第5話
1
生徒会室のホワイトボードには、「多様な性表現ワークショップ」という文字が赤いマグネットで固定されていた。拓也はその文字を見つめ、生き物のように躍動しているように感じた。
「十崎君には個人体験を話してもらう」佐々木会長はメガネを押し上げた。「15分間、内容は自由だ。質問は?」
喉が締め付けられた。15分間、全校生徒の前で「さくら」の話をする――カフェのメイドとしてではなく、十崎拓也のもう一つの姿として。
「服装は?」自分の声が聞こえた。「何を着れば…」
佐々木会長は数秒間拓也を見つめた。「伝えたい内容に最も合うものを着ればいい」パソコンに向き直りながら付け加えた。「もちろん安全第一。風紀委員に警備を強化させる」
生徒会室を出ると、拓也のシャツの背中は汗でびっしょりだった。廊下の角で、健太が飼い主を待つ大型犬のように飛び出してきた。
「どうだった?会長、無理難題押し付けてこなかったか?」レモンのボディソープの香りを漂わせながら、首に腕を回してきた。
拓也は首を振り、内容を簡単に説明した。話が進むにつれ、健太の目は見開かれていった。
「待てよ、全校生徒の前で女装するってこと!?」廊下に響き渡る声に、拓也は慌てて口を押さえた。
「女装じゃない…体験を共有するだけ…」自分でも違いがわからないのに、そう訂正した。
突然、健太は彼の肩を掴んだ。「最高じゃねえか!思ってたより刺激的だぜ!」目を輝かせながら。「俺がボディーガードになる!いや、マネージャーだ!衣装も全部任せろ!」
拓也は二歩後ずさった。健太はいつもこうだ。全てを少年漫画のように盛り上げる。だが今、その大げさな反応がかえって緊張を和らげてくれた。
「カフェの人たちにはまだ言わないで」小声で頼んだ。「美咲姉たちには自分で話すから」
健太は口にチャックをする仕草をしたが、突然何かを思い出した。「そうだ、今日放課後付き合ってくれないか?文化祭用に買い物がしたいんだ」
女性用下着売り場に立つまで、健太の「買い物」の意味がわからなかった。
「どっちの色がいいと思う?」健太は黒と白のレースのブラジャーを手に比べていた。「黒はクールだけど、白の方が学園テーマに合うかも…」
頬が火照った。周囲に知り合いがいないか慌てて見回した。学校から三駅も離れたデパートだが、不安は消えなかった。
「マジで言ってるの?」声を潜めて聞いた。「文化祭でこれを着るつもり?」
健太は首を傾げた。「なんでダメなの?『多様な性』を表現するんだから、思い切り行くべきだろ?」薄いブルーのものを手に取った。「これ、君の目に似合いそう」
拓也はハンガーを奪い返した。「バカ言うな!佐々木会長も『安全第一』って…」
「だからこそ練習が必要なんだ」健太は急に真面目な表情になった。「俺までビクビクしてたら、君を勇気づけられないだろ?」
レジ前で、健太は自分のお金で白いブラジャーを買うと主張した。明らかに大きすぎるサイズを選んでいることに気づいたが、敢えて聞かなかった。
2
「月影」カフェの更衣室で、美咲は拓也のウィッグを調整していた。今日の彼の調子は特に悪く、アイメイクは三度も描き直した。
「新規客のカフェラテ!」莉香が顔を出した。「さくらちゃん、お願い」目を細めて続けた。「あのメガネの大学生、一週間連続で来てるわよ」
拓也はため息をついた。文化祭の準備が始まってから、カフェでの仕事は異常に辛くなっていた。昼間はスピーチの原稿に頭を悩ませ、夜はすぐに「さくら」モードに切り替えなければならない。心が引き裂かれそうだった。
「またボーっとしてたら目を突くわよ」美咲はマスカラブラシで彼の額を軽くたたいた。「今日もアイラインが曲がってたら、クレンジングでシャンプーさせてもらうからね」
拓也は必死に集中した。鏡の「さくら」は完璧なメイクだが、目の下にうっすらクマができていた。この二週間、睡眠時間は毎日五時間以下だった。
「美咲姉…」躊躇いながら切り出した。「もし誰かが公の場で…男の娘について話すとしたら、どう表現すればいいと思う?」
美咲の手が止まった。「ようやく親に打ち明ける気になったの?」
「違う!学校の…課題で」曖昧にごまかした。
美咲は化粧ブラシを置き、真っ直ぐに見つめた。「いいか、新米。こういうことには二つの道しかない――完全に隠すか、完全に咲ききるか」スプレー式の化粧水を手に取り、「中途半端なカミングアウトが一番人を傷つける、特に自分自身を」と付け加えた。
拓也はわかったようなわからないような返事をした。美咲は突然彼の頬をつまみ、横に引っ張った。「はい、笑って!客はそんな浮かない顔見に来てないんだから!」
営業フロアに出ると、すぐに莉香が言っていた客がわかった――黒縁メガネの細身の男子学生が、窓際の2番テーブルに座っていた。テーブルには『ジェンダー研究入門』という本と、半分飲まれたカフェラテが置かれている。
