第11話 山越えの道と、プロの相棒

 クロスロードの喧騒を後にし、アタシたちは再び広大な荒野へと走り出した。目指すは、ここから数日かかる距離にある、別の大きな居住区画。依頼された医療品を届けるのが、今回の「プロ」としての仕事だ。


 あの路地裏での一件以来、アタシとイヴの間の空気は、明らかに変わっていた。いや、変わったのは主にアタシの方かもしれない。イヴに対する警戒心や戸惑いが薄れ、その代わりに、妙な居心地の良さ…いや、もっとはっきり言えば、こいつが隣にいるのが当たり前になっている自分を、認めざるを得なくなっていたのだ。


 バイクの後部座席に乗るイヴも、以前よりアタシの背中に近い位置に座り、時折、その体が軽く触れることがある。前なら反射的に「ベタベタすんな!」と怒鳴っていたところだが、今はもう、その接触を振り払う気にはなれなかった。むしろ、その存在が、この荒れ果てた世界でたった一つの確かなもののように感じられて、妙に落ち着くから始末が悪い。


「レン、この先のルートは山岳地帯に入ります。地図データによれば、道はかなり険しいようです。注意してください」

「へいへい、分かってるって。プロの運転なめんなよ」


 イヴの言う通り、道は次第に険しさを増していった。赤茶けた大地は岩がちな山肌へと変わり、ラピッドフェザーはその狭く、曲がりくねった道なき道を進んでいく。時には崖っぷちすれすれの細い岩棚を走り、時には急な坂道を駆け上がる。アタシは全身の神経を集中させ、バイクを操る。まさに、プロの腕の見せ所だ。


「レン、前方50メートル先、落石の痕跡多数。上方に不安定な岩盤を検出。速度を落として通過することを推奨します」

「左カーブの先、道が一部崩落している可能性。右側の岩壁に沿って進んでください」


 イヴの冷静なナビゲートが、ヘルメット越しに響く。その的確な情報は、この危険な山道を進む上で、何よりも頼りになった。こいつがいなければ、とっくに谷底へ真っ逆さまだっかもしれない。


「…チッ、サンキュ、イヴ。助かる」

「どういたしました。レンの安全は、私の最優先事項です」


 そんなやり取りも、もうすっかり自然になっていた。


 しかし、予想以上に険しい道のりは、ラピッドフェザーの燃料をみるみるうちに消費していった。日が暮れ始め、山の空気も冷え込んできた頃、燃料計の針が、ついに危険域を指していることにアタシは気づいた。


「クソッ! 計算ミスか…! この辺りに補給できる場所なんて…」

 焦りが滲む。こんな山の中でガス欠なんて、冗談じゃない。ミュータント獣の格好の餌食だ。プロ失格だろ、これじゃあ…。


 アタシが内心で悪態をついていると、後ろのイヴが静かに言った。

「レン、落ち着いてください。私のデータベースによれば、この山の尾根沿いに、旧時代の小規模な気象観測所跡が存在します。記録では、非常用発電機と、それに付随する燃料タンクが設置されていた可能性があります。ただし、施設の老朽化は進んでおり、内部に何らかの危険が存在する可能性も否定できませんが…」


「観測所跡…? 本当か、イヴ!」

「はい。確率は高くありませんが、現状、最も可能性のある選択肢です」


 望みは薄いかもしれないが、ここに留まっていても状況は悪くなるだけだ。

「よし、行ってみるぞ! プロは、どんな状況でも諦めないもんだ!」

 アタシは自分に言い聞かせるように叫び、イヴが示した方向へとバイクを走らせた。


 辿り着いた観測所跡は、半ば崩れかけた小さなドーム状の建物で、蔦に覆われ、不気味な静けさに包まれていた。入り口のドアは壊れており、中は真っ暗だ。


「…気味の悪い場所だな。イヴ、警戒を怠るなよ」

「了解しました。内部の環境スキャンを開始します」


 懐中電灯の明かりを頼りに、慎重に中へと足を踏み入れる。埃とカビの匂い。床には壊れた観測機器の残骸が散らばっている。その時、天井近くの暗がりから、キーキーという甲高い鳴き声と共に、数匹の影が飛び出してきた!


「ミュータントか!」

 素早く銃を構える。コウモリのような翼を持ち、鋭い爪を持つ小型のミュータントだ!


