第2話
その後も城の人間達に声を掛けられながら、グインエルはサンゴール城最西にある【斜陽殿】に辿り着いた。
そこにはすでに人の姿もなく噴水から流れる水音だけが響いていた。
もともと特別なこと以外では人の出入りはなく固く閉ざされている所だからだ。
低い階段を足取りも軽く上がって大きな扉を開けば、磨き上げられた黒曜石のタイルが敷き詰められた殿内の一番奥――巨大な壁画の前に人影があった。
頭から闇色のローブをすっぽりと被り【精霊の玉座】と呼ばれる儀式用祭壇の上に胡坐をかいて座っているのだ。
「リュティス」
グインエルは扉を閉めると中まで歩いて行く。
弟である第二王子リュティスは身動きもせずに背を向けたままだったが、グインエルは近づいて行ってその背中に話しかけた。
「気分が優れないんだって? ……不思議だなぁ、こういうことは昔からお前の方が早く気づく」
天井の高い所に開けられた窓から光が差し込んでいる所に立つと、部屋から持って来た手紙を上着から取り出した。
「アミアから手紙が来たんだ」
グインエルはそこで封を切るとすぐにその文面に青い瞳を滑らせる。
そして自分の妻の署名が書かれた最後までを、ひたすら優しい表情で読み終えた。
彼は笑い声を零す。
「相変わらずアミアは気分で筆跡が変わるな。だけど安心したよ、思ったよりも元気そうだ。もうリングレーだと書いてある。一週間ほどでサンゴールに戻れるだろう」
その表情を術衣の下に隠した第二王子は無言のままだ。
「アミアが帰って来るんだ……」
様々な想いを込めてその短い言葉を呟いたのだろう、天井を見上げた兄王子に向けて第二王子リュティスはようやく第一声を発する。
「――暢気に喜んでいる場合ではないぞ、グインエル。
今回あの女がサンゴール王国軍を率いて『有翼の蛇戦争』に参戦したことはもはや大陸全体に知れ渡っていること。帰国後の身の振り方を相当考えねば、俄に我がサンゴール王国はアリステアの属国だなどという汚名を着ることになる」
「それは、よく分かってる。……お前はどう考えているのだ?」
リュティスはゆっくりと立ち上がった。
そして目の前の壁に大きく彫り込まれたサンゴール王国の竜紋を見上げる。
「お前がサンゴールの王として、アミアカルバの帰還を認定する儀を執り行えばいい。
【銀の剣】を受け取りこれを玉座へ返す。
アミアカルバに王として、毅然と臣下の振る舞いを求めるということだ。
体裁だけ整えるのかと言いたそうな顔だが、そんなことを言えるのは実権を握っていてこそ」
サンゴール王国軍の総指揮官に与えられる【銀の剣】は、それが臣下である場合帰還の儀においてサンゴール国王に返される。
しかし前例のように王自ら戦場に赴いた場合は王はその、血に汚れた剣を手にしたまま玉座に着くことを許されるのである。
つまりグインエルがアミアから【銀の剣】を受け取れば、形式としてグインエルはサンゴールの王としてアミアを迎えるということを示すことが出来る。
しかしもしアミアが【銀の剣】をグインエルに返さなかった場合、それは政治的な意味でアリステア王国の姫がサンゴールの国権に関わることを意味していた。
「……この一年、アミアは私の為に……私の代わりにあの厳しい戦場を渡り歩いてくれた。それなのに私はこの穏やかな王宮で守られて……傷だらけで帰って来た彼女の手から、この一年彼女を支え続けて来た責任と信義の証である【銀の剣】だけを取り上げるというのか」
リュティスは振り返ったが、相変わらずその表情はローブの陰に隠されて推し量ることは出来なかった。
だがそうだ、と雰囲気は言って来る。
「そんなこと、出来るわけない……」
「――お前がやらないなら私がやるまでだ。」
辛辣にリュティスは言った。
グインエルは弟を見る。
「忘れるなよ。サンゴールの玉座は父上亡き後未だ空白であるということを。ならば、お前にその権利があるならば私にもその権利があるということだ」
「……。」
「グインエル。お前が人望だけ謳われる王となるのは勝手だが、
我がサンゴール王国までもがそのように呼ばれるようなことになるわけにはいかぬ。
王というものは、時として真理の宿る残虐を成すものだ」
「待ってくれ、リュティス……ではアミアが、本当にこの先サンゴールの民として……サンゴールの民の母として、王妃として。……玉座に就くのだとしたら? それでも玉座は汚れるというのか?」
「正気の沙汰とは思えんことを口走っているが……自覚はあるのか?」
もちろんだ、とグインエルは頷く。
「私は、彼女に私の妻として玉座を託してもいいと本当に思っているよ、リュティス」
「……」
「私もアミアが、玉座に相応しい人間かは疑問に問うことはある。
だがそれは彼女の野心を疑ってのことではない。
誰よりも自由な魂を持つアミアにとって、この狭い石の城の玉座こそが相応しくないように考えることがあるからだ。
だがそれでも……彼女は私の為になら玉座に座ってくれるはずだ。
私には分かる。
彼女はきっと、この先サンゴール王国を襲う災厄からこの国を守ってくれるだろう」
アイスブルーの瞳を真剣に輝かせたグインエルもまた、弟の隣に立ちサンゴールの国紋を共に見上げた。
「アミアとは幼い頃からずっと一緒だった。頼りになる姉のようでもあり手のかかる妹のようでもあり……身体の弱い私の代わりに、アミアはいつも元気よく馬を駆り、遠い異国のことや広い世界のことを私に話してくれた。
私とアミアカルバは一つの魂なんだ」
リュティスは無言だった。
呆れたような、そんな空気も伝わって来る。
この弟王子は一年前サンゴール王国軍の総指揮権を、他国の姫であるアミアに握らせることに強く反対していた。
それは一年後の今、こうしてグインエルがアミアに玉座を託すと言い出すことさえ見越していたからゆえなのかもしれない。。
「もし彼女が道を誤るなら、私を代わりに斬ればいい。
……だからどうか頼む、リュティス。
アミアが帰って来たら今回だけは彼女を温かく迎えてやってほしい」
しばらく沈黙が落ちた。
「……冗談じゃない」
言って、リュティスは再び元の場所に腰を下ろした。
「俺はあの女の帰還式になんぞ出ない。
お前があのアリステアの雌狐をこのサンゴールに引き入れたんだ。
万事責任を持ってお前が面倒を見ろ」
吐き捨てたような口調だったが、この弟と二十年も付き合って来たグインエルにはその言葉に、第二王子として弟が最大限の譲歩を示してくれたことを感じ取る。
「ありがとう、リュティス……」
グインエルは手紙を丁寧に懐にしまった。
「私はアミアがいてくれることで、心だけは強くあろうとそう思うことが出来るんだ。太陽のようだからな、彼女は」
「うるさいだけだ。あの品の無さは何とかならんのか」
苛々とそう憎まれ口を叩く弟にグインエルは笑いかける。
「リュティスもアミアのような明るい花嫁をもらってはどうだい。
うん、そうだ。お前は口数が少ないからなぁ、代わりに側で歌うように話していてくれる人を選んでみるといい」
「冗談じゃない」
第二王子は最後まで不機嫌そうにそう呟いた。
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