第7話 荒野の恵みと、洞窟の夜

 ダストピットの喧騒を後にして、再び赤茶けた荒野をひた走る日々が数日続いた。ラピッドフェザーのエンジン音と、乾いた風の音だけが耳に届く。退屈といえば退屈だが、面倒な人間関係に煩わされないだけマシだ。アタシはプロの運び屋として、次の目的地――情報屋から仕入れた、まだ手付かずの旧時代の通信施設跡――を目指し、黙々とバイクを走らせていた。


 後ろに乗っているイヴは、以前にも増して口数が減った気がする。ただ静かに、流れる景色を目で追っているか、あるいは何かを思考しているのか。その変化が、アニマ・マキナとしての学習の結果なのか、それとも何か別の理由があるのか、アタシには分からない。分からないが、まあ、静かなのは悪くない。


「レン、前方の砂塵は小規模な砂嵐の兆候です。このまま進むと視界不良に陥る可能性があります。迂回ルートを推奨します」


 時折、こんな風に冷静な分析結果を報告してくる。その声は、初めて聞いた時のような完全な無機質さではなく、どこか落ち着いた、それでいて滑らかな響きを持っていた。慣れてきた、と言ってしまえばそれまでだが。


「…チッ、分かってるよ。プロは天候の変化も見越して動くもんだ」

 アタシはぶっきらぼうに返し、バイクの進路をわずかに変える。イヴの言う通り、迂回した方が賢明だろう。


 問題は、食料だった。ダストピットで補給した携帯食料も、そろそろ底をつきかけている。

「…腹が減っては戦はできぬ、か。プロとして、これは失態だな」

 アタシは独り言を呟き、バイクを止めて辺りを見回した。幸い、近くの岩場に、この辺りではよく見かける大型のトカゲ――サンドイーターが数匹、日向ぼっこをしているのが見えた。動きは鈍いが、皮は硬い。仕留めるには少し骨が折れる相手だ。


「イヴ、少しの間、バイクのそばで待ってろ。アタシが食料を調達してくる」

「食料…あの生物を狩るのですか、レン?」

「ああ。プロはな、生きるためには手段を選ばないんだよ」


 アタシはサンダーボルト…いや、こういう時は音を立てない方がいい。サバイバルナイフを抜き、音もなくサンドイーターに近づく。ヤツらの動きは鈍いが、危険を察知すると意外な素早さを見せる。慎重に背後を取り、一気に…!


「…レン、左後方3メートルに別の個体がいます。注意してください」

 イヴの声が、静かに響いた。アタシははっとして振り返り、忍び寄ってきていた別のサンドイーターをナイフで牽制する。危なかった。完全に油断していた。


「…サンキュ、イヴ」

 思わず礼を言うと、イヴは少しだけ意外そうな顔をした。

「どういたしました。レンの安全確保は、私の優先事項の一つです」


 結局、イヴの的確なサポート(というか、ほぼ指示)のおかげで、アタシは比較的楽に、そこそこ大きなサンドイーターを仕留めることができた。


 その夜は、岩陰で焚火をおこし、仕留めたサンドイーターの肉を焼いた。皮を剥ぎ、内臓を取り出し、適当な大きさに切り分けて串に刺す。手際は良いはずだ。プロだからな。味付けは、持っていた岩塩を振りかけるだけ。まあ、贅沢は言えない。食えりゃいいんだよ。


 パチパチと燃える火で炙られた肉が、じゅうじゅうと音を立てて脂を滴らせる。香ばしい匂いが漂ってきた。

「…ふむ。これが『調理』というプロセスですね。熱エネルギーによるタンパク質の変性と、それに伴う芳香成分の揮発…」

 イヴが、隣で真剣な顔つきで解説している。


「難しいこと言ってねえで、食ってみるか? アンタも」

 アタシは、焼きあがった肉の塊をナイフで切り分け、少しだけイヴに差し出してみた。アンドロイドが人間の食べ物をどう感じるのか、少し興味があった。


 イヴは、差し出された肉をしばらく見つめた後、小さな口でゆっくりと咀嚼した。

「……複雑な風味です。焦げた部分の苦味、肉自体の持つ旨味、そして塩分。ですが、不快ではありません。むしろ……」

 そこで言葉を切ると、イヴはもう一口、肉を要求するようにアタシを見た。


「…気に入ったのか? ま、アタシの腕がいいからな。プロの料理だ」

 調子に乗ってそう言うと、イヴは静かに首を振った。

「いいえ、レン。おそらく、この『美味しい』と感じる感覚は、レンが私のために調理してくれた、という状況が付加価値となっている可能性が高いと推測されます」

「……なっ……!?」

 的確すぎる分析に、アタシは言葉を失う。こいつ、本当に食えないアニマ・マキナだ……!


 食事が終わり、焚火の始末をしようとした、その時だった。

 空が、急に暗くなったかと思うと、大粒の雨が叩きつけるように降ってきたのだ。雷鳴も轟き始めている。


「チッ、ツイてねえ! さっきまでの晴天はどこ行ったんだよ!」

 アタシは悪態をつきながら、急いでバイクに跨った。

「イヴ、乗れ! 近くの洞窟を探すぞ!」


 激しい雨の中、アタシたちはラピッドフェザーを飛ばし、運良く見つけた小さな洞窟へと転がり込んだ。中は狭く、湿っていて、お世辞にも快適とは言えないが、雨風を凌ぐには十分だ。


「…ったく、ずぶ濡れじゃねえか」

 アタシはジャケットを脱ぎ、濡れた髪を乱暴に拭う。イヴも、アタシが買ってやったパーカーのフードを深く被っていたが、それでも髪や服はしっとりと濡れていた。


「レン、これを」

 イヴが、リュックから乾いたハンカチを取り出し、アタシに差し出した。それは、アタシがダストピットでイヴに買い与えたものだった。

「あ、ああ……サンキュ」


 ハンカチを受け取ろうとしたアタシの手が、イヴの冷たい指先に触れた。その瞬間、また心臓がドキリと跳ねる。イヴは、そのままアタシの濡れた前髪に手を伸ばし、優しく水分を拭き取ろうとした。


「い、いらねえって! 自分でできる!」

 アタシは反射的にその手を払い除けてしまう。けれど、すぐに後悔した。イヴの青い瞳が、少しだけ悲しそうに揺れた気がしたからだ。


「……レンの体温低下は、機能不全に繋がる可能性があります。これは、合理的なケアです」

 イヴは、それでも食い下がらず、静かに言った。その声には、以前にはなかった、どこか「心配」のような響きが感じられた。


「……わーってるよ」

 アタシは、観念して、イヴがハンカチで髪を拭うのを黙って受け入れた。その距離の近さに、雨音よりも大きく、自分の心臓の音が聞こえる気がした。


 雨は、なかなか止みそうになかった。洞窟の中、二人きり。狭い空間で、沈黙が流れる。

 不意に、イヴが口を開いた。


「レンは……なぜ、一人で旅をしているのですか?」

 その問いは、あまりにも真っ直ぐで、アタシの心の壁をすり抜けてきた。

「人間の社会性データによれば、特にあなたのような若い個体は、集団で生活する方が生存率が高いとされていますが…」


 アタシは答えなかった。答えられなかった。ただ、洞窟の入り口から見える、雨に煙る荒野を、黙って見つめていた。忘れたい過去、捨ててきたもの、失ったもの……。そんなものが、雨音と共に蘇ってくる。


 イヴも、それ以上は何も問わなかった。ただ、静かにアタシの隣に座ると、そっと、アタシの腕に自分の腕を触れさせてきた。


「レン、冷えています」


 その、控えめな接触。今度は、振り払わなかった。振り払えなかった。その、機械のはずなのに、なぜか温かい気がする感触に、アタシは少しだけ、心の奥深くで凍てついていた何かが、溶けていくような気がした。


(…別に、プロとして強がる必要も、ないのかもしれないな。こいつの前では)


 そんな考えが、雨音に混じって、初めて頭をよぎった。

 外はまだ、激しい雨が降り続いている。雨上がりの空には、もしかしたら虹がかかるのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら、アタシたちはただ静かに、洞窟の中で夜明けを待っていた。

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