✦✦Episode.15 地の底へ✦✦
✦ ✦ ✦Episode.15 地の底へ
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気がつくと……どうやら、壁にもたれかかって眠っていたようで、ゴツゴツとした石造りの壁は、表面が古びていて、所々小さな亀裂が入っている。
身体中に傷を負って、身じろぐ度に激しい痛みが襲いかかって来る。 思うように動くことが出来ずに、クロトは顔をしかめた。
なかなか、視力が戻らず……ぼやけた視界の中…近くに見えた赤い光が揺らめいて、動かない体の代わりに、首だけをなんとか向けて、それが何かを確認する。
じっと見つめていると、ゆっくりと焦点が合い始め……それが何であるかがハッキリ見えはじめた。 壁に取り付けられた松明が、ゆらゆらと左右に揺れながら静かに燃えていた。
(――ここは一体、何処だ?)
「うっ…体が……重い…」
彼は痛みにうめき声をあげながら、自分の姿を確認しようと身じろぐ。 身体的にも、精神的にも疲労した体は、重力に逆らえずに、鉛のよう重たかった。
「俺………生きてる…?」
(それよりも……なんだこれ……鎖……?)
身じろぐ度に、首元からはジャラジャラとした重たい鉄の擦れる音が聞こえて来る。 何とかして覗き込むと、両手首と、首元からは、血の香りと錆びついた鉄の臭いが鼻を突くように漂って来ていた。
「檻の中…?俺は何かに捕まったのか…?」
厳重に鍵のかけられた鉄格子の中――彼はまるで囚人のように鎖に繋がれていた。
その枷は怪我を負った身体に重くのしかかり、腕を床に付けたまま手元に視線を移すと手のひらは傷だらけになって、血が滲んで震えている。 手枷と肌の間には闇の気配を漂わせて、黒い魔法陣が刻まれていた。
(これは…あの時、ローブのやつらにかけられた魔法と似ている…)
「くそっ…」
クロトは何とか引きずるようにして、腕を膝の上に腕をのせると、枷を外そうと試みた――が、重い鉄の枷はしっかりと腕にはまり込んでいる。
微かに唇を動かして、ぼそぼそと魔法の言葉を呟く――ノアから教わって、彼が知っている限りの魔法を呟いてみたが…言葉を放つ度に、黒い魔法陣は怪しく揺らめいて……彼の魔法はかき消されていった。
「これは――魔法を打ち消すのか……?」
「ハッ…はははっ! 災いの神子と呼ばれて、突き落とされて――今度は牢獄の中かよっ……っ! 笑える…本当に――気が狂いそうだぜ…!」
(正気を保っていられるのも…この鎖のおかげか…)
ピクッと、彼の指先が反応する。 何かの感が働いて――どこか遠くから、この部屋に誰かが向かってくるのを感じ取った。 クロトは腕を床につけ、再び目を閉じて、迫りくる音に耳をすませた。
(誰か来るっ――!)
――ギィイと、古びた木製のドアが軋みながら開く音が聞こえた。 ふたり分の足音が、カツカツと並んで歩く音がクロトの耳に届いた。
「まだ……目覚めてくれないみたいだねぇ…」
(この声は……あの時の……)
クロトは、奈落の底にたどり着いた時、誰かの足先を見つめながら気を失っていく――その時に聞こえた、女性の声だとすぐにわかった。
ガチャガチャ――ガチャン。
鉄格子の鍵が開くと、ガラガラと格子を開く、鉄の軋む音が重たく響いて聞こえた。 カツカツと、地面を踏む音を鳴らしながら、足音はクロトの目の前まで向かってくると、そこでピタリと止まった。
「うーん……そうねぇ……そろそろ起きてもいい頃だけど…」
どうやら女性は、しゃがんでクロトの顔を覗きこんでいるようで――クロトは薄目を開けて確認してみようとしたが、見えたのは、顔の下半分だけだった。
「やっぱり、まだダメそうだね……。 おーい、黒髪くーん! ちょっと体拭いたり、綺麗にするけど、我慢してねー!」
「おや、眠っているなら、黒髪の坊やは聞こえてないのではないか?」
「だめ、ちゃんと声をかけないと、驚いて暴れたら困るんだから!」
(男の人の声…これもあの時と同じ声だ……っていうか、坊やって……子ども扱いかよ…!)