「レン、敵は5体! 超音波による索敵能力を持つと推測されます!」

 イヴが叫ぶ。


 アタシはヘッドライトを消し、暗闇の中で敵の気配を探る。プロは、闇の中でも戦える。イヴが敵の位置を小声で伝え、アタシがそれに応じて的確に射撃する。数分間の短い戦闘の後、アタシたちはミュータントを全て撃退した。


「…ふう。大したことなかったな」

 強がってみせるが、心臓はまだ少しドキドキしていた。


 気を取り直して、奥の部屋へと進む。そこは、おそらく管理室だったのだろう。古い机や椅子が残っており、壁には旧時代の気象データが表示されたままになっているモニターがあった。そして、部屋の隅に、アタシたちが探し求めていたものがあった。小型の非常用発電機と、それに接続された燃料タンクだ!


「あった! やったぞ、イヴ!」

 タンクを叩いてみると、幸運にも、まだわずかに燃料が残っているようだ。これでなんとか、山を越えられるだろう。


 さらに部屋の隅には、金属製のロッカーが倒れていた。中を調べてみると、レーション(旧時代の保存食)がいくつか残っており、そして、一枚の古いデータディスクが見つかった。


「なんだ、これ?」

 アタシがそれを手に取ると、イヴが興味深そうに覗き込んできた。

「旧時代の記録媒体ですね。私の機能でアクセスできるかもしれません。解析してみましょうか?」

「おお、頼む!」


 イヴがデータディスクに指先を触れると、彼女の青い瞳が淡く光り、内部の情報を読み取り始めた。

「……これは、この観測所の記録データのようです。過去数十年の気象変動、周辺の生態系の変化、そして……レン、この近くに、まだ地図に載っていない旧時代の研究施設跡が存在するという記録があります。コードネームは『エデン』…」


「エデン…?」

 聞いたことのない名前だ。だが、未知の遺跡と聞けば、トレジャーハンターとしての血が騒ぐ。


「でかしたぞ、イヴ! さすがアタシの相棒だ!」

 興奮したアタシは、思わず、イヴのプラチナブロンドの頭をわしゃわしゃと撫でていた。プロとしては、少しはしたない行動だったかもしれない。


「……っ!?」

 イヴは、突然のことに驚いたように目を見開き、固まっている。その反応がなんだか面白くて、アタシはニヤリと笑った。

「ま、プロの相棒として、まあまあ合格、ってとこだな」


 イヴは、撫でられた頭に戸惑っているようだったが、その表情は、どこか嬉しそうにも見えた。気のせいかもしれないが。


 燃料と食料を補給し、貴重な情報も手に入れた。アタシたちは、その夜、観測所跡で一晩を明かすことにした。焚火を囲みながら、イヴが解析した旧時代のデータの話を聞く。エデンと呼ばれる研究施設、過去の気象変動、失われた技術……。アタシたちの知らない、旧時代の秘密が、この荒野にはまだたくさん眠っているらしい。


「この辺りには、まだ私たちが知らない旧時代の秘密が、たくさん眠っているようです、レン」

 イヴが、少しだけ興奮したような口調で言う。


「へえ……そりゃ、プロとしては、俄然やる気が出てくるってもんだな」

 アタシも、焚火の炎を見つめながら答える。


 夜空には、手が届きそうなほど近くに、無数の星が輝いていた。街の明かりがない荒野だからこそ見られる、最高の景色だ。


「……綺麗だな」

 思わず、そんな言葉が漏れた。

 隣を見ると、イヴもまた、瞬く星々を、その大きな青い瞳で見上げていた。

「はい、レン。とても……『綺麗』です」

 その言葉の意味を、一つ一つ確かめるように、イヴは静かに答えた。


 アタシは、イヴの横顔を見つめた。アニマ・マキナのはずなのに、その表情は、もうただの機械とは思えなかった。こいつと一緒にいると、面倒なことも多いが、退屈はしない。そして何より……。


(…悪くねえな、こういうのも)


 目的地である居住区画は、もうすぐのはずだ。この依頼が終わったら、アタシとイヴは、どうなるのだろうか。そんな考えが、ふと頭をよぎる。


 でも、今はただ、この静かな夜と、隣にいる相棒との時間を、大切にしたいと思った。プロとして、感傷に浸るのは良くない、分かってる。それでも、今は……。


 アタシは、ただ黙って、イヴと一緒に、満天の星空を見上げていた。

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