三  夜這い

 雪の降り頻るよるに月の雫は零れ、花葩はなびら鮮烈あざやかに誇った。

 紅椿ベニツバキ鼻腔はなをちかづけぬかぎりかおりがわららない。代わりに、紅白の梅の花が装飾かざっている。こんな凍てつくなか、《毒鬼姫どくきひめ》とばれ畏怖こわがられている自分へ、男が来るとはおもえない。


(おおかた、揶揄やゆしていたんだろうか)


 あり得る。

 毒にみせられた姫君に文を送れば、どうなるのか──じつに物数奇ものずきがやりそうなことである。


 そうおもっていた矢先、凛、と、鈴の音が鳴った。

 いや、祭でもないのに、鳴るわけがない。神楽かぐら──いや、それもあり得ない。


「《毒鬼姫》と称ばれているのだから、どんなこわい姫かとおもったら──仮粧けしょうはせずといえ、普通の姫君ではないか。安心したよ。妹君に似ていて、おそろしさはちっともないね」


 のれんをくぐる音もしなかった。

 文几ふづくえの目の前に、黒い狩襖かりぎぬの青年がいた。まなこが薄紫に濁りかけている。みたところ、自分より歳上だろうかと、蓉子ようしは彼をみあげた。


貴男あなたが、文の送り主の──」


「そうだよ。大貫おおぬきの雅明まさあき、陰陽師といえばわかるだろう。まあ、晴明せいめい道満どうまんのような天才ではないからね、たいしたやつでもないけれども」


 雅明まさあき頸筋うなじいたとき、あやしい陰が散らついた。

 逆だ。

 奇しいだ。目眩まぶしい光の粉が舞っている。


(そして、彼の目は濁っている。ということは)


「貴男、《毒鬼どくき》に罹患かかっているんでしょう」


「やはりね、禁毒卿きんどくきょうよりもさとい。以前、禁毒卿に僕の症状をせたが、《毒鬼》だと判るまででうまときになってしまったよ。薬を頂戴いただいたときにはとりの刻、そして薬が効いたのか判らずに、ひと月も経ってしまった」


左様さようですか。申し訳御坐ございませんでした」


(父上、幾らなんでも非道ひどすぎだ)


 患者の生命いのちを背負う身でありながら、これとは。禁毒卿の娘としてじる。自分が生まれたときにおなじおもいを抱えていたのではないかとも、おもえてしまう。


「貴男を蝕んでいるのは《盲輝もうき》です。これに罹患かかると、一挙手一投足のたびに光り輝く粉をまといます。夜空とあわせるととても美麗うるわしいですが、その粉が増えるたびに、視力を失い、最終的には失明しつめい。挙句、その粉には毒が含まれており、吸えば同様の症状があらわれます」


「その説明は禁毒卿からも受けたね」


「左様ですか。云っておきますが、《毒鬼》に確立した治療法はありませぬ。《盲輝》もしかりです。今最善なものは、網膜に薄い膜を張って粉が刺さるのを防止ふせぐ注射と、全身から粉が舞うのを防止ぐ塗り薬です」


 詳らかな説明を聞いて、雅明まさあきうけがった。


「君は僕を治せるかい」


「貴男を実験体にしてしまうけれども」


「かまわない。……死なないんだろう?」


「死ぬんだったらやらないでしょう」


 だろうね、と雅明まさあきは微笑んだ。はなどもが頬を染めてしまうような容貌かおだろうな、とだけ心で呟いた。まさか「《毒鬼》を治すため」などとは云っていないだろうから、周囲はどれだけ驚愕おどろいたことだろう。


「では、注射器をもってきます」


「診療室には、僕も行った方がよいかな?」


「動くな」


 びくりっと震えあがったあと、雅明まさあきはすこしも動かなくなった。

 なにかの術ともとれるが、先ほどの蓉子ようしの声に覇気はきがありすぎただけである。


「動くな。動けば、粉が舞う」


 先ほどのような無気質むきしつ平安おだやかさからの変貌ぶりに、雅明まさあきがしずかに微笑わらった。視界のすみで、光り輝く金色の粉が散らつく。目の深部おくを刺されるような痛みに襲われた。


(どうして《毒鬼姫》と云われるのか理解らないほどに、奇麗きれいな姫君だ)



     ◇



「まだ動かないで」


 ほんのすこしの間をおき、蓉子ようし雅明まさあきにまた声を降らせた。体勢を維持する力も限界にちかいのか、雅明まさあきは腕を震動ふるわせている。


「注射器をもってきましたから」


「……眼球に、刺すのかい?」


「眼球にすのですよ」


 蓉子ようしがもっている注射器は、注射器というわりには太く丸かった。

 これを眼球に刺されるのか、と、雅明まさあきは息をむ。蓉子ようしがちかよったときには、もう眼瞼まぶたじ開けられていた。ぽとり、と眼球に、落下ちてくる。


「目は閉ざさないで。薬がれてしまうから」


 眼球のおもてが液体でたたえられたころ、ようやく目のまわりを拭った。

 目に張られた異物感がどうも消えない。


「いまのが注射だと?」


「正確には《眼薬めぐすり》というのだけれども、まだ都にはられていない名前なので、どうもいちばんちかそうな《注射》という名で呼んだだけです。べつに、禁毒寮の方々とは《眼薬》でも通じますから」


 いま差した眼薬は液状のものだ。容器いれものから涓滴いってき、目の表面にらす。習熟れればひとりでも差せるが、難しいので、と蓉子ようしけ加えた。


 途端。

 雅明まさあきが頸を軽く振った。粉は、注視してようやくすこしみえるほどしか、舞い散っていない。


「視界に……粉が、散らつかない」


「それでいて《眼薬》ですので。……されど、これでおわりでは御坐ございません。一日に二回、夙暮あさゆうに点眼を」


夙暮あさゆう……か」


 治療は続けることがたいせつだ。どんなに効果的な治療法でも、なやまされながら、それでも続ける。

 体質があわなければ、該当の症状が顕れて、すぐさま治療法を変える。

 よって体質にあわない治療法を続けることは理論上絶対にないのである。


 あくまで理論上、だが。


「あと、目を休憩やすめるには睡眠がいちばんですので、よいっ張りには気をつけて。蒲団ふとんを用意しますから、ここでてください。私は離で臥るので」


 普通は自分の着物いふくを蒲団にするものだが、病臥びょうがした者には、汗をよく吸い放つ縮織ちぢみの蒲団を使う方がよい。精神が動揺ゆらいでいるときによくかく汗が、べったりと着物や肌膚はだにつくのはいやにきまっている。


「……ここは君のねやだろう? 女房にょうぼうたちは?」


「たぶん、貴男あなたをみてさけぶでしょうが、お気になさらず。あの文の送り主だと、すぐに気づくでしょうから」


 月と雪に照らされた姫君は、ひどく美麗うるわしい手つきで、雅客スイセンを引きぬいた。

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