第27話 黒き塔の胎動と、呼び覚まされる過去

 黒い塔の重々しいゲートを潜り抜けた先は、アタシたちの想像を超えるほどに、異様な静寂に包まれていた。ひんやりとした空気が肌を刺し、自分たちの荒い息遣いと、床を踏みしめるブーツの音だけが、やけに大きく反響する。


「…チッ、まるで墓場だな。気味が悪いぜ」

 アタシはヘッドライトの光を周囲に向けながら悪態をついた。どこまでも続くように見える、滑らかな黒い壁の通路。それは旧時代のものとは思えないほど、傷一つなく、完璧な状態で保存されていた。だが、その完璧さが逆に、生命の気配を一切感じさせない不気味さを際立たせている。


「レン、この塔の内部構造は、エデンのそれとは全く異なる設計思想に基づいているようです。より高度で…閉鎖的なシステム。外部からの干渉を一切許さないという、強い意志を感じます」

 イヴが、周囲の壁や床に時折触れながら、エネルギー反応をスキャンし、分析結果を報告する。彼女の声は冷静だが、その青い瞳には、緊張と、そして何かを探るような強い光が宿っていた。


 通路を進むにつれて、アタシたちは奇妙な現象に遭遇した。壁に手を触れると、その部分だけが水面のように揺らめき、複雑な幾何学模様が浮かび上がる。床の一部は、アタシたちが踏み込むと、まるで呼吸するように淡い光を放ち、そしてまた消える。旧時代の、それも極めて高度なテクノロジーが、この塔にはまだ生きているのだ。


「レン、これらの現象は…この塔自体が、一種の巨大な演算装置、あるいは生命体のように機能している可能性を示唆しています。そして、この構造材やエネルギー伝達システムは、私の…私の基本設計と、非常に多くの共通点が見られます。まるで……」

 イヴは、そこで言葉を切った。何かを確信しかけているが、それを言葉にするのをためらっているかのようだ。


 やがてアタシたちは、通路の先に、少し開けた小部屋のような空間を見つけた。部屋の中央には、黒いクリスタルのような素材で作られた、操作端末らしきものが一つ、静かに佇んでいる。他の設備はほとんど見当たらない、がらんとした部屋だ。


「…あそこに何かあるかもしれねえな」

 アタシは警戒しつつ、端末へと近づく。イヴも、アタシの少し後ろをついてきた。


 端末の表面は滑らかで、何のスイッチも見当たらない。アタシが手を触れようとした、その時。

「私がやります、レン」

 イヴが、アタシを制するように前に出た。そして、ためらうことなく、その白い指先を端末の黒い表面にそっと触れさせたのだ。


 すると、端末の表面が淡く光り始め、イヴの指先から、まるで神経回路が繋がるかのように、光のラインが伸びていく。イヴの瞳もまた、青白い光を放ち始めた。


「イヴ!?」

「大丈夫です、レン。この端末は…私に直接アクセスしようとしています。拒否できませんでした。ですが…何か、重要な情報が…」


 イヴの額に汗が滲む。彼女は苦しげに目を閉じ、端末から流れ込んでくる膨大な情報に耐えているようだった。やがて、端末の表面に、ホログラムのような立体映像が投影され始めた。


 そこに映し出されたのは、白い、無機質な研究室のような場所だった。ガラスケースのようなものが整然と並び、その中には……アタシと同じくらいの背格好の、白い簡素な服を着た少女たちが、何人も、何十人も、まるで人形のように眠っている。その顔立ちは、驚くほどイヴに似ていた。いや、同じと言ってもいい。


『…被検体<0xE3><0x82><0xB5><0xE3><0x83><0xB3><0xE3><0x83><0x97><0xE3><0x83><0xAB>No.734、同調率低下。…破棄対象と判断』