「お待たせしました~」拓也は「さくら」モードに強制切り替えし、新しいカフェラテを運んだ。「本日のラテアートは特別バージョンの桜です」
客は顔を上げて微笑んだ。「ありがとう。実は…あなたが誰か知っています」
トレイを落としそうになった。客の声は小さいが、一言一言が胸に鈍く響いた。「十崎拓也さんですね。東大社会学部の森田です。男の娘文化を研究しています」
森田は本から一枚の紙を取り出した。そこには拓也の学校の校章が印刷されていた。「貴校の文化祭企画は非常に意義深い。研究事例としてインタビューさせてください」
拓也の頭が真っ白になった。この見知らぬ人物は、本名だけでなく文化祭のことも知っている?思わず後ずさりし、デザートを運んできた莉香にぶつかった。
「お客様」莉香は甘い声の中に警告を込めた。「スタッフに変なことを言わないでくださいね~」
森田は慌てて手を振った。「悪意はありません!ただ協力したいだけです」名刺を差し出した。「気が変わったら、連絡ください」
厨房に戻ると、拓也の手はまだ震えていた。莉香は名刺を奪い取り、ビリビリに破いた。「また一人、上から目線の観察者が来たわ。この前も教授って名のただの飲み友達探しが来たばっかりなのに」
美咲に伝えたいと思ったが、今夜は客が多くて一人になる暇がなかった。閉店時、森田の名刺の破片がエプロンのポケットに残っているのを見つけた。
そこには電話番号と、【生徒会の佐藤に注意】という手書きの文字だけが記されていた。
3
拓也は破れた名刺を何度も見返し、ベッドで眠れずにいた。生徒会の佐藤?思い当たるのは佐藤千佳ただ一人――二年の風紀委員で、遅刻者を無愛想に記録する女子だ。話したこともない。
なぜ森田は佐藤に注意しろと言うのか?そもそも森田はどうやって文化祭のことを知った?携帯を見ると午前1時23分。明日は数学の課題提出日なのに、頭は疑問でいっぱいだった。
携帯が震えた。健太からのメッセージ:【寝た?今日買った戦利品試してみた…サイズでかすぎワロタ】添付された写真では、白いブラジャーを着けた健太が鏡に向かって変顔していた。がっしりした上半身にぶかぶかのブラジャーは、滑稽で不釣り合いだった。
思わず笑い、返信した:【パラシュートみたい】
健太は即レス:【文化祭までに中身を詰めてみせる!ところでスピーチ原稿どう?】
拓也の笑みが消えた。彼のドキュメントには三行しか書かれていなかった:
【こんにちは
1年B組の十崎拓也です
男の娘カフェでも働いています】
これらを書いただけで胃が痛んだ。全校生徒の前でどうやってこれを口にすればいい?その後どんな視線に耐えればいい?
【書けない】正直に打ち明けた。
健太は考え込むスタンプを送り、音声メッセージが続いた:「原稿なんて書くなよ!アドリブが一番リアルだ!何を伝えたいか考えろ――男の娘を理解してほしいのか?自分自身にケリをつけたいのか?それとも誰かを黙らせたいだけか?」
拓也は何度もこのメッセージを聞いた。何を伝えたい?最初に佐々木会長に引き受けたのは、断ると怒られるのが怖かったからだ。だが今、もう一つの可能性が見え始めていた――このスピーチで、二重生活から解放されるかもしれない。
また携帯が震え、今度は清水先生からのメッセージ:【明日放課後空いてる?文化祭のスピーチ相談に乗るよ】
驚いて画面を見つめた。先生に文化祭の話はしていない。考えられるのは佐々木会長から連絡があっただけだ。少し安心した――少なくとも会長は真剣にこの企画を考えているのだ。
【空いてます、よろしくお願いします】返信し、明かりを消して無理やり寝ようとした。
夢の中で、彼は体育館のスポットライトを浴び、「さくら」のメイド服を着ていたが、ウィッグはなかった。客席からは驚きと嘲笑の声。逃げようと振り向くと、佐藤千佳が舞台袖でスマホを向けていた…
4
放課後の数学準備室で、清水先生は黒板にフローチャートを描いていた。
「スピーチで大切なのは構成よ」チョークで黒板を叩き、「導入でテーマを明らかにし、具体例で肉付けし、結論で核心を強調する」拓也に向き直った。「あなたの核心メッセージは何?」
拓也は指をもみほぐした。「わ…わかりません」
「そこから考えましょう」先生は椅子を引き寄せた。「全ての恐怖や遠慮を捨てて、聴衆に最も伝えたいことは?」
ブラインドを通した陽光が先生の顔に縞模様の影を落としていた。睫毛が光に透けて、初春のつららのように見えた。
「伝えたいのは…」深く息を吸い、「男の娘はただの趣味や仕事じゃない…私の一部だけど、全てじゃない」
先生は微笑んだ。「良い出発点ね。なぜそれが重要なの?」
