第9話 交易の街と、オルゴールの音色

 あの空からの襲撃を乗り越えてから、アタシとイヴの間の空気は、確実に変わっていた。アタシはもう、イヴのことを単なる「面倒な拾い物」や「高性能な道具」だとは思っていなかった。こいつは、アタシの相棒(パートナー)だ。そう、はっきりと認識していた。だからだろうか、以前のように「おい、アニマ・マキナ」と呼ぶことはなくなり、自然と「イヴ」と名前で呼ぶことが増えていた。


 イヴの方も、変化していた。アタシの言葉の裏にある感情――強がりや、照れ隠しや、ほんの少しの優しさ――を、なんとなく理解し始めているような気がする。相変わらず、アタシの言動の矛盾を冷静に指摘してくることもあるけれど、そこに以前のような純粋な疑問だけでなく、どこか面白がっているような、あるいは呆れているような、人間じみた響きが混じるようになった気がするのは、アタシの気のせいだろうか。


 バイクの後部座席に乗るイヴの位置も、心なしか以前よりアタシの背中に近くなっている。…まあ、これは単に、アタシの運転が荒いから、しっかり掴まっていないと危ない、という合理的な判断の結果なのかもしれないが。


「レン、次の目的地は?」

 荒野を走りながら、ヘルメット越しにイヴが尋ねてきた。その声は、やはり以前よりずっと滑らかだ。

「ああ。少し大きな交易集落『クロスロード』を目指す。あそこなら、ラピッドフェザーのパーツも手に入るかもしれねえし、マシな仕事の情報もあるだろ。プロは常に、より良い環境と情報を求めるもんだ」

「クロスロード…データベースにアクセスします。…旧時代の交通網の結節点に形成された、比較的大規模な生存者コミュニティですね。多様な物資と情報が集積する一方、それに伴う危険度も高いと記録されています。合理的な選択ですが、十分な警戒が必要です」

「…へいへい、分かってますよ、イヴ先生」

 アタシは軽口で返す。こんなやり取りも、最近ではすっかり当たり前になっていた。


 数日後、アタシたちはついに「クロスロード」に到着した。その名の通り、いくつかの古い街道が交差する地点に築かれたその集落は、これまで立ち寄ったどの場所よりも規模が大きく、活気に満ちていた。様々な出自を持つ人々がごった返し、露店には旧時代の遺物からミュータント素材、各地の特産品まで、ありとあらゆるものが並べられている。ダストピットの荒っぽさとは違う、もっとしたたかで、油断のならない空気が漂っていた。


「うわー……人が多いな。おいイヴ、アタシから離れんなよ。変な奴に絡まれても面倒だ」

「了解しました、レン。あなたの半径1メートル以内に留まります」


 アタシはまず、馴染みの情報屋――裏社会にも通じている、少し胡散臭いが腕は確かな男――がいる酒場へと向かった。情報収集はプロの基本だ。運び屋の仕事を探しつつ、最近の荒野の状況、危険なミュータントの出没情報、そして…もしあれば、イヴのようなアニマ・マキナに関する噂がないかも、それとなく探ってみる。


「イヴは外で待ってろ。ここはガキが入るような場所じゃねえ」

「しかしレン、あなたの安全が…」

「いいから。プロの言うことを聞け」


 イヴを酒場の外で待たせ(少し心配そうな顔をしていたが)、アタシは薄暗い店内へと入っていった。


 一方、外でレンを待つ間、イヴはクロスロードの喧騒を、その大きな青い瞳で静かに観察していた。人々の話し声、笑い声、怒鳴り声。様々な匂い。行き交う人々の表情。その全てが、彼女のデータベースに記録され、分析されていく。


 ふと、市場の片隅で、小さな露店を開いている老婆に目が留まった。老婆は、埃をかぶった旧時代のガラクタのようなものを並べていたが、その中に一つ、手のひらサイズの、精巧な細工が施された古いオルゴールがあるのをイヴは見つけた。


