第3話 鏡の森
夜が更けていく。
火は静かに燃え尽き、星々がひっそりと森の闇に顔を出す。犬ヌヌヌ犬と猫ネネネ猫は、獣の気配に警戒しながらも交代で眠りについた。
次の日の朝。焦土を踏みしめ、ふたりは鏡の森へと向かった。
鏡の森——それは、空と地が反転するかのような、不思議な空間だった。地面に水が張り、すべてが映り込む。
犬ヌヌヌ犬は、かつて学問を修めたこの地をよく知っていた。だからこそ、今そこに満ちる異質さを強く感じていた。
「……ここはもう、『鏡の森』ではない」
「森そのものが呪われてる。空間が歪んでる。時間すら曲がってる気がするわ」
「おそらく、異界との接触で『境界』が破られた。空が裂けたあの瞬間から、このようになってしまったのであろう」
猫ネネネ猫は手を差し伸べ、池のように広がる鏡水に指先を浸す。
波紋が広がり……彼女の姿が、鏡面の中で気味の悪い猫の幽霊の姿に変わる。
「……なにこれ」
猫ネネネ猫は一瞬硬直する。
「ふむ……呪術による金縛りか……だが、何者がこんな術をここに?」
「さあ……一体何のために?」
猫ネネネ猫はすっかり金縛りが解けたようだ。犬ヌヌヌ犬の妻だけあって、呪術への耐性はかなり高い。
そこに、ぽちゃん、と水音が鳴った。
ふたりが振り返ると、倒木の陰から、細長いシルエットが三つ、ぬるりと這い出た。
——魚人だった。
どうやら地上に適応した個体のようだ。
皮膚は濡羽色、手には三叉の槍。目が、まったく瞬きをしない。
「見つかったか……戦うしかないな」
犬ヌヌヌ犬が腰の「鏡ノ剣」に手をかける。
「待って、槍の先に……紋章がある。あれ、どこかの帝国のものじゃない?」
「ほう……つまりこれは、ただの獣ではない。向こうの世界の、兵だということか」
魚人が、ガッと地面を蹴った。水飛沫が上がり、雷のような突きが襲いかかる。
それをギリギリで受け止め、犬ヌヌヌ犬は逆袈裟に斬りつけた。
刃は肉を裂いた。魚人の右腹に深く入ったが、致命傷ではない。
反撃がくる。
三連突き。犬ヌヌヌ犬は回避するが、片足を浅く貫かれた。
「く……これはまずい……猫ネネネ猫、援護頼む!」
「こっちもやってるのよ!」
猫ネネネ猫はすでに別の魚人と交戦中だった。細剣のような短剣で足を狙い、鋭く、柔らかく動く。猫のように(いや、猫だった)。
だが数が多すぎた。五体、六体……いや、もっと。
犬ヌヌヌ犬は咆哮を上げた。「吠破・焰牙ッ!」
口にくわえた雷牙火縄銃を放つ。引き金は自身の舌で操作するという奇術的な技だ。
炸裂する閃光。炸薬と雷気が混ざった音が森に響いた。
敵の数体は吹き飛び、水たまりを滑るように弾け飛んだ。
「逃げるぞ!」
「うん!」
ふたりは再び走り出す。森の奥へ、さらに奥へ。敵が追ってくる音が、次第に遠のいていく。
やがて、大きな杉の根元にぽっかりと口を開けた横穴を見つけた。
「ここに、隠れよう……少し、休まないと」
「……ああ、足が……ちょっと切れてるだけだ、大丈夫だ」
猫ネネネ猫は犬ヌヌヌ犬の傷を見つめ、黙って布を裂いて包帯を作った。
やがてふたりは、その洞穴で火を起こし、少しだけ安らぐ時間を得た。
「あなた、また無茶して……」
「猫ネネネ猫……お前がいたから、戦えた」
「……うん、私も」
小さな火が、洞穴の壁に揺らめきを映す。
その炎の向こうに、かつて彼らがいた世界はもうなかった。
だが、新たな現実が、少しずつ、ふたりの足元に形を作り始めていた。
侍犬エクスマキナ 犬ヌヌヌ犬 @inunununuinu
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