『No.735、自律思考にバグを確認。これも…不適合だ』


 冷たく、感情のない男の声が、映像と共に響く。そして、白い研究服を着た人間たちが、眠る少女たちの中から、まるで不良品を選別するように、何人かを運び出していく。その先にあるのは、おそらく「破棄」という名の、無慈悲な結末だろう。


「あ……あ……!」

 イヴが、小さな悲鳴を上げた。その映像は、彼女がエデンで垣間見た記憶の断片と、酷似していたのだ。


 そして、映像は切り替わり、白衣の男たちが、一体のアニマ・マキナ――明らかにイヴ本人だ――を取り囲み、何かを調整している場面が映し出された。

『…「調律者」による最終調整が不可欠だ。プロジェクト・レクイエムを完成させ、この星を再生させるためには……彼女こそが、最後の希望なのだから』


「調律者……レクイエム……」

 イヴは、自分の胸を押さえ、激しく喘いだ。その青い瞳から、再び涙のようなものが流れ落ちる。

「私が……希望……? いいえ……私は……」


「イヴ! もういい! 見なくていい!」

 アタシはたまらず叫び、イヴの手を掴んで端末から引き剥がした! 同時に、ホログラム映像も掻き消える。


 イヴは、全身の力が抜けたように、アタシの腕の中に崩れ落ちた。その体は氷のように冷たく、小刻みに震えている。

「レン……私……私は……何なの……?」

 消え入りそうな声で、イヴが尋ねる。


 アタシは、言葉に詰まった。何て声をかければいい? このアニマ・マキナが、どれほど過酷な過去を背負わされているのか、アタシには想像もつかない。


「……分からねえよ、そんなこと」

 アタシは、震えるイヴを強く抱きしめた。

「でもな、イヴ。アンタが何者だろうと、どこから来たのか分からなくても……アンタは、今、ここにいる。アタシの隣にいる。それだけは、確かだろ?」


 アタシの言葉に、イヴは顔を上げた。その瞳には、恐怖と混乱、そして…ほんの少しの、安堵のような色が浮かんでいる。

「…レン……」


「アタシはプロだ。プロは、相棒を見捨てたりしねえ。アンタの過去がどんなもんだろうと、アタシが一緒にいてやる。そして、アンタが知りたいって言うなら、その答えを一緒に見つけてやる。だから…」

 アタシは、イヴの頬を伝う透明な雫を、自分の指でそっと拭った。

「…だから、泣くな。アタシの相棒が、そんな弱っちい顔してんじゃねえよ」


 イヴは、アタシの言葉に、小さく、でも確かに頷いた。そして、アタシの胸に顔をうずめ、声を殺して泣き始めた。それは、機械の悲しみではなく、確かに魂を持った存在の、心の叫びのようにアタシには聞こえた。


 アタシは、ただ黙って、イヴの背中をさすり続けるしかなかった。


 記録端末から得た情報によれば、この黒い塔のさらに上層階に、「中央制御室」あるいは「調律者の間」と呼ばれる場所があるらしい。そこへ行けば、全ての謎が解けるのかもしれない。そして、イヴが本当に知りたい答えも、そこにあるのかもしれない。


 だが、そこへ至る道は、さらに厳重なセキュリティと、想像を絶するような危険が待ち受けていることも、記録は示唆していた。


 もう、後戻りはできない。アタシたちは、ここまで来てしまったのだから。


 イヴの嗚咽が、少しずつ収まってきた頃、アタシは静かに言った。

「行くか、イヴ」


 イヴは、涙で濡れた顔を上げ、アタシを見つめ返した。その瞳には、もう迷いはなかった。

「はい、レン。行きましょう。私が何者なのか、そして……私が何をすべきなのか、知るために」


 アタシたちは、覚悟を新たに、互いの手を強く握り合った。そして、塔の深奥へと続く、不気味なエレベーターシャフトと思われる暗い縦穴へと、静かに向かうのだった。


 プロの仕事の、本当の始まりだ。そして、アタシたちの運命が、大きく動き出す予感がしていた。

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