第8話 空からの襲撃と、背中合わせの体温
洞窟の中で明かした、長いようで短い夜。降り続いていた雨は、朝にはすっかり上がり、空には洗い流されたような青空が広がっていた。洞窟の入り口には、おまけのように淡い虹までかかっている。
「…チッ、昨日の豪雨が嘘みてえだな」
悪態をつきながらも、アタシの気分は昨日よりずっと軽かった。隣を見ると、イヴもまた、遠くにかかる虹を、その大きな青い瞳で見つめていた。
旅を再開する。ラピッドフェザーのエンジン音が、静かな荒野に響き渡る。昨夜の出来事を経て、アタシたちの間の空気は、以前とは明らかに変わっていた。まだぎこちなさは残るけれど、あの奇妙な壁のようなものは、少しだけ薄くなった気がする。
「…昨日は、まあ、助かった。ありがとな、イヴ」
ヘルメット越しに、アタシはぼそりと礼を言った。自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。プロは感謝も忘れない、ということにしておこう。
後ろから、イヴの少しだけ嬉しそうな声が聞こえた。
「どういたしました、レン。レンの安全確保は、私の存在意義の一つです。…それに、昨夜のレンの『ありがとう』という言葉は、私の感情データベースに、とてもポジティブな影響を与えました」
「…そりゃ、どうも」
なんだか調子が狂うのは、相変わらずだが。
しばらくバイクを走らせていると、前方に巨大な建造物の残骸が見えてきた。天に向かって伸びる、いくつもの巨大なコンクリートの柱。そして、その上を走っていたであろう、途中で崩落した高架線路。旧時代の、大規模な輸送路の跡だ。かつては、ここを列車か何かが、途方もないスピードで行き交っていたのだろう。今はただ、風化した文明の墓標として、荒野に巨大な骸(むくろ)を晒しているだけだ。
「すげえな……昔の人間は、こんなモンまで作ってたのか」
思わず呟く。アタシたちが生きるこの時代では、考えられないような技術力だ。
「はい、レン。これは『超高速ちょうこうそく軌道きどう輸送ゆそうシステム』の遺構いこうと推測すいそくされます。極きわめて高度こうどな建築けんちく技術ぎじゅつですが、大崩壊だいほうかい後ごの維持いじ管理かんり不足ふそくにより、構造こうぞう的てき限界げんかいを超こえ、現在げんざいの状態じょうたいに至いたったようです」
イヴが、いつもの冷静な口調で解説を加える。
その壮大さと、同時に感じる物悲しさに、アタシはしばし見入っていた。かつての栄華と、その終焉。この世界では、常に死と隣り合わせだ。アタシだって、いつ……。
―――キィィィィィィッ!!
甲高い、金属を擦るような叫び声が、頭上から響き渡った!
見上げると、巨大な輸送路跡の影から、翼を持つ醜悪なミュータントが数体、こちらに向かって急降下してくるところだった! ガーゴイルに似た、岩のような皮膚を持つ飛行型のミュータントだ!
「チッ! 空からかよ、面倒な!」
アタシは即座にバイクの進路を変え、敵の攻撃を回避する。プロは、不意打ちにも対応できなきゃならない!
しかし、敵は素早く、執拗だ。空中からの急降下攻撃や、鋭い爪での薙ぎ払いを繰り返してくる。ラピッドフェザーの機動性をもってしても、全てをかわしきるのは難しい。
「レン、敵は3機! 上空からの連携攻撃パターンです! 旋回性能は低いと推測!」
イヴの声が飛ぶ。
「分かってる!」
アタシはバイクを低く伏せ、崩れた橋脚の残骸を盾にするように走り抜ける。オートマチックを抜き放ち、反撃の射撃を叩き込む! パンパンッ!
一匹の翼に命中し、悲鳴を上げて墜落していく。よし、あと二匹!
だが、敵もさるもの。アタシの反撃を読んでいたかのように、二手に分かれて左右から挟み撃ちにしてきた!
まずい! そう思った瞬間、アタシの脳裏に、忘れたいはずの記憶が、鮮明な悪夢のようにフラッシュバックした。
―――あの日も、こんな風に、空から……。アイツらが……。アタシが、もっとしっかりしていれば……守れたはずなのに……!
一瞬、体が金縛りにあったように動かなくなった。迫りくるミュータントの鉤爪が、スローモーションのように見える。
(……また、ダメなのかよ……アタシは……また、守れねえのか……!)
絶望が心を覆いかけた、その時だった。
「レン!!」
イヴの、これまでにないほど必死な叫び声が、アタシの耳を打った。
「危険きけんです! 回避かいひしてください! レン、あなたはプロです! プロは、諦あきらめない! そうでしょう!?」
アタシの口癖。それを、イヴが、今、アタシに向かって叫んでいる。その声は、まるで凍り付いた心を叩き割る槌(つち)のように、アタシの奥深くに響いた。
―――そうだ、アタシは……プロだ!
恐怖を振り払い、アタシは再びバイクのグリップを握りしめた。そして、今度は、守る!
「イヴ! 敵の弱点は!?」
「右翼うよくの付つけ根ね! 装甲そうこうが他ほかの部位ぶいより薄うすいと判断はんだんします!」
アタシはイヴの言葉を信じ、ラピッドフェザーを急旋回させ、迫りくる一体の懐へと潜り込む! そして、至近距離から、その右翼の付け根目掛けて、オートマチックの弾丸を叩き込んだ!
ギャアアアッ!
断末魔の叫びを上げ、ミュータントはバランスを崩し、地面に激突した。残るは一匹! そいつも、仲間の無残な姿を見て怯んだのか、あるいはアタシたちの連携に脅威を感じたのか、空へと急上昇し、逃げるように飛び去っていった。
「……はぁ……はぁ……っ……」
嵐が過ぎ去った後の静寂の中で、アタシはバイクを止め、荒い息をついた。全身から力が抜けそうだ。
「……プロなら、これくらい……当然……」
震える声で呟く。強がりだと、自分でも分かっている。
バイクから降りると、足がもつれて、その場に座り込んでしまった。そこへ、イヴが駆け寄ってきた。そして、何も言わずに、アタシの背後から、そっとその両腕を回してきた。
「……!?」
突然の抱擁に、アタシの体は硬直した。振り払おうとした。けれど、なぜか、できなかった。
「レン、あなたは『プロ』です」
イヴが、背中に額を預けたまま、静かに言った。
「そして、あなたは一人ではありません。……私わたしが、います」
その言葉と、背中に伝わる温もり。それは、機械のはずのアニマ・マキナから発せられているとは思えないほど、確かで、温かかった。柄にもなく、目頭が熱くなるのを感じる。
「……うるせえな」
アタシは、照れ隠しに悪態をつく。
「……分かってるよ」
でも、その声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
こいつは、ただの面倒な拾い物なんかじゃない。アタシにとって、かけがえのない……相棒(パートナー)なんだ。その認識が、この瞬間の温もりと共に、アタシの中で、はっきりと形になった。
夕日が、荒野と、そして傷ついたバイクに寄り添うアタシたち二人を、どこまでも赤く、赤く染めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます