四  ふたりを擁える

 冬はつとめてと語られるように、冬のときは、火桶ひおけの火をおこす。

 ただ、今日ばかりは、寒天さむぞらを切りくような女房の声が、冬鳥を一羽飛ばしてしまった。


「いやああああああ!?」


 しとやかな紅椿ベニツバキ覚醒めざめるような絶叫だった。夢のなかだった雅明まさあきも、一瞬でめている。

 衝立ついたてのせいで奥はみえないが、黒方くろぼうの香とはみでた萌黄色もえぎいろ表着うえのきぬからさっするに、女房にょうぼうであろう。


(予想どおりだったな)


 はなれで毒膳のかゆをまぜていた蓉子ようしは、ため息をつきながら火を消した。


「び、びびび、吃驚びっくりした……」


 さねが蓉子ようしのもとへ飛んでくる。


「なななな、なんで!? ど、どういうこと!?」


「なんでって、彼をうごかさせるのは良くないから、そのままかせただけなのだけど。というか、冬鳥を飛ばすって、どれだけ叫んだのよ」


 そんなことより!! と、夜霧よぎりさけんだ。

 また一羽、冬鳥が寒天さむぞら羽搏はばたいていく。


「昨日、話があったんだ。桜明さくらあき女御にょうごからね」


 女御とは天子てんし妻妾さいしょうである。正妻である皇后こうごう中宮ちゅうぐうより下位だが更衣こういよりは上位である。皇后や中宮が女御からえらばれることを考えれば、のちの皇后や中宮がいる可能性も否められない。

 父親が大納言以上であればなれる座、齊木さいき家と比較にならぬほど高位だ。


(まさか、桜明の女御は《毒鬼どくき》に……?)


 なぜ、都で《毒鬼姫》や《毒喰い鬼》などとばれ畏怖こわがられている自分に──……。

 しかし、すぐさまくびを振って、夜霧に向きなおった。


「今日のうまときくらいにいらっしゃるそうだ」


「そう。……衝立をもうひとつ頂戴。女御と彼を同室にはできない」


「……僕は帰れないのかな」


「帰って失明したいのか? いやならここにいな」


「……はい」




 昼晝ひるになるにつれ、新しく降った雪はけていく。火桶の火も要らなくなって消され、冬らしいが好かぬという意味のかたりもあった。

 桜の季節はまだとおいが、如何いかにも甘くかおる花のおもかげは、睦月むつき如月きさらぎにもあった。


 たとえるなら枝垂しだれ桜の化身である。

 天子がお気に召すのもうなずける麗人れいじんだ。仮粧品けしょうひん装束しょうぞくも、花をおもわせ美麗うるわしい。色沢つやのある黒髪をもみるかぎり、病に罹患かかっているとはとうていおもえない。


 何より。

 大輪の花が、繚乱りょうらんと黒髪を装飾かざっていた。馥郁ふくいくたるかおりが花からただようためか、女御は香をいていないようである。


(出身が摂関家なら、中宮にもなられただろう)


 百の男が口をそろえて美麗うるわしいとうにちがいない容貌かおだ。

 あまい。これいじょうないほど、甜い。


「して、本日はどのような御用で」


 女御のとなりしていた女房にょうぼうが訴えた。


大和歌わかみ、ことばはっするたびに、髪に花が咲くようになりました。……しだいに、爪の先端さき頸下くびもとにも。咽喉のどが、苦しいらしいのです。声をだすのも苦しくなり、もうふた月ほど發声はっせいされておりませぬ……」


 女御のもみあげつぼみが、妖艶あでやかに開花ひらいた。


(《花語かご》は美麗うるわしいとしるされていた)


 《花語》

 それは、《毒鬼どくき》の症状のなかでも、最も美麗しく、最もおぞましいものだ。

 ことばを口にするたびに、体に花が咲く。いずれは、ほねや肉、かわや筋、内臓ぞうきをも花で被覆おおわれてしまう。そして、咲きみだれる毒花をのこして、生き続けるのだ。


 これだけ大輪の花が繚乱りょうらんしているということは、それだけ生命いのちを奪われてきたということである。馥郁ふくいくたるかおりで満たされ、鮮烈あでやかな花葩はなびらを誇っている容姿すがたは、美麗うるわしく、それでいてみにくかった。


(毒花は、ことばみ続けたまま枯れない。花が散り枯れないかぎりは、死ねない。容姿すがたはかわりはて、忌々いまいましき性質をもとうと、おのれが毒花と化すのだから)


 ただちに治療をほどこさなければ、女御はそのうち、永久とわことばを喰む枯れない毒花となってしまう。

 前後左右、どこをみても花が誇っている。

 これは、時間がない。


「治療法を提案します。ひとつは、全身注射。全身に注射をし、根から花を枯らします。それから、過不足処置。花にとってはすくなすぎる水とおおすぎる陽光で、花をしおれさせて枯らします。そして、薬膳やくぜん療法。代謝機能を向上させて体内の種子たねを排出し、これいじょうの開花を防止ふせぎます」


 《毒鬼》には確立した治療法がない。

 だが、幾度となく己の生身で実験を繰りかえした蓉子ようしは、それなりの打開策をみいだしていた。

 都の貴族や典医てんいは誰ひとりといしてみとめていないが。


「え、えらべといわれても……」


「ええ、難しいとおもいます。痛みがいやなのなら、過不足処置と薬膳療法を推奨すすめますね。時間はかかりますが、ほとんどなにも感じませぬから。美味か不味かはどうとして」


(良薬は口に美味し。漢方薬であらば、患者にあっていると、不味まずさを感じないらしい)


 もっとも、疫病えきびょうすらも滋養となす蓉子は、漢方薬を口にしたことはない。

 どうしても、薬学の知識は、典籍ありきになってしまう。ゆえに蓉子の房室へやのうちのひとつは、医学書や薬学書であふれかえっている。


「……そうですか。えっと、では、過不足処置? と、薬膳療法を……」


(まあそうだよな)


 時間はかかるが、その間は《毒鬼》の進行が遅れる、というかとまる。そして、薬の効能で、いずれ良くなるのがだった。


「承知しました」


 調毒と同様、調薬ははなれでだ。

 雅明と桜明の女御。ふたりの患者の生命を委ねられたからには、かならずたすける。治す。

 《毒鬼》の蔓延はびこる現世をかえられるのは、自分しかいない。


(わかりきったことだ)

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