第5話 ガラクタの街と、変わり始めた言葉
遺跡から脱出して、どれくらい走っただろうか。赤茶けた荒野をひたすらバイクで駆け抜ける単調な時間は、思考を鈍らせるには十分だった。アタシは黙々とラピッドフェザーを操り、背後に乗せたアニマ・マキナ――イヴの存在を、できるだけ意識しないように努めていた。あの夜の、焚火の前でのやり取り以来、どうにも調子が狂うのだ。触れられた腕の感触とか、アタシの反応を不思議そうに見つめるあの青い瞳とかが、妙に頭から離れない。
「……チッ、プロがこんなことでどうする」
ヘルメットの中で悪態をつく。独り言が多いのは、相変わらずだ。
そんなアタシの内心の葛藤を知ってか知らずか、イヴは後ろで静かに座っているだけだった。時折、目新しい地形や、遠くに見える巨大な廃墟の塔などについて、以前のような無機質な声で質問してくることもあったけれど、その頻度は少し減ったような気がする。何かを、じっと観察しているのか、あるいは、考えているのか。
数日が過ぎ、ようやく次の目的地が見えてきた。地平線の向こうに、陽炎のように揺らめく、歪な建造物の塊。「ダストピット」と呼ばれる集落だ。その名の通り、旧時代のガラクタや廃材を寄せ集めて作られたような、雑然としていて、でも妙な活気に満ちた場所。運び屋やジャンク屋、流れ者たちが集まる、アタシにとっては馴染みの情報収集拠点の一つでもある。
「おい、イヴ。着くぞ。ここが最初の補給地点だ」
アタシが声をかけると、後ろから返事があった。
「はい、レン。……あの構造物は、居住に適しているとは思えませんが、多数の生体反応せいたいはんのうを感知かんちします」
その声に、アタシは思わずバイクを操る手を誤りそうになった。……あれ? 今のイヴの声、なんだか、前と違わないか? 抑揚がないのは相変わらずだが、以前のような完全にフラットな響きではなく、ほんの少しだけ、人間らしい滑らかさが加わっているような……。
「…アンタ、なんか喋り方……」
「レンとの円滑えんかつなコミュニケーションを実現じつげんするため、昨日さくじつの夜間やかんスリープモード中ちゅうに、内蔵ないぞうデータベース内ないの言語げんごモデルを更新こうしん・最適化さいてきかしました。これで、より自然しぜんな対話たいわが可能かのうかと判断はんだんします。……不都合ふつごう、ありましたか?」
そう言って、イヴがヘルメットの隙間からアタシの顔を覗き込んでくる。その青い瞳は、以前と同じように静かだが、どこか問いかけるような色を帯びている気がした。
「……いや、別に。……勝手にしろ」
アタシはぶっきらぼうに答え、内心の動揺を押し隠すようにアクセルを捻った。アニマ・マキナってのは、寝てる間に自分をアップデートしたりするもんなのか? 全く、面倒な……いや、興味深い拾い物だ。
ダストピットの入り口でバイクを降り、二人で埃っぽい集落の中を歩く。錆びた鉄板や廃タイヤで作られたような建物がひしめき合い、様々な人種や出自の人間たちが行き交っている。活気はあるが、油断すればすぐに身ぐるみ剥がされそうな、荒っぽい空気も漂っていた。
そんな中で、イヴの存在は、やはり異様だった。人間離れしたその美しさと、どこか浮世離れした雰囲気が、否が応でも人々の視線を集める。好奇の目、羨望の目、そして……値踏みするような、いやらしい目。
「……チッ」
アタシは舌打ちし、イヴの腕を掴むと、自分の後ろに隠すようにして早足で歩いた。
「おい、あんまりジロジロ見られるような格好すんじゃねえ。そのフード、もっと深く被っとけ」
アタシが被せてやった、少し大きめのパーカーのフードを、イヴは素直に引き下げた。
「レン、疑問ぎもんがあります。なぜ他者たしゃからの視線しせんを避さける必要ひつようがあるのですか? 私わたしはレンの所有物しょゆうぶつです。その価値かちが高たかく評価ひょうかされることは、レンにとっても有益ゆうえきなのでは?」
その、あまりにも純粋で、的を射ている(かもしれない)言葉に、アタシはカッとなった。
「うるせえ! そういう問題じゃねえんだよ! 大体な、アンタは物じゃなくて……!」
そこまで言って、アタシは口をつぐんだ。物じゃない、としたら、じゃあ何なんだ? アタシにとっても、イヴはまだ、よく分からない存在なのだ。
アタシは気まずさを誤魔化すように、古着を扱っているジャンク屋にイヴを連れて行った。
「ほら、これでも着とけ。そっちの方が目立たなくて動きやすいだろ」
そう言って、丈夫そうなカーキ色のパンツと、少し色褪せたパーカーを放り投げる。
「…別に、アンタのためじゃねえ。目立つ格好でウロチョロされると、アタシの仕事の邪魔になるからだ。プロは、リスク管理を徹底するもんだからな」
イヴは、差し出された服を静かに受け取ると、「了解りょうかいしました。レンの判断はんだんに従したがいます」とだけ答えた。その声は、やはり以前より少しだけ、柔らかく聞こえた。
その後、アタシは顔なじみの情報屋を訪ね、遺跡で手に入れた旧時代のパーツを高値で売りつけ、代わりに次の遺跡の情報と、バイクの燃料、そして食料を手に入れた。イヴはその間、アタシの後ろで静かに待っていたが、時折、周囲の喧騒や、ガラクタの山を興味深そうに観察しているようだった。
その夜は、ダストピットの安宿――壁には穴が開き、いつ壊れてもおかしくないようなボロ宿だが――で一泊することにした。狭い部屋にはベッドが一つしかない。
「アタシはベッドで寝る。アンタはそこの床で充電でもしてろ」
「承知しょうちしました」
イヴはあっさりと頷き、部屋の隅に座ると、目を閉じてスリープモードに入ったようだ。その静かな横顔を見ていると、昼間の出来事が蘇ってくる。こいつの口調は変わったかもしれない。でも、やっぱりアニマ・マキナだ。人間の感情なんて、理解できるはずがない。……はずなのに。なぜか、アタシの心は妙にざわついていた。
(…面倒な拾い物には、変わりねえな)
アタシは自分に言い聞かせるように呟き、ベッドに潜り込んだ。硬くて寝心地の悪いベッドだ。それでも、荒野の岩陰よりはマシだろう。
窓の外では、ガラクタの街の騒音が、まだ遠くに聞こえている。そして、その向こうには、欠けた月が浮かぶ、広大な荒野の夜空が広がっていた。
このアニマ・マキナとの旅は、一体どこへ続くのだろうか。
プロとして、冷静に、感傷的にならずに、仕事をこなすだけだ。
そう、自分に言い聞かせながら、アタシはゆっくりと目を閉じた。
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