その翡翠き彷徨い【第3話 サンゴールの花】

七海ポルカ

第1話


 サンゴール王国第一王子グインエル・シャレットはその日、暖かな光の中で目を覚ました。



 身体の弱い彼は最近ずっと臥せっていたのだが、その日は起きた瞬間から胸のつかえが取れたように気分が良かった。

 着替えを済ませて寝室を出れば、次の間に朝摘みの赤い薔薇がテーブルの上に飾られて、その下に銀盆に乗せられた手紙が置かれている。

 グインエルは【サンゴールの白薔薇】と呼ばれた母譲りの、その淡い金髪をやんわりと指で掻き上げながら手紙を手に取り、そして世にも美しいアイスブルーの瞳を優しく微笑ませたのだった。


 廊下をいつもらしからぬ急いだ足取りで行くグインエルを見つけると、朝から忙しそうなサンゴール王城の侍女達も足を止めて深く一礼した。


 もともとサンゴール王族というものは真面目で王族としての気位の高さを誇っており、軽々しく声を掛けていいような相手ではないのだが、この第一王子だけはそんな呼び止めにも丁寧に足を止めて笑いかけてくれるため、侍女達もサンゴールの姿を見るだけで嬉しそうな顔をする。


「おはようございます、殿下」

「おはよう」

「まあそんなに走って……体調はよろしいのですか?」

「うん、今日は何だかすごく気分がいいんだ」

「そうなのですか、それはようございました……」


 美しい容姿と温和な性格のこの第一王子が、寝室を出てこうして城の中を歩いてくれるだけで、サンゴール城の人々は心が晴れ優しい気持ちになれるのだった。


「ところで弟はどこかな? 部屋にいるだろうか?」

 グインエルがこう尋ねると侍女達は少しだけ困ったような顔をする。

「申し訳ございません……第二王子様はご気分が優れないらしく【斜陽殿しゃようでん】に籠っておられます」


【斜陽殿】というのはサンゴール城にある魔術儀式場のことだ。

 辿れば竜族伝説を祖先に持つサンゴール王族は、伝統として非常に魔力の強い人間を輩出することで知られている。

 今は亡きグインエルの父王も、先だっての大戦『オルフェーヴの戦い』ではその比類無き魔力を以てサンゴール王国軍を率いた英雄であった。


 サンゴール王族と魔力はつまり切っても切れぬものであるため、この【斜陽殿】と国教礼拝堂【星麗殿せいれいでん】はサンゴール王宮の東と西に位置し重要視されている場所なのである。


 温和な兄グインエルとは異なり非常に気難しい性格をした第二王子が、人払いをして【斜陽殿】に籠る時、誰も側に近寄ることが出来なくなる。

 それを知った上で申し訳なさそうに言った侍女達の前で、グインエルは何故かそれを聞いた途端吹き出して、楽しそうな笑い声を出した。


「ははは、そうか。分かった行ってみる」

「まあ、殿下。お怒りになりますわよ」

「じゃあ怒られてくるよ。ありがとう」


 気にせずに歩き出したグインエルは、最後まで笑顔のまま侍女達に手を振って廊下の角へと消えて行った。

 久しぶりに元気そうな姿を見せた第一王子にホッとしながらも、侍女達はそこに立って顔を見合わせる。


「本当にグインエル殿下はお優しい兄上ですこと。あの弟君にも分け隔てなく接して」

「そうですわね、いくら実の弟とはいえ……あの方にあのように穏やかに近づいて行けるのはもはやグインエル殿下くらいのものですわ。私なんて恐ろしくてとても……」

「ま、貴方そんな滅多なこと言うものではなくてよ」

「けれど本当にこれであのお体さえお丈夫だったなら……」


 心からの想いを込め一人の侍女がそう呟くと、他の侍女達も深く頷いた。


「サンゴール王国は何の迷いもなく次なる王を戴くでしょうに……」



 ――遠くで鐘の音が鳴った。


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