第2話 第二レベル・アラート
オーヴァス・レジデンスを含む首都圏の主要集合住宅は、2030年現在、自治体の都市管理クラウドに接続されていた。
このクラウドには、AI監視モジュール「CITY-EYE(シティ・アイ)」が常駐している。
CITY-EYEは、防犯カメラの映像や建物センサー、住民の行動ログ――エレベーター使用履歴、スマートロックの開閉情報、館内の温度センサー、室内音響データなど――をリアルタイムで解析し、異常兆候を探知する役割を担っている。
通常、深夜2時という時間帯、建物全体の人の移動は著しく低下する。
平均して各階ごとに1時間あたりの移動件数は1〜2件程度。
つまりほとんどの住民が眠っているはずの時間帯だった。
だが今夜、CITY-EYEが検知したのは、異常な同時多発的な移動パターンだった。
・エレベーターが2基とも常に稼働している
・非常階段にも人の足音が検出される
・各戸の玄関ドアが立て続けに開閉している
・共用廊下に赤外線熱源反応が密集している
これらの生データを受け取ったAIは、まず通常モデルと比較し、「乖離率92%超」という異常スコアを即時計算した。
次に、AIは別系統の「心理・社会行動予測モデル」を起動。
本来この時間帯に集団行動が起きるシナリオ――火災、地震、避難訓練、またはパーティや騒動など――の確率をそれぞれ推測した。
しかし、
・火災報知器→未作動
・地震速報→未発令
・施設管理アラート→異常なし
・近隣音声センサー→騒音検出なし
というデータが返され、自然災害や通常の非常事態とは考えにくいことが判明する。
さらに映像解析によって、住民たちの挙動に「自己判断によるバラつき」が一切見られないことも突き止めた。
全員が等間隔で、無言で、感情表現のない歩行を続ける――。
これは通常の避難行動とは明らかに異なる。
この時点で、CITY-EYEは自動的に「外的操作による集団行動誘導の疑いあり」という判断を下し、レベル2アラートを発令した。
すぐさま、公安局都市監視課のモニターに異常通知が上がる。
オペレーターの遠藤未央は、それを確認しながらさらに手動による再チェックを行った。
映像、ログ、温度センサー、すべてが“異常”を指している。
しかも、住民たちはまだ行動をやめていない。
「――これは偶然じゃない」
遠藤は静かに呟き、即座に上司への報告ラインを開いた。
数十秒後には第零分隊への緊急出動要請が準備され、暗号化された専用通信で発信された。
都市は静かに、だが確実に異変を知覚していた。
東京湾岸の上空を、黒い車両が一台、静かに滑っていた。
特命対テロ部隊〈ゼロ隊〉専用車両〈ゼロ01〉。
都市高速を経由して、目的地であるD-12地区へと急行中である。
車内は静かだった。
ただ、空調の微かな風切り音と、各自の装備がわずかに触れ合う音が鳴っている。
「現場はD-12地区。通称、“匿名都市(アンノウン・シティ)”」
運転席の後ろに設置されたホロパネルに、人工衛星からの俯瞰映像が浮かび上がった。
説明しているのは、隊のサイバー戦担当・沢渡圭吾(さわたり・けいご)だった。
「旧湾岸倉庫群を更地にして再開発した“実験都市”。
全住民がデジタルID登録済みで、顔認証・生体認証・ライフログ——すべて都市の中枢サーバーで管理されてる。
交通制御、建物のドアロック、室内環境、生活アシスタントAI……全部が“つながって”る。つまり——」
「都市そのものがネットワークの中で生きている、ってことね」
と、医療担当の篠原結衣(しのはら・ゆい)が静かに続けた。
車内に、わずかに緊張が走る。
「もしその“神経系”が何者かに掌握されたら……?」
隊長・高城誠(たかしろ・まこと)の言葉は、淡々としていたが、その分、重かった。
「都市が武器になる。正確には、住民すらもな」
沢渡が別の画面を操作すると、現地からのリアルタイム監視映像が再生された。
エレベーターから無言で出てくる老夫婦、廊下を無表情に歩く家族、ベランダに立ち尽くす若者。
そのどれもが、どこか歪んでいた。
「現在、異常行動が確認されてるのは住民の約8%。
だが、都市中枢AIによる予測では、あと15分で2倍に達する可能性がある」
「感染性があるの?」
篠原の問いに、沢渡はわずかに肩をすくめる。
「音声波、あるいは極低周波数による神経刺激の疑いがある。今のところ、可視化できている信号は……これだ」
表示された波形グラフは、不気味なまでに静かだった。
人間の知覚限界をすり抜ける、ごくごく微細な「音」の連なり。
「都市そのものを、巨大な催眠装置に変える気か」
そう呟いたのは、突入指揮担当の真鍋隼人(まなべ・はやと)だった。
「いい趣味してるじゃないか、まったく」
「標準住宅モデルとして全国に展開予定のプロトタイプ……このタイミングで、ってのがまた」
偵察・狙撃担当の矢吹蒼一(やぶき・そういち)が皮肉交じりに呟いた。
ブリーフィングは続いていたが、車両はすでに目的地の地下搬入口へと接近していた。
ゼロ隊の戦闘服が、静かに身体に馴染んでいく。
戦闘は、間もなく始まる。
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