最終章 その一 沈黙の先に
数ヶ月後、啓一は予備役編入を命じられ、海軍を事実上追われた。名誉でも懲罰でもない。記録上、彼は「存在しなかった」という事だ。
草薙も、竹原も、すでに彼のもとには現れなかった。あの夜を境に、世界は静かに彼を忘れていった。
その後の人生に、劇的な転機はなかった。名を変え、地方に身を潜めるように移り住み、小さな機械部品工場の職工として働いた。誰も彼を知らず、彼も誰かに名乗ることはなかった。
給料は慎ましく、暮らしは淡々としていた。だが、彼はその日々に文句を言わず、何かを抱えながら黙々と生きた。同僚からは「真面目な人」と呼ばれ、近所の子供からは「ちょっと無口なおじさん」と思われた。
そして、誰に見送られることもなく、彼は静かに亡くなった。昭和四十年代の初め、冬の初めのある朝。死因は肺炎。享年六十代後半。独身のまま、家族も作らず、生涯を終えた。
葬儀に参列したのは、町の知人がわずか数人だけだった。だが、彼の遺品の中から、一冊の手記が見つかった。
古びた皮表紙の冊子には、日付もなく、ただ無言のまま書き綴られた言葉が並んでいた。
それから半世紀が過ぎ、偶然に近い形で、その手記は再び人の目に触れることとなった。
古書店の整理棚の奥に眠っていたそれは、誰が売りに出したのかも分からぬまま、埃をかぶっていた。
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