第12話 契約の終わりと、相棒の選択
気象観測所跡で得た燃料と情報、そして何より、イヴとの間に生まれた確かな「相棒」としての感覚を胸に、アタシたちは再び荒野を走り始めた。目的地である居住区画――依頼書には「セクター・ガンマ」と記されていた――は、もう目前のはずだ。
数日間の山越えと荒野の疾走を経て、ついに巨大な壁が地平線に見えてきた。灰色で、無機質で、空に向かってそそり立つ威圧的な壁。それが、セクター・ガンマを外界から隔絶している境界線だった。クロスロードやダストピットのような、雑多で混沌とした集落とは明らかに違う、管理された気配が漂ってくる。
「…なんだか、息が詰まりそうな場所だな」
アタシはヘルメットの中で悪態をつく。こういう、きっちり管理された場所ってのは、どうにも性に合わない。自由がないし、面倒な規則も多そうだ。
「レン、ゲートが見えます。警備は厳重なようです。身分認証の準備を」
イヴが冷静に報告してくる。アタシは頷き、バイクの速度を落として、巨大なゲートへと向かった。
ゲートでは、武装した警備兵たちが厳しい視線を向けてきた。アタシは運び屋としての登録コードと、依頼主から預かっていた認証キーを提示する。警備兵の一人が、無言で端末を操作し、情報を照合している。その間、別の警備兵が、アタシの後ろに乗っているイヴに、探るような視線を送っているのが分かった。
「…チッ」
アタシはわざとらしく舌打ちし、警備兵を睨みつける。プロの運び屋に無礼な視線を向けるんじゃねえ、という無言の圧力だ。警備兵は少しだけ怯んだように視線を逸らした。やがて、端末を操作していた兵士が「…認証完了。通行を許可する」と告げた。重々しいゲートが、ゆっくりと開いていく。
セクター・ガンマの内部は、外観の印象通り、整然としていた。計画的に区画整理された道路、同じようなデザインの居住ブロック、そして、無表情に行き交う人々。活気はあるのかもしれないが、どこか管理され、統制された、息苦しい空気が漂っている。
アタシたちは、指定された配達先――区画の中心部にある、病院か研究所のような白い巨大な建物――へと向かった。入り口で再び身分照会を受け、案内された部屋には、無表情な役人風の男が待っていた。
「依頼の品(医療品)は、確かに受け取った。ご苦労だった、運び屋」
男は、中身を確認すると、淡々と言った。そして、約束の報酬――旧時代のエネルギーパック数個と、いくらかのクレジット――をアタシに手渡す。
「これで契約は完了だ。速やかにこの区画から立ち去るように」
男はそう言いながら、アタシの後ろに立つイヴを一瞥した。その目に、一瞬だけ、値踏みするような、あるいは何かを探るような光が宿ったのを、アタシは見逃さなかった。
「…ああ、分かってるよ。プロは長居はしない主義なんでな」
アタシは報酬を受け取ると、イヴの腕を掴み、わざとその男を睨みつけながら部屋を出た。あの男、イヴのことを何か知っているのか? それとも、単に高性能なアニマ・マキナに興味を持っただけか…? 嫌な予感がした。
依頼は終わった。契約は完了だ。ということは、アタシとイヴの関係も、本来ならここで終わりのはずだった。アタシは運び屋として、イヴという「荷物」を…いや、イヴを起動させ、ここまで連れてきた。それだけだ。
その夜は、セクター・ガンマ内の宿――クロスロードのボロ宿よりはずっと清潔だが、壁が薄くて隣の部屋の物音まで聞こえるような、味気ない宿――で一泊することにした。シャワーを浴びてベッドに寝転がりながら、アタシは今後のことを考えていた。
イヴをどうするか? 約束(勝手にした取引条件だが)通り、ここで解放する? それとも、どこか安全な場所に連れて行く? あるいは……高く売り飛ばす? 最後の選択肢は、もうアタシの中にはなかった。プロとして失格かもしれないが、こいつを金のために売り渡すなんて、考えられなかった。
