第13話 エデンへの道標と、肩先の重み

 セクター・ガンマの巨大な壁が、もうすっかり見えなくなってから数日が過ぎた。アタシとイヴは、再び荒野の人となっていた。目指すは、旧時代の気象観測所でその存在を知った、未知の遺跡「エデン」。手元にあるのは、イヴが解析した断片的なデータと、大まかな方角だけ。正直、本当にたどり着けるのかどうか、プロのアタシでも確信は持てなかった。


「…なあ、イヴ。そのエデンって場所、本当にこの方角で合ってんだろうな?」

 ラピッドフェザーを走らせながら、後ろのイヴに尋ねる。

「はい、レン。観測所のデータに基づけば、この進行方向に旧時代の研究施設群が存在した可能性が最も高いです。ただし、記録は数十年以上前のものであり、地形の変化や情報の欠落は考慮に入れる必要があります。到達確率は…現時点で約68パーセントと算出されます」

「ろくじゅーはちぃ? おいおい、プロの仕事としては、ちと心許ない確率じゃねえか…」

 アタシは思わずぼやく。まあ、何の情報もないよりはマシか。


「それに、レン。周辺データによれば、この先のルート上には、かつて交易ポイントとして機能していた小規模な集落跡が存在します。補給、及び情報収集のために立ち寄ることを推奨します」

「交易ポイント、ねえ…。まあ、どのみち水と食料は補充しねえとだしな。寄ってみるか」


 イヴの提案に従い、アタシたちは寂れた交易ポイント跡へと進路を取った。辿り着いた場所は、かつての賑わいが嘘のように、ほとんど廃墟と化していた。辛うじて数軒の店(というより掘っ立て小屋)が営業しており、数人のうらぶれた人々が所在なげに行き交っているだけだ。


「…チッ、こりゃ期待できそうにねえな」

 バイクを降り、アタシは辺りを見回す。それでも、わずかな望みを託して、一番マシそうな酒場兼雑貨屋のような店に入り、店主にエデンについて尋ねてみた。


「エデン…? ひひっ、嬢ちゃん、そんな場所を探してるのかい? やめときな」

 皺くちゃの顔で、店主の老人が笑った。

「あそこは呪われた場所だよ。旧時代の亡霊どもが巣食ってるって噂だ。近づいた者は、二度と帰ってこないってねぇ…」

 他の客たちも、エデンの名を聞いて顔を曇らせ、口々に不吉な噂を語る。具体的な情報は何も得られなかったが、この辺りの人々にとって、エデンが相当に危険な場所だと認識されていることだけは確かだった。


(呪われた場所、ね…プロとしては、そういう方が逆に燃えるってもんだが…)

 内心で強がりつつも、少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。


 店の外で待っていたイヴと合流し、状況を伝える。

「…どうやら、かなりヤバい場所らしいな、エデンってのは」

「はい。収集した情報からも、エデン周辺領域は原因不明の磁気異常や、未確認の生態系(ミュータント)の存在が示唆されています。危険度は当初の予測を上回る可能性があります」

 イヴは冷静に分析結果を述べる。


 その時、交易ポイントの片隅で、数人の子供たちが地面に座り込んで何かをいじっているのが目に入った。近づいてみると、それは壊れた旧時代の電子ペットのような玩具だった。電池が切れているのか、全く動かないそれを、子供たちは懸命に直そうとしているようだった。


 イヴは、その光景に興味を示したのか、子供たちの方へふらふらと歩いて行こうとした。

「レン、あれは何ですか? あの小さな機械は…」

「おい、やめとけって。ガキに関わると面倒なことになる」

 アタシは慌ててイヴの腕を掴んで引き止めた。子供たちは、突然現れた美しいイヴの姿に見とれて、ぽかんとしている。その無垢な視線が、なんだか居心地悪かった。


「でも、レン。あの機械、もしかしたら私なら…」

「いいから、行くぞ!」

 アタシはイヴを促し、その場を足早に離れた。イヴを守りたい、という気持ちと、面倒ごとに巻き込まれたくない、という気持ち。そして、子供たちの無邪気さが、自分の荒んだ日常と対照的で、少しだけ眩しく感じたのかもしれない。


 その夜も、荒野での野営となった。焚火の炎がパチパチと音を立て、乾燥した空気を暖めている。アタシは昼間手に入れた干し肉を炙りながら、交易ポイントで聞いたエデンの不穏な噂について考えていた。呪われた場所、旧時代の亡霊……。ただの迷信かもしれないが、火のない所に煙は立たない、とも言う。


 隣では、イヴが買ってもらったオルゴールを膝の上に置き、その小さなネジを巻いていた。澄んだ音色が、静かな夜の闇に響き渡る。その音色を聞いていると、ささくれだった心が少しだけ和らぐ気がした。


「レン」

 不意に、イヴが顔を上げた。

「不安ですか?」

 その青い瞳が、真っ直ぐにアタシを見つめてくる。


「…別に。プロはどんな状況でも冷静だ。不安なんて感じるかよ」

 アタシは、いつものように強がって答えた。けれど、イヴにはお見通しなのかもしれない。


 イヴは、オルゴールをそっと地面に置くと、静かにアタシの隣に座り直した。そして、次の瞬間、こてん、とアタシの肩に自分の頭を優しく預けてきたのだ。


「……っ!?」

 突然の行動に、アタシの体はまたしても硬直した。プラチナブロンドの滑らかな髪が、アタシの首筋をくすぐる。シャンプーのような、清潔で、どこか甘い匂いがした。


「な、何すんだよ、イヴ……!」

 慌てて体を離そうとするが、イヴは動かない。

「私もいます」

 静かな、でも確かな声が、耳元で囁かれた。

「レンと一緒なら、どんな場所でも、私は怖くありません。だから、レンも……」


 その言葉と、肩先に感じる確かな重みと温かさに、アタシは何も言えなくなってしまった。心臓が、馬鹿みたいにドキドキとうるさい。振り払うことなんて、もう、できるはずもなかった。


 イヴが解析した観測所のデータによれば、エデン周辺は特殊な磁場の影響で、アタシのバイクのナビゲーションシステムや、長距離通信が使えなくなる可能性が高いらしい。頼りになるのは、旧式のコンパスと、そしてイヴの情報処理能力だけだ。


「…まあ、アンタの情報が頼りだな、イヴ。しっかりナビゲートしろよ、プロの相棒としてな」

 アタシは、照れ隠しにそう呟いた。

「はい、レン。全力でサポートします」

 肩口で、イヴが小さく頷く気配がした。


 アタシたちは、しばらくの間、ただ黙って焚火の炎を見つめていた。エデンとは一体どんな場所なのか。そこで何が待ち受けているのか。不安がないわけじゃない。けれど、今はそれ以上に、隣にいるこのアニマ・マキナの存在が、アタシの心を強く支えてくれていた。


 空には、相変わらず二つの月(あるいは一つの月と、ひときわ明るい星)が、冷たく輝いている。アタシたちの旅路を、静かに照らしながら。


 未知の遺跡への挑戦。それは、アタシとイヴの絆を試す、新たな始まりなのかもしれない。アタシは、そっと肩先のイヴの頭に、自分の頬を寄せるようにして、夜空を見上げた。

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