第2話 目覚めた機械人形(アニマ・マキナ)と、プロの選択
ステイシス・ポッドの縁に腰掛けたまま、アタシ――レンは、目の前でゆっくりと起き上がってくる存在から目が離せなかった。旧時代の遺物、アニマ・マキナ。その言葉は、埃っぽい遺跡の中でしか聞かないような、半ば伝説めいたものだと思っていたのに。
滑らかな、音ひとつ立てない動作で、そのアニマ・マキナは白いポッドから降り立った。プラチナブロンドの長い髪がさらりと揺れ、寸分の狂いもなく仕立てられたシンプルな白い衣装が、その人間離れしたプロポーションを際立たせる。そして、アタシに向けられたのは、どこまでも深く、静かな湖面のような青い瞳。感情というものが、まるで存在しないかのような。
「……おい、聞こえるか? アタシの声が分かるか?」
警戒心を解かずに、アタシは声をかけた。こいつが敵対的な存在だったら、プロとして即座に対応しなければならない。愛用の小型オートマチックのグリップを、ジャケットの下でそっと握りしめる。
アニマ・マキナは、アタシの問いには答えず、自身の体をスキャンするように数秒間目を閉じた。それから、再びその青い瞳を開くと、抑揚のない、透き通るような声で話し始めた。
「……個体識別名称>こたいしきべつめいしょう>、イヴ。全>ぜん>システム>自己>じこ>診断>しんだん>を>完了>かんりょう。機能>きのう>、概>おおむね>正常>せいじょう。現在時刻>げんざいじこく>……不明>ふめい>。外部>がいぶ>ネットワークとの接続>せつぞくを>試行>しこう>……失敗。長期間の機能停止確認。……起動シーケンス実行者を認識。あなたは?」
最初は何を言ってるか、良く分からなかったが、すぐにその発声は淀みないものになった。報告と最後の問いに、アタシは思わず息を呑んだ。見た目は少女でも、中身はとんでもない代物だ。自己診断に外部との接続試行? 旧時代の技術レベルは、アタシの想像を遥かに超えているらしい。
「へえ……大したモンだな、アンタ」
内心の驚きを隠し、アタシは不敵な笑みを(無理やり)作ってみせる。プロは、どんな状況でも動じないものだ。
さて、どうするか。このアニマ・マキナ、イヴを。ここに置いていけば、いずれ他の遺跡荒らしか、あるいはもっと厄介な連中に見つかるだろう。そうなれば、どんな面倒が起こるか分からない。それに……正直に言えば、こいつはとんでもない「お宝」になる可能性がある。まともに動く旧時代のアニマ・マキナなんて、ブラックマーケットに流せば一生遊んで暮らせるだけの金になるかもしれない。
(……プロとしては、リスクとリターンを冷静に見極めねえとな)
アタシは咳払いを一つして、イヴに向き直った。
「いいか、アニマ……いや、イヴ。アタシはレン。運び屋だ。見ての通り、しがないプロだがな」
少しだけ胸を張ってみせる。
「アンタをここから連れ出す。理由は聞くな。その代わり、アタシの指示には絶対に従ってもらう。それが取引条件だ。分かったな?」
イヴは、大きな青い瞳でアタシをじっと見つめてくる。その視線に、値踏みされているような、あるいは単にデータを収集されているような、居心地の悪さを感じた。やがて、彼女は小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……認識しました、レン。あなたの指示に従います。現時点において、それが私の最適な行動と判断します」
その瞳に、ほんの一瞬だけ、何か人間的な…好奇心のような揺らぎが見えた気がした。いや、気のせいか。アニマ・マキナに感情なんてあるはずがない。
「よし、決まりだな。なら、さっさとここを出るぞ。長居は無用だ」
アタシは背を向け、遺跡の出口へと続くルートを確認し始めた。武器の残弾をチェックし、バイクを停めてある場所までの最短経路を頭の中で計算する。プロの仕事は、準備が八割だ。
「行くぞ、イヴ。アタシから離れるなよ。何が起こるか分からねえからな」
「了解しました、レン」
イヴは、音もなくアタシの後ろをついてくる。その存在感の希薄さが、逆に不気味なくらいだ。
瓦礫が散乱し、足場の悪い場所を慎重に進む。ヘッドライトの明かりが、崩れた壁や、剥き出しになった鉄骨を照らし出す。アタシが足元を気にして少しだけ動きを鈍らせた、その時だった。
すっ、と白い手が伸びてきて、アタシの腕に軽く触れた。
「レン、足元に不安定な箇所あり。転倒の危険性を検出。サポートします」
その声と、触れた指先の感触。それは、金属のような冷たさではなく、驚くほど滑らかで、そして……ほんのりと温かいような気がした。
「なっ……!?」
予想外の接触に、アタシの体はビクッと跳ね上がった。心臓が、ドクンと大きく鳴る。
「さ、触んな! 余計なことすんじゃねえ! アタシはプロだ、これくらい平気だっつーの!」
思わず腕を振り払い、早口でまくし立てる。顔が、カッと熱くなるのが分かった。クソッ、何だってこんなに動揺してるんだ、アタシは!
アタシはイヴに背を向け、わざと足早に歩き出した。内心の動揺を悟られたくなかった。後ろから、イヴの不思議そうな声が追いかけてくる。
「レン、心拍数の急激な上昇を確認。体温も上昇しています。やはり身体に異常が発生しているのでは?」
「うるさい! 何でもねえって言ってんだろ!」
もう、めちゃくちゃだ。プロの冷静さはどこへやら。アタシはただ、この奇妙で美しいアニマ・マキナから、一刻も早く逃げ出したかった。
ようやく、遺跡の出口を示す、外の光が見えてきた。あそこまで行けば、アタシの愛機「ラピッドフェザー」が待っているはずだ。
「さあ、行くぞ!」
アタシは、内心の動揺を強がりの声で覆い隠し、イヴを促した。
「プロの仕事ってやつを、これからたっぷり見せてやるからな!」
イヴは、何も言わずに、ただ静かに頷いた。その青い瞳が、何を考えているのか、アタシには全く分からない。
目覚めたばかりの機械人形と、強がる少女運び屋。
私たちの、奇妙で、波乱に満ちたであろう二人旅が、今、まさに始まろうとしていた。
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