アタシが考え込んでいる間、イヴは部屋の隅にある旧式の情報端末にアクセスし、このセクター・ガンマに関する情報を収集していたようだった。しばらくして、彼女はアタシの方に向き直り、報告してきた。
「レン、この区画では、旧時代の技術、特に生体工学や人工知能に関する研究が、厳重げんじゅうな管理かんり下かで限定的げんていてきに継続けいぞくされているようです。アニマ・マキナに関する研究けんきゅうデータも、断片的だんぺんてきですが存在そんざいします」
「……そうか」
あの役人の視線は、やはりそういうことだったのかもしれない。ここに長居するのは危険だ。
翌日、出発の準備をしていると、宿の共有スペースで、イヴが他の滞在者――幼い子供を連れた母親――と短い会話を交わしているのを見かけた。子供がイヴの綺麗な髪に興味を示し、母親がそれを宥めている、という他愛ない光景だ。けれど、イヴはぎこちないながらも、子供に微笑みかけようとしたり、母親の言葉に相槌を打ったりしていた。確実に、人間とのコミュニケーションを学習している。
その様子を見ていたアタシに、なぜか胸の奥がチリチリと焼けるような、妙な感覚が湧き上がってきた。なんだ、これ…?
「…おい、イヴ。何してんだ。行くぞ」
アタシは、わざとぶっきらぼうな声をかけて、イヴを呼び寄せた。
「あまり他の奴と馴れ馴れしくすんなよ。面倒に巻き込まれるのはゴメンだ」
「なぜですか、レン? 彼らとのコミュニケーションは、有益な情報収集と社会性学習の機会です。それに、あの幼い個体は…『可愛い』という感情を私に喚起させました」
「うるせえ! アタシの相棒は、アタシの言うことだけ聞いてりゃいいんだ!」
思わず、口走ってしまった。しまった、と思ったがもう遅い。イヴは、大きな青い瞳をぱちくりさせて、アタシを見つめている。
「レン……今の発言は、データベース内の『やきもち』あるいは『独占欲』と呼ばれる感情パターンに酷似しています。あなたは私に対して、そのような感情を…?」
「なっ……! ち、ちげーよ! バカ言ってんじゃねえ!」
顔が、耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。アタシはイヴから顔を背け、足早に宿を出た。クソッ、なんでアタシがこんなに……!
宿の部屋に戻り、荷物をまとめる。気まずい空気が流れる中、アタシは意を決してイヴに尋ねた。
「…仕事は終わった。契約は完了だ。…アンタは、これからどうしたいんだ?」
イヴは、少しの間、黙ってアタシを見つめていた。その青い瞳には、以前にはなかった、深い感情の色が揺らめいているように見えた。やがて、彼女は、はっきりとした口調で答えた。
「私は、レンと一緒にいたい」
「……!」
「レンの隣で、もっとこの世界を知りたい。レンが教えてくれた『感情』を、もっと学びたい。そして……」
イヴは、一歩アタシに近づき、真っ直ぐにアタシの目を見て言った。
「…そして、レンを、守りたい」
その言葉は、どんな爆音よりも強く、アタシの心を打ち抜いた。
もう、迷いはなかった。
「……チッ、仕方ねえな」
アタシは、照れ隠しにわざと悪態をつく。
「プロは、一度拾ったモンには、最後まで責任持つもんだ。…それに、アンタみたいなのが一人でいたら、危なっかしくて見てらんねえしな」
次の目的地は、決めている。あの気象観測所で知った、未知の遺跡「エデン」。そこには何があるのか、まだ分からない。けれど、アタシたちの新しい旅が、ここから始まるのだ。
「行くぞ、イヴ。新しい仕事だ」
「はい、レン」
イヴの顔に、初めて見るような、柔らかい微笑みが浮かんだ気がした。
アタシたちは、息苦しいセクター・ガンマを後にし、再びラピッドフェザーに跨った。
空には、この世界の空には珍しく、二つの月が淡く輝いていた。まるで、アタシたちの新たな旅立ちを、静かに見守っているかのように。
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