第24話 歪みの底の休息と、繋がれた意志
G-7区域の、歪んだ時空の狭間。アタシたちは、巨大な結晶質の岩がシェルターのように覆いかぶさる、比較的空間の歪みが少ない場所を見つけ、そこで束の間の休息を取っていた。ラピッドフェザーを岩陰に隠し、アタシは小さな焚火をおこす。燃料は残り少ないが、この不気味な静寂と冷え込みの中では、炎の揺らめきが何よりの慰めになった。
イヴは、岩壁に背をもたせ、静かに目を閉じていた。さっき遭遇したクラゲ型のミュータントとの戦闘と、この区域の異常な環境からの干渉で、彼女のシステムには相当な負荷がかかったのだろう。顔色はまだ青白く、時折、苦痛を堪えるように眉根を寄せている。
「…大丈夫か、イヴ? 少しはマシになったか?」
アタシが声をかけると、イヴはゆっくりと目を開けた。その青い瞳には、疲労の色が浮かんでいる。
「はい、レン。…システムへの干渉波は依然として観測されますが、自己修復プログラムにより、機能は安定化の兆候を見せています」
そう答える声は、いつもの冷静さを保とうとしているが、微かに震えている。
「それと……先ほどから断続的にアクセスしてくる、ノイズのようなイメージデータについてですが…」
イヴは、躊躇いがちに言葉を続けた。
「白い…部屋のような場所が見えます。たくさんの…私と同じような…いえ、違う…まだ眠っている状態の、アニマ・マキナが並んでいる…そんな光景が…」
「アニマ・マキナが、たくさん…?」
アタシは息を呑んだ。イヴのような存在が、他にもいるというのか?
「そして…誰かの声が聞こえます。『調整…完了…』『レクイエムの…ために…』…それが何を意味するのか、私にはまだ理解できません。これは私の失われた記憶の一部なのでしょうか? それとも、このG-7区域自体が発している、過去の記録…ナゴリのようなものなのでしょうか…」
イヴは混乱したように、自分の頭を押さえた。その姿は、高性能なアニマ・マキナというよりも、自分の出自を知らずに苦悩する、ただの少女のように見えた。
アタシは顔をしかめた。エデン、プロジェクト・レクイエム、調律者、そしてG-7区域。イヴが見たという、白い部屋と多くのアニマ・マキナ。全てが、旧時代の忌まわしい計画と、そしてイヴ自身の存在に繋がっている気がしてならなかった。このままこの危険な場所を進むことは、イヴをさらに危険な状態に晒すことになるのかもしれない。
「…イヴ」
アタシは意を決して言った。
「やっぱり、ここは引き返した方がいいかもしれねえ。アタシはプロだ。プロは、無謀な賭けには乗らない。今の状況は、リスクが高すぎる」
それが、運び屋レンとしての、冷静な判断のはずだった。だが――
「いいえ、レン」
イヴは、静かに、しかしきっぱりとした口調で首を振った。
「私は、行きたいです」
その青い瞳が、真っ直ぐにアタシを射抜く。
「自分のことを、そしてこの場所のことを、もっと知りたい。なぜ私が作られたのか、なぜ永い間眠っていたのか……その答えが、この先にあるような気がするんです」
そして、イヴはアタシの手を取った。ひんやりとしているけれど、確かな力が籠っている。
「それに……レンと一緒なら、きっと大丈夫です。私たちは、もう一人ではありませんから」
その言葉と、握られた手の感触。アタシの迷いは、霧が晴れるように消え去った。そうだ、アタシたちは相棒なんだ。こいつが前に進みたいと言うなら、アタシがその道を切り開く。それが、アタシの流儀だ。
「……チッ、仕方ねえな」
アタシは、照れ隠しにわざと悪態をついた。
「オマエがそこまで言うなら、付き合ってやるよ。ただし、絶対に無理はすんな。プロの勘が『ヤバい』って言ったら、すぐに引き返す。いいな?」
「はい、レン。約束します」
イヴの顔に、ふわりと柔らかい微笑みが浮かんだ。その笑顔を見ると、アタシの胸も温かくなる。
「それに、何かあったら、アタシがオマエを絶対に守る。プロの約束だ」
アタシは、握られたイヴの手に、自分の手を重ねて力を込めた。
短い休息を終え、アタシたちは再びバイクに跨った。目的地は、まだ見えないG-7区域のさらに奥。イヴのナビゲートに従い、アタシはラピッドフェザーを慎重に、しかし迷いなく進ませる。
空間の歪みは相変わらずで、気を抜けば平衡感覚を失いそうだ。だが、アタシたちの連携は、以前にも増してスムーズになっていた。イヴが歪みのパターンを予測し、アタシがプロのバイクテクニックでそれを切り抜ける。
進むにつれて、周囲の景色はさらに異様さを増していった。地面には亀裂が走り、そこから青白い光が漏れ出している場所がある。空を見上げれば、オーロラのように揺らめく、七色の光の帯が見える。旧時代のものとは思えない、まるで異世界の風景に迷い込んだかのようだ。壁面には、意味不明な幾何学模様が刻まれ、まるで生きているかのように微かに脈打っているようにも見える。
「…なんだってんだ、ここは……本当に地球なのかよ…」
アタシは、目の前の光景に圧倒されながら呟いた。
「レン、前方、約5キロメートル地点に、極めて強いエネルギー反応を感知。おそらく、それがこの区域の中心部…あるいは、何らかの施設の入り口である可能性が高いです」
イヴが報告する。
その方角に目を凝らすと、歪んだ大気の向こうに、天を突くようにそびえ立つ、巨大な黒い塔のようなものが見えた。それは、まるでこの異常な領域全体を支配するかのように、不気味な威圧感を放っている。
あれが、G-7区域の中心?
『調律者』や『プロジェクト・レクイエム』の手がかりが、あそこにあるのか?
そして、イヴの記憶の断片と、どう繋がっているのか?
新たな謎と、より大きな危険の予感。それを胸に、アタシたちは未知の中心地へと、さらに深く足を踏み入れていく。プロとして、相棒と共に、真実を確かめるために。
歪んだ星々が、アタシたちの行く末を、嘲笑うかのように、不気味な光を放っていた。
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