第19話 崩壊の残響と、繋がれた手の温もり
凄まじい轟音と振動。アタシは旧式の脱出艇の操縦桿を必死に握りしめ、噴き上がる煙と粉塵の中から機体を上昇させた。窓の外、眼下には、巨大なドーム状の建造物――エデンが、まるで怒れる巨人の断末魔のように、地響きを立てながら崩壊していく光景が広がっていた。
「……すげえ……本当に、崩れちまった……」
呆然と、アタシは呟いた。旧時代の、途方もない技術と、おそらくは多くの人々の夢や野望、そして悲劇が詰まっていたであろう場所が、今、目の前で瓦礫の山へと還っていく。あっけない、と言えば嘘になる。アタシたちが、その崩壊の引き金を引いてしまったのかもしれないのだから。
「レン、機体に複数の損傷を確認。おそらく脱出時の衝撃によるものです。長距離の安定飛行は困難かと」
隣のシートで、イヴが冷静に計器類をチェックしながら報告した。彼女の声は落ち着いているように聞こえるが、その顔色はまだ少し青白い。
「チッ、やっぱりポンコツか、この脱出艇も。仕方ねえ、近くにどこかマシな場所……」
アタシは周囲を見渡し、エデンの影響圏から十分に離れた、比較的平坦な岩場が広がるエリアを見つけた。
「イヴ、あそこに不時着するぞ! 衝撃に備えろ!」
「了解しました」
アタシは慎重に機体を降下させ、多少の揺れと衝撃はあったものの、なんとか無事に脱出艇を荒野の岩場に着陸させた。エンジンを止めると、先ほどまでの轟音が嘘のような、絶対的な静寂が訪れる。風の音だけが、ひゅう、と寂しく吹き抜けていった。
「……はぁ……助かった……のか? アタシたち……」
操縦桿を握りしめていた手の力が抜ける。全身に、どっと疲労感が押し寄せてきた。
「はい、レン。生存を確認しました。あなたの的確な操縦技術と判断のおかげです」
イヴが、静かに言った。その声には、安堵のような響きが感じられた。
アタシたちは、互いの顔を見合わせた。埃と汗にまみれ、服も所々が破れている。満身創痍だ。それでも、生きている。この、ぶっ壊れた世界で、アタシたちはまだ、生きている。
安堵したのも束の間だった。隣のイヴが、ふらり、と体を傾かせ、苦しそうに額を押さえたのだ。
「イヴ!? おい、大丈夫か!?」
アタシは慌てて駆け寄り、彼女の肩を支える。イヴの体は微かに震えていた。
「……少し、システムに過負荷がかかったようです……それに……また……頭の中に、断片的なイメージが……白い、部屋……優しい、声……でも、なにか、とても悲しい……」
イヴは、途切れ途切れに、混乱した様子で呟く。エデンでの、あのクリスタルとの共鳴。そして、ケルベロスへの干渉。アニマ・マキナである彼女の精密なシステムに、相当な負荷がかかったのだろう。そして、その影響で、封印されていたかもしれない過去の記憶の断片が、蘇りかけているのかもしれない。
こいつは一体、どこで、何のために作られたんだ? エデンと、どういう関係があるんだ? 疑問が次々と湧き上がってくる。
「……無理すんな。今はとにかく休め」
アタシは、そんな疑問を心の奥に押し込めて、イヴを脱出艇のシートにそっと座らせた。水筒に残っていた水を少しずつ飲ませ、自分の着ていた革ジャケットを、彼女の肩にかけてやる。
そして、少しだけ躊躇った後、アタシは、そっとイヴのプラチナブロンドの頭を撫でた。絹糸のように滑らかな髪。その下に隠された、複雑な電子頭脳と、そして……芽生え始めたばかりの、人間のような心。
「アンタのことは、アタシがちゃんと守ってやるから。プロとしてな。…だから、今は何も考えずに休め」
その言葉と、アタシの手の温かさに、イヴは少しだけ驚いたように目を見開いた。けれど、すぐに安心したように、ゆっくりと目を閉じた。その表情は、アタシが初めて見るような、とても穏やかで、無防備なものだった。
(……守る、か)
口では簡単に言ったが、果たしてアタシにそんなことができるのだろうか。エデンのような場所が、この世界のどこかにまだ存在するのかもしれない。イヴの過去や、彼女が持つかもしれない秘密を狙って、また別の脅威が襲ってくるかもしれない。アタシは、ただのしがない運び屋だ。プロを自称してはいるけれど、しょせんはまだガキだ。
それでも。アタシは、このアニマ・マキナを、イヴを守りたいと、強く思った。それはもう、プロとしての責任感とか、高く売れるかも、とか、そんな打算じゃない。もっとずっと、個人的で、切実な想いだ。
しばらくの間、アタシたちは脱出艇の中で休息を取った。イヴは静かに目を閉じたままだったが、呼吸は安定しているようだ。アタシは、エデンで回収したデータディスク(ケルベロスを倒した後、混乱の中で咄嗟に掴んでいたのだ)を眺めながら、今後のことを考えた。
このディスクには、一体どんな情報が入っているのか? エデンの、そしてイヴの秘密が記されているのか? そして、アタシたちはこれから、どこへ向かえばいいのか?
(…とりあえず、どこか安全な場所で、ちゃんと体制を立て直すのが先決だな)
日が傾き始め、空がオレンジ色に染まってきた頃、イヴがゆっくりと目を開けた。
「……レン……」
「…おう。気分はどうだ?」
「はい。もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
まだ少し顔色は悪いが、瞳にはいつもの理知的な光が戻っている。
「レン、今後の行動方針についてですが…」
「ああ、それなんだがな」
アタシは立ち上がり、イヴに向かって手を差し伸べた。
「とりあえず、ここを出て、どこかマシな寝床を探そうぜ。話はそれからだ」
イヴは、差し出されたアタシの手を少しだけ見つめた後、静かに自分の手を重ねてきた。その手は、まだ少しだけ冷たかったけれど、確かな存在感があった。
アタシたちは、旧式の脱出艇を後にし、再び荒野へと足を踏み出した。空を見上げると、エデン周辺を覆っていた異様な暗雲は消え去り、見慣れた、どこまでも続く荒野の空が広がっている。けれど、世界が元通りになったわけじゃない。アタシたちの旅は、まだ終わっていないのだ。
「行くぞ、相棒」
アタシは、繋いだ手に力を込めて、力強く言った。
イヴもまた、その手を強く握り返してきた。
「はい、レン」
未来はまだ、何も見えない。どこへ向かうのかも分からない。
けれど、隣にいるこの温かい手の感触だけが、アタシが進むべき道を照らす、唯一の道標だった。
アタシたちの、本当の意味での「二人だけの旅」が、今、ここから始まる。
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