…クリスタルに、近い?」

 アタシは眉をひそめる。あの忌々しいクリスタルが、この塔の上にもあるというのか?


 エレベーターの中、二人きりの空間。アタシは、隣に立つイヴの手を、そっと握った。ひんやりとした、でも滑らかな感触。

「…無理すんなよ。いつでもアタシを頼れ。プロは、相棒のピンチを見過ごしたりしねえ」

「……ありがとうございます、レン」

 イヴは、アタシの手を弱々しく握り返してきた。そして、少しだけ安心したように、ふっと息を吐く。

「レンがいてくれるから……私は、大丈夫です。どんな真実が待っていようと、きっと…」


 その言葉に、アタシは何も言わず、ただ強く手を握り返した。イヴは深呼吸を繰り返し、精神を集中させているようだった。少しずつ、彼女の瞳に、いつもの冷静な分析者の光が戻り始めていた。だが、時折、遠くを見るような、何かを思い出そうとしているような、そんな儚げな表情も見せる。


 長い、長い上昇の後、エレベーターはついに、静かにその動きを止めた。

 ゴウン、という最後の駆動音と共に、目の前の扉がゆっくりと左右に開いていく。


 扉の先に広がっていたのは、これまでの下層階の、暗く埃っぽい不気味な雰囲気とはまるで違う空間だった。

 壁も床も、まるで磨き上げられた黒曜石のように滑らかで、そこから淡い青白い光が滲み出ている。空気は信じられないほど澄み切っており、どこか神聖さすら感じさせるような、静謐な空気が満ちていた。まるで、旧時代の巨大な研究施設の中枢、あるいは、どこか別の世界の神殿にでも迷い込んだかのような、荘厳な空間。


「……なんだ、ここは……」

 アタシは、思わず息をのんだ。下層階とは、あまりにも違う。


 通路を進むと、やがてアタシたちは、ひときわ巨大な、円形の扉の前にたどり着いた。扉の表面には、見たこともない複雑な紋章のようなものが刻まれており、そこがこの塔の中でも特に重要な場所であることを示している。ここが、記録にあった「中央制御室」、あるいは「調律者の間」なのかもしれない。


 イヴは、その扉の前に立つと、再び、はっと息を呑み、自分の胸を強く押さえた。

「……ここ……です……レン……」

 その声は、震えていた。

「この場所が……私を……呼んで、います……強く……!」


 彼女の青い瞳が、激しい光と、奔流のように押し寄せる記憶の断片に、大きく揺れている。苦痛と、困惑と、そして何かを知ってしまうことへの恐怖。それでも、イヴは扉から目を逸らさなかった。


 そして、まるでアタシたちを待ち受けていたかのように。

 キィィ……ン、という微かな金属音と共に、その巨大な円形の扉が、ゆっくりと、内側へと開き始めた――。


 扉の奥から漏れ出してくるのは、さらに強い、純粋なエネルギーの奔流。そして、何か、途方もなく大きな存在の気配。


 アタシは、イヴの手を強く握りしめた。

「行くぞ、イヴ。何があっても、アタシがそばにいる」

「…はい、レン」


 アタシたちは、ゴクリと喉を鳴らし、開かれた扉の奥へと、覚悟を決めて足を踏み入れた。

 この先に何が待っているのか、まだ分からない。だが、全ての謎の答えが、そしてイヴの真実が、そこにある。そんな確信だけが、アタシたちの胸の中にあった。

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