二  美味き毒は薬膳料理

 海岸うみぞいの国から平安京へと参った淡野あわののさねは、牛車ぎっしゃから身を乗りだし、華やかで賑わった大路おおどおり魅入みいっていた。


「うわあ……! 京の都はこんなに立派なのですね……!」


 高官のやしきがたちならぶ一帯に、牛車はとまった。

 うまいこと顔をかくしながら、菊の香のかれた女房装束にょうぼうしょうぞくを着、夜霧よぎりという女房頭の前で正坐せいざした。

 三十手前ほどにみえる。


淡野国あわののくにから参りました、さねです。よろしくお願い致します!」


「さね、ね。よろしく頼むよ。ただ、うちの姫様はちょっと――いやかなり奇妙なひとだからね。いちおう、そこの衝立ついたて(仕切り)の向こうが姫様のところだけれども、いつもはなれにいるよ」


「そうなんですね! なにをしているんでしょう……」


 今日から仕える主君の顔くらい、おぼえなければ。

 さねは、男の目がないことを確認し、夜霧よぎりのあとに続いて庭園にでた。紅椿ベニツバキの花の色が銀白色の地で映える。

 きょろきょろとあたりを見回していると、夜霧よぎりに「落ちつきな」と、ぴしゃりとしかられてしまった。


(これが雪……初めてみた)


 その銀世界のなか、ぽつりと一軒、いおりのような、いやそれにしてはおおきいような小屋がたっていた。


「ここが離だよ。姫様は寝られるときのほかは、ここにもっているか庭におられる」


「なるほど……」


 近づいて、扉を開けたとき。


「やめな!!」


(うっ……!?)


 鼻腔びくうをひどく刺激する、今までいちどもいだことのない、またにどと嗅ぐことのないような、すくなくともよいとはえないにおいがあふれてきた。


(こ……これは……!?)


「あぶない。直接吸ったら、鼻の粘膜ねんまくや組織が破壊される。はやく邸へ戻って、空気を吸いな」


 若い娘の声にうながされ、周章あわてて邸のなかへもどる。しばらく無味無臭の邸の空氣くうきを、心配になるほどはやく吸っていた。

 夜霧がさかずき一杯分の水を注ぐ。


「大丈夫かい。一日目からご苦労さん。ったく、だから扉を開けようとしたとき、やめろ!! とさけんだのに」


「はい……すみませんでした……」


 ごくごくと水をみおえ、そういえば、と呟く。


「さっき私をたすけてくれた女の子が、姫様ですか?」


「そうだよ。あんたが仕えるね。禁毒卿きんどくきょうの三の姫様だ」


 さねはくびを傾げる。


「禁毒卿?」


「……あぁ、わすれてた。《毒鬼どくき》のことは都近辺のほかはあまりつたわっていなかったんだっけ。都では大変だけれども、地方はそうでもないんだねえ。はあ、羨ましいよ」


 夜霧よぎりは、《毒鬼》と禁毒卿について語った。


 都では、病因不明、毎日のように患者がふえていき、完治した例はない――というおそろしき奇病が流行はやっている。それを都のひとびとは、毒々しき鬼、すなわち《毒鬼》と呼んでいる。