すぐ近くで、桶にためた水を絞る音がすると、ひやりと額に湿った布があたって、顔をゆっくりと拭っていく。
女性は、額の汚れを丁寧に拭い、汚れた布を再び桶の中につけて絞ると、首筋から肩、それから腹の方へと順番に丁寧に身体を拭き上げ、何度も汚れた水を絞っては体を拭くのを繰り返した。
(くすぐったい…でも、すごく気分がいい…)
「ん-やっぱり、結構汚れちゃってるねぇ……んっしょっと。 黒髪くーん、ちょっと起こすよ~」
「私も手伝おう」
――ふたりがかりで、クロトの身体をかがませると…壁から離れた背中に、襟元から片手を入れて拭き上げていく。
そのおかげで、砂と血液でドロドロに汚れていた身体は爽やかさを取り戻す。
「ふぅん、見た感じ全身打撲と…手のひらに擦り傷は多いけど…死ぬほど深い傷ではなさそうだねぇ」
「ふむ…確かに、わりと鍛えられてるようだな。…あの道を上手いこと抜けられたみたいだ」
「ひゃ~…もう、あんまり見ちゃだめだよ?」
「私は男だから問題はないはずです」
「まったく…これだから……君は……」
男は衣服の隙間から覗いている鍛えられた筋肉をまじまじと眺めて、関心の声を上げた。 しばらくすると、身体を拭き終えた女性は、そっとクロトの衣服を元の状態に戻した。
「黒髪くーん、次は腕やってあげるからね~!」
女性はクロトの腕をそっと持ち上げると、袖をまくり上げて丁寧に拭きあげながら「うーん」と何かを探している。 両方の腕を交互に見返して、手の裏表や肘を回しながらまじまじと見つめている。
(なんだ…? 何かを探しているのか…?)
「どうだ?あの紋章はあったか?」
「ううん、この子の腕にはないみたい……」
どうやら、この二人は災いの神子を手助けすると言われている、あの紋章を探しているようだった。
大男が放った言葉と、叫びながら大穴に落ちていった男の腕の紋章が脳裏をよぎる。
「よし、こっちは終わりね!あとは――うぅん、ごめんだけど上は終わったから、あとは君がやって?」
「私がやるのか?…ふむ。 そのまま続ければいいじゃないか?」
――ベシッ
女性が男に向かって布を投げつける音がすると、ムッとした声をあげた。
「こらぁ、だめなの! 年頃の子ってわりと繊細なんだから!つべこべ言わないで、黙ってやるの!フンッ!」
「ふむ…そうなのか…?」
「じゃ、ボク荷物取ってくるから…! ちゃんと声かけてからやったげてよね!」
女性は、静かに立ち上がる。 カツカツと靴音が響いて、軽やかに鉄格子の外へ向かっていく。 階段を上がり、木製のドアが開くと、一歩ずつ足音は遠くなって、やがてどこかへ消えて行った。
残ったのは、静かな空気と埃と鉄の臭いの残った空間だけだった。
「ふーむ、坊や…失礼しますよっと…(おぉ、なかなか良い筋肉をしている…)」
男はそう言いながら、破れた履物の上から無造作に布を当て、ゴシゴシと脚を拭きあげる。 先ほどとは違って、ざらついた布が荒々しく肌の上を這う痛みに、クロトは反射的に眉をしかめた。
「うっ…!」
「ん?反応ありだ、おい、聞こえるか‥‥?」
クロトが無意識に発した小さなうめき声に、男は気が付いて手を止めた。 すぐ近くで声が聞こえたかと思うと、肩に手を乗せて優しく起こすように揺すった。
「ん……(気絶したフリはここまでか…)」
クロトはゆっくりと、ためらいながらも瞼をあげた。 先ほどまで世話をしてくれていた、物静かそうな男が目の前にで心配そうにこちらを見つめていた。
「お…目が覚めましたか? 坊や、ここがどこだか分かりますか――?」
「坊や坊やって…俺は子供じゃ――ゴホッゴホッ!」
男の言葉にクロトはムッとしながら、言い返そうと大きく息を吸った瞬間、乾いた喉の奥が締め付けられて、思わず咳き込む。
「おい、大丈夫か? 無理をしないでください、ほら…水を」
男は背中に手を添えてクロトの身体をそっと壁から離してかがませた。 そばにあった器を口に押し当て、流し込んでいく。
冷たい水がゆっくりと口の中に注がれていき、クロトはひんやりとした水の感覚にむせながらも、ゆっくりと飲み込み、口元からこぼれ落ちた水がぽたぽたと地面に滴っていく。 一口飲み込むごとに、のどが潤っていき、冷たい感覚が胃の中まで染みわたっていく。
「っふう……(生き返ったみたいだ)」
「よしよし、よく飲めました…それで…」
「あんた…は…?」
――キイイインッ
「ぐ……うぐあぁっ……!!」
男の顔を見ようとクロトが顔を向けた途端、耳鳴りが頭の中に響き渡って、閃光が目の前に走った。
