第10話 路地裏の騒動と、不器用なハグ

 交易集落「クロスロード」に滞在して、数日が過ぎた。ここは情報の集積地であると同時に、欲望と危険が渦巻く場所だ。アタシはプロとして気を引き締め、情報屋から仕入れた次の仕事――少しばかり危険だが、報酬の良い運びの依頼――を受けることに決めた。目的地は、ここから荒野を数日進んだ先にある、別の大きな居住区画。依頼品は、貴重な医療品だという。


「よし、準備はいいな、イヴ。出発するぞ」

 アタシはラピッドフェザーの最終チェックを終え、隣で静かに待っていたイヴに声をかけた。イヴは、アタシが買ってやったオルゴールを大切そうにリュックにしまうと、こくりと頷いた。その仕草も、なんだか以前より人間じみて見えるから不思議だ。


「はい、レン。いつでも出発できます。ルート計算及び、予測される危険因子の洗い出しは完了しています」

「へえ、そりゃご苦労さん。ま、どんな危険があろうと、プロのアタシにかかれば問題ねえけどな」

 強がりを言いつつ、アタシはバイクに跨った。イヴも慣れた様子で後ろに乗る。


 集落の出口へ向かおうと、バイクをゆっくりと走らせ始めた、その時だった。建物の影が落ちる、薄暗い路地裏に差し掛かったところで、数人の男たちが不意に進路を塞ぐように現れたのだ。どいつもこいつも、柄が悪そうで、目つきがギラついている。チンピラか、あるいはもっとたちの悪い連中か。


「よう、そこの嬢ちゃん。ちょっといいか?」

 リーダー格らしい、顔に傷のある男が、下卑た笑みを浮かべて話しかけてくる。その視線は、アタシの後ろに乗っているイヴに向けられていた。


「…悪いが、急いでるんでな。道を開けてもらおうか」

 アタシは、内心の警戒心を押し隠し、冷静に(装って)答えた。プロは、無用な争いは避けるものだ。


「まあ、そうつれねえこと言うなよ。後ろに乗せてるそいつ…見かけねえ顔だが、随分と上玉じゃねえか。高く売れそうだなあ?」

 男の言葉に、アタシの中で何かがブチッと切れる音がした。イヴを「物」のように言うのが、無性に腹立たしかったのだ。


「…失せろ。プロの邪魔をする気なら、容赦しねえぞ」

 アタシは低い声で警告し、ジャケットの下のホルスターに手を伸ばす。


「ハッタリかましてんじゃねえぞ、小娘が!」

 男たちは、アタシの警告を鼻で笑うと、一斉に襲い掛かってきた!


「チッ!」

 アタシは舌打ちし、バイクから飛び降りると同時に、イヴを背後にかばうように押しやった。

「イヴ、下がってろ!」


 二丁のオートマチックを抜き放ち、狭い路地裏で戦闘開始だ! パンパンパン! と乾いた発砲音が響き渡る。相手は鈍器やナイフで武装している。数はこちらが不利だが、プロの腕でカバーする!


「レン、右後方より接近、武器は鉄パイプ!」

「左の個体、旧式のレーザーナイフを所持。リーチに注意してください!」


 イヴの声が、冷静に敵の位置と武装を知らせてくる。その情報は、乱戦の中でアタシにとって何よりの武器となった。アタシはイヴの言葉を頼りに、最小限の動きで攻撃をかわし、的確な射撃で敵を一人、また一人と無力化していく。


「な、なんだこいつら!?」

「強えぞ!」


 チンピラたちが動揺し始める。よし、このまま一気に…!

 そう思った瞬間、リーダー格の男が、瓦礫の影からアタシ目がけて突進してきた! 早い!


「しまっ…!」

 反応が遅れる! 男の持つ、錆びたナイフの切っ先が迫る!


 その時だった。

「レン!」

 イヴが、アタシを突き飛ばすようにして前に出た!


「イヴ!? 何やってんだ、危ねえ!」

 アタシは叫んだが、もう遅い。男のナイフが、イヴの腕を浅く切り裂いた――かに見えた。しかし、ナイフは硬い音を立てて弾かれ、イヴの腕には傷一つついていない。


「…なっ!?」

 男が驚愕に目を見開く。アニマ・マキナの体は、見た目以上に頑丈にできているらしい。


 その一瞬の隙を、アタシは見逃さなかった。

「プロの腕、舐めんじゃねえぞ!」

 体勢を立て直し、リーダー格の男の鳩尾に強烈な蹴りを叩き込む! さらに続け様に、がら空きになった顔面に銃床を叩きつけ、完全に沈黙させた。


 残りのチンピラたちは、リーダーが倒れたのを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


「……はぁ……はぁ……っ」

 戦闘が終わり、荒い息をつく。アドレナリンが全身を駆け巡っているのが分かる。


 そこへ、イヴが駆け寄ってきた。その青い瞳には、明らかに心配の色が浮かんでいる。

「レン、怪我はありませんか?」

 そう言って、イヴはアタシの服の乱れを直し、腕や顔に傷がないか、真剣な表情でチェックし始めた。その、まるで母親か姉のような仕草に、アタシは毒気を抜かれてしまう。


「…平気だっての。プロはこれくらいじゃ……」

 言いかけたアタシの言葉を遮るように、突然、イヴがアタシの体をぎゅっと抱きしめてきた。


「なっ……!?」

 驚きと、予想外の柔らかさと温かさに、アタシの体は完全に硬直した。

「よかっ……た……」

 アタシの肩口に顔をうずめるようにして、イヴが呟く。その声は、初めて聞くような、感情のこもった、震えるような声だった。

「レンが……無事で、良かった……」


 心臓が、うるさいくらいに高鳴る。顔が熱い。いつものように「ベタベタすんな!」と突き放そうとした。けれど、できなかった。アタシを心配してくれた、その必死な想いと、伝わってくる温もりが、アタシの強がりを溶かしてしまったのだ。


 アタシは、しばらくの間、抵抗もせず、ただイヴの抱擁を受け入れていた。そして、気づけば、不器用ながらも、そっとイヴの背中に自分の手を回していた。


「……ああ。……悪かったな、心配かけて」

 ぽつりと、そんな言葉が漏れた。


 やがて、ゆっくりと体を離したイヴは、少しだけ頬を赤らめているように見えた。アタシも、きっと同じような顔をしているだろう。


「……行くぞ、イヴ」

 アタシは、照れ隠しにぶっきらぼうに言い、バイクへと向かった。

「はい、レン」

 イヴは、小さく、しかし嬉しそうに頷いた。


 私たちは、騒がしかったクロスロードを後にし、再び荒野へと走り出す。背中に感じるイヴの体の温もりは、もうただの「体温」ではなくなっていた。それは、アタシにとって、この荒廃した世界で唯一信じられる、かけがえのない温もりになっていたのだ。


 プロとして、運び屋として、そして……レンとして。アタシはこのアニマ・マキナを、絶対に守り抜かなければならない。その決意が、夕日に染まる荒野を走りながら、アタシの胸の中で、静かに、しかし強く燃え始めていた。

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