「だって…」カフェの更衣室、家の鍵のかかった洋服ダンスの引き出しを思い浮かべ、「みんな男の娘を変人扱いするか、ネタにするか…でも私にとっては…」適切な比喩を探し、「バスケットが好きな人もいれば、手芸が好きな人もいる…ただの自己表現の一形態」
先生はメモを取り、「具体例は?女装を始めたきっかけや、カフェでの体験を話せばいい」そして付け加えた。「ただし、話したい範囲だけでいい。プライバシーは義務じゃない」
拓也は頷き、心の重荷が少し軽くなった。先生は全てを曝け出すよう求めず、選択的な表現方法を教えてくれた。
「それと」引き出しから小さなボトルを取り出した。「汗止めスプレー。体育館の照明は熱いから」
拓也は耳を赤らめて受け取った。先生は最初から彼がどんな格好で登壇するか見抜いていた。
「最後のアドバイス」ノートを閉じながら、「信頼できる人たちを最前列に座らせなさい。優しい顔が見えると安心できるから」
校門を出る頃には、気分は来た時よりずっと軽かった。文房具屋に寄って、プレゼン用の材料を買うことにした。夕日が影を長く引き、自分の歩幅が自然に大きくなっているのに気づいた。
文房具屋の角で、見覚えのある人影に足が止まった――佐藤千佳が誰かと話している。拓也は反射的に電柱の陰に隠れ、こっそりのぞき込んだ。
佐藤と話しているのはマスクをした女生徒で、封筒を手渡していた。佐藤は封筒を受け取ると警戒して周囲を見回した。拓也は身を引っ込め、鼓動が早まった。再び覗いた時には二人は別れ、佐藤は学校方向へ歩き去っていた。
マスクの女生徒が振り向いた瞬間、拓也は気づいた――クラスメートの西園寺だ。教室の隅で、前髪で顔を隠しているあの子だ。
頭が高速回転した。佐藤千佳と西園寺の関係は?なぜ森田は佐藤に注意しろと言ったのか?夢で佐藤がスマホを向けていたことを思い出した…
5
文化祭三日前、拓也のロッカーに匿名のメモが入っていた。
【スピーチを辞めろ。さもないと正体を全校にばらす】活字のような整った字で、筆跡からは誰だかわからない。
手が震えた。ついに脅しが来たのだ。メモを丸めてポケットに押し込み、深呼吸した。
「どうした?顔色悪いぞ」健太がコーヒー缶を手に現れた。
躊躇ってメモを見せると、健太の表情が険しくなった。「くそ、やっぱりな」周囲を見回し、「最近ロッカーの近くに怪しい奴いたか?」
「わからない…でも昨日、佐藤千佳と西園寺が何か渡し合ってた」
「西園寺?あの陰気な子?」眉をひそめた。「佐藤と?変な組み合わせだ」
教室へ向かう途中、掲示板に文化祭のポスターが貼られているのを見つけた。「多様な性表現ワークショップ」は午後2時、体育館サブアリーナで。自分の名前が印刷されているのを見て、めまいがした。
「反撃だ」健太が突然言った。「まず脅してきた奴を突き止めて、文化祭で堂々とスピーチする」
「どうやって?」
健太は笑みを浮かべた。「作戦がある。美咲姉と莉香姉の助けが必要だ」
放課後、珍しく一緒に「月影」へ行った。美咲は状況を聞くと、さっと帳場下からノートを取り出した。「分析開始。第一に、ロッカーのパスワードを知ってるのは?」
「健太と…担任だけ」
ネイルポリッシュを塗りながら、莉香が続けた。「第二に、このワークショップで不利益を被るのは?例えば性の多様性に反対してる人」
「生徒会の山本先輩」健太が即答した。「この前『同性愛は病気だ』って食堂で言ってた」
美咲はノートに書き込みながら、「第三に、佐藤千佳と西園寺に接触できる人物は?」と問いを重ねた。
閉店まで議論は続き、容疑者リストと行動計画が完成した。健太は山本を調査、美咲は常客ネットワークで情報収集、莉香は元アイドルの偵察能力で佐藤を尾行する。
「俺は?」拓也が聞くと、
「あなたはスピーチの練習」美咲がペンで彼の頭を軽く叩いた。「誰が脅してこようと、最高の反撃は壇上に立つことよ」
その夜、拓也は珍しく制服のまま鏡の前に立った。普通の男子生徒服、少し青白い顔、緊張で固く結ばれた唇。
そしてネクタイを緩め、一番上のボタンを外し、清水先生の汗止めスプレーを軽く顔にふりかけた。鏡の像は「十崎拓也」でも「さくら」でもない、より真実に近い何かに変化していった。
パソコンを開き、真剣に原稿を書き始めた。今度は言葉が泉のように湧き出た。結びの段落で一瞬考え、こう打ち込んだ:
【今日以後何が起きようと、もう隠れるのは終わりだ。本当の隠れ蓑は外見を変えることではなく、自分の全てを認められないことだから】
原稿を保存し、カーテンを開けた。星空がきらめき、明日は晴れそうだった。文化祭まであと三日。彼は全てを受け入れる準備ができていた。
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