✦✦Episode.14 二度と飛べない✦✦

✦ ✦ ✦Episode.14 二度と飛べない





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『――さようなら黒い翼の英雄さん』

(……英雄って、何の事だろう?)


 大穴の先に見える燃えた赤い空――夕暮れというわけではなく、火の粉が舞う本物の炎の揺らぎ。 見上げた目線の先では、すでにシエルの姿を見失った。


 叫んでいたのはほんの一瞬で、その後はただ、声もなく落下していくだけだった。 クロトの瞳の炎は燃え尽きて、静かに灰の色に変わっていく。

 もう届かない声。 諦めた心が彼を蝕んで、抗う気力もなく…重力が全身に重くのしかかり、ただ――ただ、空虚の中を静かな流れに身を任せ、奈落の底へ落ちていく。


(あれは――本当にシエルだったのだろうか?)


 背中に風を感じながら、ふと唇に手を当てる。


(すごく、冷たかった…)


 触れられた手も、唇も、全てが凍りついて…まるで冬のような冷たい感覚が、今も微かに残っている。 まるで、その場所だけ切り取られたかのように、永遠の時間、その場所で落ち続けているように、途方もない時間に感じられる。


(あぁ、最後に少しだけ…寂しそうな目をしてた――)


 ピタリと、外へ噴き出す風が止まる。 随分と遠くなってしまった光は、ゆっくりと伸びた岩に閉じられ、一筋の光さえ無くなってしまった。 自分の身体が風を切って、沈んで行く音だけが耳の横を通り過ぎていく。


(真っ暗で、何も見えない…このまま落ちていったら流石に…いや…)


(いいさ――終わってしまおう)

 

 救いの来ない、閉ざされた闇の中で…クロトは独り、心殻の中に閉じこもり、静かに瞼を下ろして――ただ終わりを待っていた。 


『さようなら』

「――さようなら。 次に生まれ変わるときは……もっといい未来だと良いなぁ」





『そうか――この記憶は、悲しみに囚われて、自ら終わる事を選んだようだ。 だが――すぐに、更なる痛みを知る事となるだろう。 果たしてそれは――終わりか、始まりか……運が良ければ、その道を抜けよう』



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 ドンッと、何かに体がぶつかった。 その衝撃に、激しい痛みが身体を襲う――尖った物に引っかかって、来ていた服が破れていく音がした。 手探りに何かをつかもうと、必死になって手をのばす。

 

「――うぁあっ!!(痛い!!)」


 突然の痛みに、驚いて目を開く。 相変わらず、暗闇の中は何も見えず、ガラガラと音を立てて岩が転がり落ちてく音が響いている。

 どうやら、空間がどんどん狭くなっていくようで、せり出した岩に体を打ち付けながら、身体は回転し、ズルズルと落ちていく。 


(痛い、痛い…、消えたくない…まだ――!!)

「お、れは、まだ…生きたい!!」


 クロトは自分の叫んだ言葉にハッとした。 終わりを選んだはずなのに――本能はそれを許さない。 彼の瞳に、再び炎の光が宿り始め、彼自身の運命に抗い始めた。

 

「…くっ…ううぅ…」

 

 掴めそうな場所を見つけても、手が滑っていく。 ザラザラとした岩の表面は、容赦なくクロトを奈落の底へと引きずり落としていく。 体制を立て直すこともできずに、あちこちに体が岩にぶつかるのを耐えながら、うめき声をあげ、必死にもがく。


「うぐぐっ…アアアッ! (このままだと、翼が折れて二度と飛べなくなるっ!!)」


 どうにか身体を丸めながら、本能的に翼をしまおうともがいていると、やっとの思いで翼は体内に溶けて消えていく。

 叫び声をあげながら、何度も何度も激しく身をよじり、少しでも落ちる速度をおとそうと必死になっていた。

 怪我をした体の痛みも、悲しみと絶望に痛む心も、何もかもがクロトの中に刺さっていく。


「アアアッ――――!!」


――ふっと、空間が広がった。

 岩に体がぶつかる感覚がなくなると、道を抜けて開けた場所に出た。地の底が近づいて来る感覚に、闇はさらなる恐怖を感じさせていく。 奈落の底が、クロトを手招きしてこちらに来いと呼んでいる。 目には見えない暗黒の精霊達の呼び声が、こちらへ来いと誘っている。


(くそおおっ、もうそこまで地面が来ているのか!!)