視界が霞んで揺れていく。 うめき声を上げながら、額に手を当て、眉にしわを寄せる――同時に神経から全身に這うように痛みが伝わって、激痛に意識が朦朧としていく。
指先はガタガタと震えて、目の前が霞んでいき…次第に全身から力が抜けていく。意識はぼんやりと遠のいて、フッと男にもたれかかるように倒れ込み、再び意識は闇にのまれた。
「あっ…おい…?」
「…」
男は慌ててクロトを受け止め、トントンと肩を叩く。 クロトの反応が無くなると――仕方なく床に体を下ろして、そっと寝転ばせた。
「ふむ…まだ、無理そうか…もう少し時間が必要か」
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クロトが再び気絶してからしばらく時間が過ぎた。 その間も男はクロトの傍らで、彼の顔をまじまじと見つめていた。
髪をそっとはらって、顔立ちを確認したり、再び腕を眺めて紋章を探してみたり…あちこちと観察していた。
(この場所に落ちてくるとしたら、かの紋章を腕に持つ者だけだ。 …しかし、この子にはそれがない。 こんな事は今までなかった。 それに、この顔立ち――どことなく、あの人に似ている)
「いや――まさか。 …そんなはずはない」
男は、考えすぎだろうと頭を小さく振った。 ふっと小窓の外へ視線を移すと、ため息をついて、再びクロトの顔へ目を移した。
(しかし、本当に…よく似ている。 目も、鼻筋も……この目も…。 私たちが探し求めている、あの方に……)
男が思考を巡らせていると、カツカツと地面をよろけながら進む足音が遠くから近づいてきた。
「んっしょ…おっとと…おっまたせ~!」
女性が大きな荷包みを抱え、ふらつきながら戻って来た。
男は立ち上がり、その荷物を受け取るとそっと近くに下ろした。
「ありがと~! 重かったのよ~助かりましたっ」
「いや、これくらい私も手伝いますよ…あなたに怪我されても困りますし」
「むきぃ、なにようバカにしてるの~?」
「いえいえ…ははは…」
女性はふんふんと怒りながら、持ってきた荷包みの結び目をそっと解いていく…
中には、調合した薬草を入れた瓶や水。 乾燥しきってガサガサなパンと、赤い実をした果物が一つ入れてあった。
「どう?何か変わったことあった?」
「あぁ、少し反応があった。だが‥‥また気を失った」
「そう…」
女性はそっと荷包みの布を広げ「こっちに移動できる?」と男の顔を見つめ――男はそっと、布の上にクロトを仰向けに寝かせ…その横で、女性が薬瓶を並べていく。
「うーん。 それにしても、翼もないし……この子は人間…?なのかしら……」
「いや、種族の力で、体中へ翼を仕舞っている可能性もあるから、目が覚めたら確認は必要だな」
「そうよね…」
キュッと薬瓶の蓋を開けて、中の液体をクロトの傷口に優しくすり込んでいく。 女性が腕に手を触れた時、ピクリ彼の指先が反応し、薬を塗った部分から僅かに青色の光が放たれた。 薬を塗り込んだ部分から、すぅっと一瞬にして液体が吸収され、光が消えて行く。
「――光った…? ねえ、なにかしら、これ……?」
「ふむ…やはり、この子には何かありそうだな…」
「気のせいじゃないよね…?」
「ええ…私もハッキリ見えていますよ」
――男はそっとクロトの髪に触れた。
彼の髪は、闇色に染まっているように見えて、暗い青色の中に微かな赤味を帯びているのが、松明の光に照らされてハッキリ見てとれた。
「いつ…この子とちゃんとお話しできるかな」
「まだ、もう少しだな。 急がなくてもいい――私たちはいつまでも待とう」
二人は、手当てを終え、その場からゆっくりと立ち上がった。 女性は、薬瓶をまとめて腕に抱えると、鉄格子の外へ向かっていく。
男も続いて外へ出ると、ガシャンと大きな音を響かせて鉄格子が閉まっていく。 壁にかけられた松明の炎がフッと寂しそうに揺らめいた。
「ねぇ…私たちは…いつになったらここから先へ進めるのかな…」
「さぁ…必ずあの方が迎えに来てくれる…その時まで――あるいは…」
「ん…?」
「いや、私の考えすぎです」
二人がその場から去ろうとした時、夢にうなされたクロトが「うぅっ」とうめき声を上げ……女性は再び鉄格子を開こうとした――が、男は肩に手を乗せ「また後日」と首を振った。
そうして二人は去っていき――牢獄の中は再び静寂に包まれて行った。
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