第6話
1
文化祭当日の太陽はことさらまぶしかった。拓也は体育館裏の全身鏡の前で、震える指でシャツのリボンタイを調整していた。彼が選んだのは中性スタイル――男子用白シャツに女子用の黒スリムパンツ、少し伸ばした髪をピンで留めていた。
「もう少し左」健太が手を伸ばしてリボンを直した。「完璧!これならフォーマルすぎず堅苦しすぎない」
裏方は騒然としていた。各クラスの出し物の最終準備が進む中、拓也の「多様な性表現ワークショップ」は午後2時開始まであと30分。ポケットのスピーチ原稿は汗で少し湿っぽくなっていた。
「緊張してる?」健太が水のボトルを差し出した。「飲んでおけ。でも飲みすぎるなよ、トイレが近くなるから」
拓也はボトルを受け取ったが、震える手で落としそうになった。昨夜の夢がよみがえる――スポットライトを浴び、笑いものになり、舞台袖で佐藤千佳にスマホを向けられる悪夢だ。
「おい、しっかりしろ!」健太が指を鳴らした。「清水先生が最前列に、美咲姉たちが後ろにいるぞ」
少し安心した拓也は深呼吸し、スピーチの冒頭を頭の中で繰り返した。その時、照明が一瞬暗くなり、ざわめきが起こった。
「どうした?」健太がきょろきょろする。
1年生が駆け寄ってきた。「大変です!プロジェクターが勝手に動画を再生してます!技術委員の操作じゃないそうです!」
拓也の心臓が止まった。健太と顔を見合わせ、舞台袖へ駆け込む。隙間から覗くと、スクリーンには「月影」カフェで「さくら」として働く拓也の姿が映し出されていた。メイクでは隠しきれない頬のほくろまで大写しになっている。
「あれ十崎じゃん?」
「マジで…」
「キモッ」
ざわめきが波のように広がる。拓也の足が棒のように固まった。最も恐れていた悪夢が、想像以上に残酷な形で現実になった。600人以上の全校生徒に正体を知られた。
「クソッ!」健太が歯ぎしりした。「佐藤の仕業だ!ぶっ飛ばしてやる!」
「待って!」拓也が腕を掴んだ。「もう…みんな知っちゃったんだ…」
声が詰まった。2年間守り続けた秘密が、一瞬で崩れ去った。
2
突然映像が止まり、スクリーンが青くなった。佐々木会長が舞台に現れ、険しい表情で宣言した。「悪質なハッキング行為です。生徒会として強く抗議します」
客席の騒ぎは収まらない。スマホを向ける者、囁き合う者、嘔吐ジェスチャーをする男子生徒。最前列で清水先生が立ち上がり何か叫んだが、雑音に消えた。
「拓也…」健太が心配そうに言った。「スピーチ中止だ。危険すぎる」
涙で視界がぼやける。逃げるのが脅しの目的か。美咲の言葉がよみがえる。「最高の反撃は舞台に立つこと」
「いや」涙を拭い、意外なほど強い声で言った。「僕は話す」
「マジで!?今上がったら――」
「更衣室のバッグを取ってきて」拓也は遮った。「別の服が入ってる」
健太は渋々頷き、走り去った。
舞台袖で佐々木会長とすれ違う。「十崎君、申し訳ない。映像の出所を調べて――」
「やらせてください」拓也は言った。「今こそ必要なのです」
健太が戻り、バッグを手渡す。更衣室で着替えた拓也は、男子シャツの上に「月影」のエプロン、校ズボンに莉香借りの漆皮パンプス、ウィッグはないが薄化粧に透明マニキュアという姿だった。
「すげえ!」健太の目が輝いた。「どっちでもない…いや、どっちもだ!」
「変かな?」
「いい意味で変だ」健太は笑った。「君が言ってた通り、二者択一じゃないんだ」
3
「1年B組、十崎拓也さんによる『多様な性表現』について」
アナウンスが遠く聞こえる。舞台に上がると、スポットライトが眩しく、客席が見えない。異様な静けさの中、拓也は汗ばんだ原稿を取り出し――思い切って引き裂いた。
「皆さんこんにちは。十崎拓也です。またの名を『月影』カフェのメイド『さくら』」
ざわめきが起こるも、話し続けた。「あの映像は僕の悪夢でした。でも今、嘘をつかなくていい解放感を感じています」
女装を始めたきっかけ、カフェでの日々、二重生活の苦しみを語る途中、健太が舞台に上がってきた。
「俺も女装してるんだ!」自撮り写真をスクリーンに映し、「拓也より下手くそだけど、それがどうした!」
笑いが起こり、空気が和む。拓也は続けた。「性表現は白か黒じゃない。バスケ部員もレースが好きかもしれない。優等生も週末はメイドかもしれない」
清水先生が立ち上がり、自身の性別移行経験を語った。女子生徒が男装を、バスケ部員がマニキュアを告白する連鎖が起きた。
佐々木会長は謝罪しつつ、「桜丘高校は多様性を尊重します」と宣言。スタンディングオベーションが起こった。
4
「映像は私じゃない」西園寺がU盤を渡した。「でも犯人は知ってる」
彼女の首元にはレースのチョーカー。佐藤に脅されていたと打ち明ける。佐藤は風紀委員に連行されていった。
「これで終わりだ」健太が言ったが、拓也は違和感を覚えた。佐藤の目には、何か別の恐怖があった。
5
「月影」での祝賀会で、健太がアルバイト入りを宣言。帰り道、見知らぬ番号から【今日の演技は見事。だがゲームは始まったばかりだ―M】とのメールが届く。
洋服屋のショーウィンドウに、中性スタイルの服が飾られている。「これが今の僕にぴったりだ」拓也は笑った。
家でU盤を開く拓也。どんな困難が待っていても、真実の自分で立ち向かう覚悟ができていた。
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