「まだ、俺は生きたいんだアァッ――――!!」


 ピクリと、反響して来た叫び声が、誰かの耳に届く。 両手を合わせて、静かに呪文の言葉を唱えていく。


『我――地より授かりし土の力よ! 大地の光で、かの者を捉えろ!!』


(やっぱり俺は…このまま、ここで終わるのか)

「――!?」


 突如として輝き始めたまばゆい閃光が、クロトの身体を包み込んで受け止める。 地面に落下する速度は一気に緩やかになって減少していき、ドサッとうつ伏せになって地面に落ちた。 


「はっ…は…誰…だ…?」


 呼吸は浅く、手が震えている。 それでも何とか起き上がろうとしてみるも、激しい痛みに、その場に突っ伏して気を失っていく。 ぼんやりと霞む視界の中で、何処からともなくカツン、カツン…と足音が聞こえてくる。 消えていく視界の中、何者かの足先がクロトの視界に映りこんだ。


「今日は二人目だね…あと少し遅かったら間に合わなかった」

(女の――人…?)


 聞いたことの無い女性の声。 その声が微かに響いたかと思えば、意識は闇の中を彷徨っていく――深い眠りの中へいざなわれて、瞼の重さに耐えきれずに、パタンと目を閉じる。


「今回は………み…かると……いね…?」

「…みつ……と‥‥い……が…」


 誰かが会話をする声が、意識の無いのクロトの耳にぼんやりと届いている。 男の声がすぐ近くで聞こえたかと思うと、突然脇腹が掴まれた感覚がして、上半身が宙に持ち上げられる。 足先は地面についたまま…ズルリ、ズルリと――どこかに引きずられる感覚がする。

 ふと、女性がクロトが落ちて来た場所に、一輪の花が落ちている事に気が付いて、その花に目を向ける。


「ねぇ、この花…?一体どこから?」

「さぁ…? これは――オキナソウ…? ふむ。 裏切りの恋――か」

「ふぅん…なんか切ない花なんだね、この子に関係あるのかな?」

「さぁ? たまたまじゃないのか?」

「そっかぁ~」


 闇に閉ざされた奈落の底で、クロトはその先に待つ運命も知らぬまま。 ただ――身を任せていた。





✦ ✦ ✦




 フワリと、夢の中を漂って――揺らめきに身を任せて泳いでいる自分がいる。

 クロトの意識は、滝の底に溶け…聞こえてくる優しくて心地の良い水の音。 せわしなく泳ぎ回る、生き物のざわめきと、その中で幾度となく繰り返されていく生命の循環。


 ゴボゴボと沈んで行くのに、息苦しさも感じずに――ひんやりとした水の底を、ゆらゆらと揺れている。 彼の意識は――まるで一枚の花びらのように、水中でしばらく漂っていた。


 思い立ったように、身体はゆっくりと水面まで浮かび上がった。

 春風が、頬をかすめ…大好きだったあの場所で、暖かい日差しが両腕を伸ばして彼の体を優しく包み込む――まるで、母親の優しいゆりかごの中にいるような心地よさに、クロトの心は、少しずつ穏やかな気を取り戻していく。


『――クロト』


 シエルの声が、優しく名前を呼ぶと、ゆるやかな波紋となって――螺旋を描いて緩やかに溶けて消えていく。


――木漏れ日の中。

 倒れた木々が幾重にも重なって、生まれた森の香りが、鼻をかすめながら、意識は木々の間を抜け、森林の中を進んでいく。


『森の中からあなたを見つけた時――――なんて素敵なんだろうって。 そう、思ったの』


 優しく語り掛ける声は、この世界の中で反響して、頭の中でくるくると――全身に駆け巡っていく。 サラサラとして、温かくて心地の良い声は、彼の中で思い出となって溶けて行く。


 彼女が手にしていた黒い羽は、静かに風に流されて、空の彼方へ飛んでいく――風になびいて揺れた美しい髪が、まるで光を灯すように輝いていたのを、今でもハッキリと思い出せる。


『あなたの目――素敵ね‥‥夜空の中で海と炎が出会ったかのような色ね』

(あぁ――ずっとこの場所で、目を覚まさずに…このまま――眠っていたい)


 風が、二人を祝福していた。 ライラックの優しい花の香りに包まれながら、まるで全てが走馬灯のように。


 「し……え……る――」


 消え入りそうな声で、クロトが呟くと、突然、目の前の世界が急速な時間を流れていく。 自分に向けられた言葉が、チクチクと刺さって、ベッドに腰かけ、うなだれながらシエルに呟いた言葉にズキリと胸を痛める。


『お前も、俺の前からいつか消えていなくなるんだろ』

(あの時、俺は――シエルに向かって、何て事を言ってしまったんだ)