 昨日も《毒鬼》の患者がここに来ていた。とらわれた記憶を象形かたどった肉塊が体中から生えてくる、《肉憶にくおく》の患者であった。

 いまだ治療法が確立しない《毒鬼》を研究、および治療するために設立されたのが、禁毒寮。そして、その禁毒寮をまとめるのが、禁毒卿である。


「ここは、禁毒卿のお邸なのですね……」


「そうだね。禁毒卿とその奥様方、それから子女様方が住まわれている。女房もふくめれば、さらにおおいというのは、さねもわかるだろう」


「はい!」


 夜霧よぎりは、そして、と話を続けた。


「禁毒卿の三の姫様が私の主君なのだけれども――」


 コリッ、カリッ、と。途端、夜霧よぎりかたりをさえぎるように、咀嚼音そしゃくおんが通った。

 みれば、夜霧よぎりとさねのすこし横に、十二単じゅうにひとえを着た娘がすわっていた。毒々しい色をしたお膳を、すずしい顔で食している。


貴女あなた、さね、っていうの」


 箸でつかまれていたのは、ぷるりとした質感をたもった、生きたままの姿の海月クラゲだ。海岸うみぞいの国に生まれたさねにはわかる。猛毒をもった水海月ミズクラゲだ。


「ひ、ひいっ……!? な、なに、なに食べてるんですかー!?」


夜霧よぎりらなくて。水海月ミズクラゲという、海中を揺蕩たゆたういきものなのだけれ――」


「しし、知っております。ですが、ももも、猛毒でしょう!? 食べるなんてもってのほか――っていうか、おもいっきり触手が刺さってますよ!?」


「そう、猛毒だけれど」


 目玉をいて絶叫するさねとは対照的に、十二単の娘はすんとしていた。かさねた着物の色あい、そして話し方、なにより声色から、さねは察する。


「……もしかして、禁毒寮の三の姫様の――」


「そう。齋木さいきの蓉子ようし、ひと呼んで《毒鬼姫どくきひめ》」


 ちゅるり、と。醬油しょうゆに漬かった水海月ミズクラゲを、それはとても美味しそうにくちにふくみ、舌で啄のまわりを拭った。


「……どく、き、ひめ……」


「ほかにも、《毒喰い鬼》とも呼ばれている。毒に魅せられた妖姫あやかし、という意味で――そんなに私の姿は不気味か」


 自分ととしの近いひとのはずなのに、とてつもなくあやしい幽暗くらやみを感じとれた。


(もしかして、ほんとうに妖姫あやかしなんじゃ……)



     ◇



「美味き毒は薬膳料理」


 蓉子ようしの唐突なことばに、さねは「へっ?」と素っ頓狂な声をあげた。

 目の前の姫君はやはり美麗うるわしい。


「私が《毒鬼姫》と呼ばれる所以ゆえん。普通なら、神経が麻痺しびれ、内臓ぞうきがくずれ、ひとがしびとにかわるような毒は、私を生かすための滋養となる。いえ、私がなす。《毒を滋養となし姫》、《毒喰い鬼》、《毒鬼姫》」


 水海月ミズクラゲは猛毒をもつ海月クラゲだ。蓉子ようしのように食せば、吐き気や頭痛、呼吸困難や意識障害をおこす。触手が刺されば、かゆみや発疹ほっしん、灼熱感やみみずれを。

 ときには死にいたる毒は、彼女にとって、これ以上ない栄養食、薬膳料理なのだと。


にわかには信じられないでしょうね。都の貴族は、私のことを鬼か妖姫あやかしのたぐいだとっているもの」


「え、ええ……」


 でも、そんな私にも、と。そう云いながら蓉子ようしは、蛇腹折じゃばらおりの紙を取りだした。


「手紙が届いてる」


 さねがのぞきこむと、書かれていたのは、


「恋文……?」



 あひみては 心もかくる しののめの ゆめにぞまどふ 君がおもかげ



「『貴女あなたをみたあとというもの、心が落ちつかず、黎明よあけのぼんやりした梦のなかみたいに、貴女あなたの俤に迷わされ続けているんです』……」


「いつみたのからないけれど、送り主までご丁寧に。しかも真名まなで……」


 陰陽寮おんみょうりょう大貫おおぬきの雅明まさあき

 筆蹟ひっせきみだれがよくめだつ恋文だった。


「まさかとはおもうけど、姫様のところに、夜来るとかは、あるのかね?」


「返歌も送ったし、あるとおもうわ」



 蓉子ようしの云った通り。

 禁毒卿邸へと足をはこぶ、光をまとったひとつの影があった。

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