第5話
それから翔と葵は、限られた時間の中で、恋人のような日々を過ごし始める。
手をつないで歩いたり、カフェで他愛のない話をしたり、夜景を見ながら肩を寄せ合ったり。
けれど二人とも、その幸せが永遠には続かないことを、どこかで知っていた。
—
ある朝、葵は目覚めて、鏡の前に立った。
ぱっと見は、昨日までと変わらない。だけど――。
「……っ」
右手の甲に、小さな赤い斑点が浮かび上がっていた。
いや、ただの斑点ではなかった。
斑点の中心から、まるで小さな花の蕾のようなものが、皮膚を押し破ろうとしている。
葵は、そっとそれに触れた。痛みはなかった。ただ、異物感と、なにより抗いようのない恐怖だけが、彼女を支配した。
「……もう、来ちゃったんだね……」
声が震える。
それでも、葵はファンの前に立つ準備を始めた。
メイクで隠す。衣装で隠す。笑顔で隠す。
これまでもずっとそうしてきたから、きっとできる――そう信じたかった。
けれど、その日のリハーサル中。
ふとマイクを握る手がしびれ、力が抜けた。
「あ……っ」
落ちたマイクの音が、スタジオに響く。
「葵ちゃん!?」
スタッフが駆け寄るが、葵はすぐに笑顔を作り、手を振った。
「大丈夫、大丈夫……ちょっと、疲れちゃっただけ……」
誰にも心配させたくなかった。
誰にも、弱いところを見せたくなかった。
でも。
帰り道、病院で待っていた翔の前に立ったとき、葵はもう、笑えなかった。
右手の包帯から、ほんの少しだけ、花びらが覗いていた。
翔はその光景に、言葉を失った。
「葵……!」
葵は、泣きそうな顔で、でもぎゅっと笑った。
「ごめんね、翔くん。……隠しきれなくなっちゃった。」
翔は、葵を抱きしめた。
強く、優しく、壊れないように。
葵の体の中で静かに咲き始めた花は、彼女の命を刻一刻と奪っていく。
だけど翔は、葵を失うその瞬間まで、絶対にひとりになんてさせないと、心に誓った。
葵の体調が最も悪化し、ステージも終わりを迎えた後、翔は葵のために休養を勧めていた。だが、葵はその言葉に反して、いつもと変わらず明るく振舞う姿を見せ続けていた。
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