『心配しないで。 私が、あなたの傍にいるから…』

『うっ……うっ……!』

『大丈夫。 もう泣き止んでいいんだよ』


 むせび泣く肩を抱きしめ、優しく微笑んでいた彼女の顔を見て、心の中の霧が一気に晴れていった。 闇が光の中へ溶かされていくような温かさに、安らぎを覚え、ここに居ていいんだと思い始めていた。


「…うぅっ」


 太陽のように眩しくて優しい笑顔――頬に触れたあたたかな唇…風になびいて揺れた、美しい髪。

 その温かさに、もう一度触れたくて…そっと手を伸ばしてみるも――目の前に見えていたモノは、静かに溶けて消えていった。


 静かな空間を漂っていると、ふと何かが手に触れた。 ポケットの中にしまい込んでいたはずの、見知らぬ花の種――沈んで行く夕日の中、いつの間にか手のひらに握りしめていたそれを、まじまじと眺めた。


(そういえば、なんで持っていたんだっけな? この種…)

『おや? 綺麗な種だ、どこで拾ったんだい?』

(ばあちゃん…)


 懐かしい老婆の声が響いた。 産まれた時から両親が居ない自分を、この歳になるまで大切に育ててくれた。 その恩は、十分に感じている。

 優しい温かい手…彼女の作るスープは、いつも心に染み渡って…ホッと安心する味だった。

                                                                                                                       

『女ってのは、小物が好きさ…。 さあ――お前の願いを言いな』

『俺の――願いは……』

「もう、壊れちゃったよ…なぁ。 シエル……」

 

 夢の中で少しずつ、時間をかけてクロトの意識が覚醒していく。 まるで乖離かいりしていた心と体を繋ぎ合わせるように、この世界から切り離すように…もう目を覚まして、戻って来いと言っている。

 重力が彼を引っ張っていく。 それでもなお――聞こえて来る声に、後悔の念が押し寄せて、悔いる言葉をぽつりぽつりと、零れるように呟いた。


「ばあちゃんごめん、俺…言いつけ守れなくて…」

『その黒い翼は災いの証だ。 決して他人に見せずに生きなさい』


(ノアのばあちゃんが俺に言いつけて来た言葉は、全部、間違っていなかったんだ)


 シエルに裏切られた悲しみと、ノアとの約束を破った罪悪感が入り混じって、クロトは思わず首を横に振った。


「あの時…(シエルと共に、神天祭に行ったのは間違いだった)」


 緩やかに舞う天使たちを、地上から眺めながら、心を躍らせ、息を切らせて駆け上がった神天台への坂道、まだその先の出来事を知らない純粋な自分があまりにも情けない。

 彼女の姿に異変を感じた時――その時点で、立ち止まっておくべきだった…いや、もっと前から、気が付いておくべきだっんだ。 


「シエルを…村に連れて行くんじゃなかった!」


 わざわざ、村に送り届けなくても…その辺にいた迷子の少女として、適当にあしらっておけばよかった。 そうすれば、心無い言葉を聞くことも、彼女の優しさに触れ…何かにすがりつくような思いをしなくても良かった。


「あの森で…シエルと出会っていなければ――」


 この背中に刻まれた紋章も…黒い翼を見られることも無かった。

 誰かに手を伸ばすことも…誰かと触れ合う喜びも……この気持ちに気が付く事も、全て――必要のない事だった。


「こんな――残酷な運命が、始まることはなかったのに!!」


――どれだけ後悔しても、もう遅い。

 引き裂かれるような痛みが身体を襲った。 息もできずに苦しんでいた時、目の前に見えた――憎悪の瞳。

 最後の時には、永遠に忘れられないように――唇を重ね合わせ…どこまでも深い、闇の精霊たちが巣くう、奈落の底へと、容赦なく突き落とした。


(俺の心の中に、深く……刻み付けて…)

『――シエル、なんて残酷な…俺の光…』 


 クロトは、静かに瞼をあげて、夢の中から、ハッキリと現実の世界へ目を覚ました。 寝ている間、ずっと涙を零していたようで、頬には涙の後がしっかりとついていた。


「……ゆ……め……」


 まだぼんやりとした頭で、遠くを見つめる。 泣き続けて霞んだ瞳は、随分と視力が落ちているように、焦点が合わず、世界が歪んで見えた。

 耳を頼りに、周囲の音に集中しても…聞こえて来るのは自分の息を吐く音と、身じろぎをする音だけだった。 目を覚ましても――孤独の中に独り、取り残されたような、冷たさが襲った。



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