 老婆は、イヴの視線に気づくと、優しい笑顔で手招きをした。

「おや、嬢ちゃん。そのオルゴールが気になるのかい? 旧時代のものだけど、まだちゃんと音が出るんだよ」


 イヴは、言われるままにオルゴールを手に取り、老婆に教えられた通りに底のネジを巻いてみた。カチカチ、という小さな音の後、蓋を開けると、澄んだ、美しいメロディが流れ出した。それは、イヴのデータベースにはない、けれど、どこか懐かしくて、切なくて、そして温かい音色だった。


「…綺麗…」

 思わず、イヴの口から言葉が漏れた。

「ふふ、そうだろう? きっと、昔の持ち主が、とても大切にしていたんだろうねえ」

 老婆は、イヴの頭を優しく撫でた。


 その時、酒場から出てきたレンが、イヴと老婆の様子を見つけて、少し驚いた顔で近づいてきた。

「おい、イヴ。何してんだ?」

「レン。この『オルゴール』という機械は、人の心を穏やかにする機能があるようです。老婆のご厚意により、試用させていただきました」

 イヴが、手に持ったオルゴールをレンに見せながら説明する。


 レンは、オルゴールと、それからイヴのどこか嬉しそうな(ように見える)表情を交互に見て、ため息をついた。

「ふーん…。まあ、いい。行くぞ」

 素っ気なくそう言って歩き出すレン。イヴは名残惜しそうにオルゴールを老婆に返し、レンの後を追った。


 その日の夜。クロスロードの安宿(ダストピットよりは格段にマシだが、それでもお世辞にも綺麗とは言えない)の一室で。レンは、情報屋から仕入れた地図やメモを広げ、次の行動計画を練っていた。運び屋の仕事もいくつか見つかったし、少し離れた場所に、また有望そうな遺跡があるらしい。


 一方、イヴは部屋の隅に座り、小さな包みを大切そうに開いていた。中から出てきたのは、昼間、市場で見たあの古いオルゴールだった。


「…レン? これは…」

 驚いて顔を上げるイヴに、レンはそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに言った。

「…うるせえな。あの婆さんが、安くしとくって言うから、ついでに買っといただけだ。別に、アンタのためじゃねえ」

「…………」

 イヴは何も言わず、ただ、オルゴールをそっと手に取った。そして、ゆっくりとネジを巻き、蓋を開ける。部屋の中に、あの優しくて切ないメロディが静かに流れ出した。


 その音色に耳を傾けながら、レンも少しだけ、心が安らぐのを感じていた。

 イヴが、ふと顔を上げてレンを見つめた。その青い瞳には、以前にはなかった、確かな感情の色が宿っているように見えた。


「レン」

「…なんだよ」

「あなたはなぜ、私を連れて旅を続けるのですか?」

 以前にも聞かれた、その問い。

「最初に私を起動した時、レンは私を『高く売れるかもしれない』と考えていました。それは論理的な判断です。ですが、今のあなたの行動は、必ずしも利益だけを追求しているようには見えません。ダストピットでの老人への対応も、そして、このオルゴールも。…合理的な理由だけではないように、私には感じられます」


 その、あまりにも真っ直ぐな問いかけに、レンは言葉に詰まった。

「……うるせえな。プロの考えは、アンタみたいなアニマ・マキナには、分かんねえよ」


 そう言って誤魔化すのが、精一杯だった。けれど、レンはもう気づいていた。このアニマ・マキナが、自分にとって、単なる「荷物」でも「道具」でもなくなりつつあることに。そして、彼女の隣にいることが、いつの間にか当たり前になっている自分自身に。


 窓の外では、クロスロードの夜の喧騒が、遠くに響いている。この混沌とした街で、これから何が起こるのか。そして、このイヴとの関係は、どこへ向かうのか。


 答えの出ない問いを抱えながら、レンはただ、部屋に流れるオルゴールの、どこか懐かしい音色に耳を澄ませていた。

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