第14話 歪む境界と、重なる鼓動

 未知の遺跡「エデン」を目指す旅は、明らかに新たな段階へと入っていた。交易ポイント跡を後にしてから数日、アタシたちが進む荒野の風景は、徐々にその様相を変え始めていたのだ。


 空は、晴れているはずなのに、どこか常に薄暗く、まるで巨大なフィルターがかかっているかのようだ。地面には、赤茶けた土に混じって、ガラス質化したような黒い砂利や、奇妙な光沢を放つ鉱石のようなものが目立つようになった。そして、生えている植物もおかしい。葉脈が銀色に光る歪んだ低木や、夜になると燐光を発するらしい巨大なキノコのようなものが、あちこちに群生している。


「…チッ、やっぱり嫌な感じだな、この辺りは。空気が…なんていうか、ピリピリする」

 アタシはバイクのハンドルを握りしめながら呟いた。実際に、微弱な電磁波のようなノイズが常に肌を刺激し、ラピッドフェザーの計器類も時折おかしな数値を表示するようになっていた。


「はい、レン。周辺環境のデータに複数の異常値を検出しています。大気組成、磁場、放射線レベル…いずれも旧時代の記録とは大きく異なります。おそらく、エデンと呼ばれる施設の影響が広範囲に及んでいる可能性が高いです」

 後ろに乗るイヴが、冷静に分析結果を報告する。その声には、僅かながら警戒の色が滲んでいた。


 その時だった。前方の岩陰から、何かが高速で飛び出してきた! それは、これまでに見たどのミュータントとも違う、奇妙な姿をしていた。豹のようなしなやかな体に、カマキリのような鋭い鎌状の前足を持ち、そして何より、その体が周囲の景色に溶け込むように、カメレオンのように体色を変化させている!


「光学迷彩かよ! クソッ!」

 アタシは咄嗟にバイクを急旋回させ、襲い掛かってきた鎌をかわす! プロでも、これは厄介だ!


「レン、敵の名称はデータベースにありません! 未知のミュータントです! 動きは極めて俊敏、体表の変化による擬態能力を確認!」

 イヴが叫ぶ。


 アタシはオートマチックを抜き放ち、姿が見え隠れする敵影に向けて牽制射撃を行う。だが、敵は素早く動き回り、なかなか照準を定めさせない。おまけに、時折、姿を完全に消してしまうのだ!


「どこ行きやがった!?」

 焦りが募る。こういう時こそ冷静に、プロは…!


「レン、敵は熱源反応を追尾している可能性があります! 右前方、岩場の影に潜んでいます!」

 イヴの声が飛ぶ。その瞬間、岩陰から再びミュータントが飛び出してきた!


「そこか!」

 アタシはバイクをドリフトさせながら、予測地点に向けて発砲! 数発が敵の体表を掠めるが、硬い外皮に弾かれているようだ。


「ダメか! 硬えな、こいつ!」

「レン、敵の行動パターンを分析中…! 攻撃の瞬間、擬態が僅かに解けるようです! そこが狙い目かと!」


 イヴの分析を信じるしかない! アタシはバイクでミュータントを引きつけ、わざと隙を見せるように動く。敵が再び鎌を振りかぶって襲い掛かってきた、その瞬間! 確かに、一瞬だけ敵の輪郭がはっきりと見えた!


「もらった!」

 アタシは渾身の集中力で狙いを定め、トリガーを引いた! 放たれた弾丸は、ミュータントの急所――おそらく頭部――に正確に命中し、甲高い悲鳴と共に、その動きを完全に止めた。


「…はぁ…はぁ……やったか……」

 バイクを止め、息を整える。冷や汗が止まらない。

「…助かったぜ、イヴ。さすがアタシの相棒だ。アンタがいなけりゃ、危なかった」

 素直な感謝の言葉が口をついて出た。


「いいえ、レン。これは私たちの連携による成果です」

 イヴは静かに答えた。


 しかし、安堵したのも束の間だった。

 激しい戦闘の疲労と、この異様な環境の影響だろうか。アタシの頭の中に、突然、あの忌まわしい過去の光景が、ノイズ混じりの映像のようにフラッシュバックしたのだ。


 ―――炎、悲鳴、血の匂い、そして、守れなかった仲間の、最後の顔……。


「うわっ……!」

 思わず、バイクのハンドルを取り落としそうになる。視界がぐらつき、呼吸が浅くなる。ダメだ、思い出すな。プロは、過去に囚われちゃいけない……!


「レン!?」

 アタシの異変に、イヴが鋭く声を上げた。そして、バイクの後部座席から、アタシの体を強く抱きしめるようにして支えてきたのだ。


「レン、しっかりしてください! 今に集中して! 過去ではありません、今、ここに私がいます!」


 イヴの必死な声。背中に感じる、確かな温もりと存在感。それが、悪夢に引きずり込まれそうになっていたアタシの意識を、強く現実に引き戻してくれた。


「……イヴ……」

「大丈夫です、レン。大丈夫……」


 イヴは、アタシを抱きしめる腕の力を緩めない。その温かさが、冷え切っていた心を少しずつ溶かしていく。アタシは、自分の弱さをこのアニマ・マキナに見せてしまったことに、激しく動揺していた。プロ失格だ。こんなんじゃ……。


「……怖いんだ……」

 気づけば、そんな言葉が、震える声で漏れていた。

「また……失うのが……。守れなかったらって……思うと……」


 プロとして、決して口にしてはいけないはずの弱音。それを、アタシはこのアニマ・マキナの前で、初めて吐き出してしまっていた。


 イヴは、何も言わずに、ただアタシの言葉を聞いていた。そして、ゆっくりと、でも力強い声で言った。

「大丈夫です、レン。私たちは、もう失いません」


 その声には、不思議な説得力があった。

「私たちは二人です。私がレンを、レンが私を。互いに守り合えばいい。そして、一緒に未来へ行きます」


 未来へ、行く。

 その言葉が、アタシの心に強く響いた。


 アタシは、イヴの腕の中で、小さく頷いた。もう、強がる必要はないのかもしれない。こいつの前では。


 しばらくして、アタシはようやく落ち着きを取り戻した。イヴも、そっと体を離す。その青い瞳には、深い優しさの色が浮かんでいた。


「……悪かったな、イヴ。もう平気だ」

「はい。いつでも、私がいますから」


 アタシたちは、再びバイクに跨った。目の前には、さらに異様さを増した景色が広がっている。そして、その先に、巨大なドーム状の建造物の一部らしきものが、霞んで見えていた。あれが、エデン……?


 周囲の空気は、さらに重く、濃密な気配を漂わせている。そこが、尋常な場所ではないことを、肌で感じていた。


 アタシは、イヴの存在を背中に感じながら、バイクのアクセルをゆっくりと開けた。いよいよ、未知の遺跡への挑戦が始まる。不安がないわけじゃない。でも、もう一人じゃない。


 アタシの隣には、最高の相棒がいるのだから。

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