✦✦Episode.13 白い墓標 ✦✦
✦ ✦ ✦Episode.13 白い墓標
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荒れ果てた神天台の頂上に、風を切りながら老婆が空から舞い降りて来た。 祭りはとっくに終わったというのに、夜も更け、人々が眠りにつく頃になっても二人が戻ってくる様子もなく、心配したノアが医院の仕事を切り上げてやって来た。
「――これは一体…なんの騒ぎだい!?」
ほんの数分前――祭りの屋台が並ぶ場所についたノアは、二人の姿を探して周囲を見て回っていた。 ふいに何かの気配を感じて空を見上げると、分厚い雲が空を覆いつくし、嵐の気配を呼び寄せた。 ――突然の叩きつけるような雨。 風が強く吹き荒れて、ノアの着ていたローブは、せわしなくバタつき始め、周囲に下ろされた屋台の屋根が音を立てながら、風の強さを物語るようになびいていた。
「いきなり何だい、この雨はっ――!!」
風は周囲の土を巻き上げながら上がっていき、ノアは吹き飛ばされないよう必死になって踏ん張っていると、落雷が――ドンッと激しい音を立てて、何度も神天台の上に落ちて行く、その閃光が目に焼き付いた。
「嫌な予感がする。 精霊たちが怒り狂っている!!」
「あの場所で、一体何が起きていると言うんだ――!?」
ノアは風の吹き荒れる中、翼を大きく広げ、魔法陣の刻まれた首飾りに手を触れると、彼女の周囲が淡く光り始め、不思議な力で体を包み込む。
そのまま、力強く翼を振り下ろすと、一気に上空まで飛び上がり、神天台の入り口を目に捉えて、飛び込むようにしてやって来た。
ノアがちょうど、地面に足をつけた頃――ふっと周囲の暗雲はどこかに吸い込まれるように消えて行き――辺りは
「一体、何だというんだ――あれは!!」
確認するように、広場全体を見渡していると、まだ残っていた霧の中…広場の中央付近に、シエルが倒れている事に気が付いた。 ノアはぞっと顔を青くさせ、ひやりと背筋が凍りつく。 驚きのあまり、よろめきながら彼女の元へ急いで駆け寄った。
「シエルや――お前、どうしたんだい!!」
ノアは腰を落として、うつぶせに倒れていたシエルを抱きかかえて起こそうと肩に手を回した時――残っていた霧が一気に晴れていく。
ゴクリと息を飲み込み、冷や汗を滲ませながら――目の前に現れたのは、不穏な風の音を鳴らしながら、禍々しさを放つ巨大な大穴だった。 言いようのない恐怖がノアに襲い掛かり、手が震え、汗はついに肌を伝って落ちていく。
「――私としたことが」
「こんなことを…許してしまったなんて……!」
ノアは震える手でシエルの頬を撫でた。 あまりにも冷たい――彼女の身体はまるで、命の灯が冬の中に埋もれてしまったかの様に、凍り付いていた。
「恐ろしい――まさか、この娘の灯が奪われたというのか?」
「――いや、大丈夫だ。 微かだが、まだ呼吸がある…。 この娘は――生きている」
(他人に私の力の一部を譲り、管理を任せた時点で…いつかこうなる運命だと、分かっていたのに――すべて、私の責任だ…。 この子には怖い思いをさせたことだろう)
ノアは、シエルの息があったことに、ホッと安心するのもつかの間――おもむろに、大穴の方向へ腕を伸ばし、手の平をかざすと、光が手の中に集まっていく。
「――ノアの名の元に命じる。 土の精霊よ――この神天の道を塞ぎたまえ!!」
地響きと共に、周りの岩が砂埃をまきあげながら、ゾワゾワと動き始める。 広場の中央に開かれた大穴は、ゆっくりとその口を閉ざしていく。 その様を見届けていると…ぴくりと、シエルの腕が動いた。
彼女の周りには、小さな妖精たちが集まって、心配するように手を握っている。
(微かに残る、悪しき者の気配――運命は回り始めた。 この場所で…ついに始まってしまったのか…っ!)
「くっ――このままでは、危ない。 この者たちを、安全な所に……」
ジャリッと小石を踏む音が背後から聞こえ、ノアはゆっくりと振り返った。 数人が、老婆を取り囲むようにして、黒いローブを揺らしながら――奴らはゆっくりとこちらに近づいて来る。
「んふふふ、おばあさんたら…そんなに怖い顔しないで?」
――若い、女の声。 暗闇の中で、ローブの中にある顔まではよく見えない。
ひときわ小さな背丈の者が、包帯が巻かれた細長い腕を袖の隙間から覗かせて…腕を垂らしながら寄って来ると、ノアは眉をひそめて、得体の知れない者を睨みつけた。
「お前たち、私を騙したのかい……?」
「騙したなんて……ねぇ?」
「くっ…(どうする?――今の私の力では、シエルだけしか守ってやれん)」
「ねーえ? 見てぇ…? ほらぁ~」
女は見せつけるように腕をあげて、ローブの袖をまくりあげ、スルスルと包帯を解いて腕をあらわにすると――薬草の香りが、風にのせられて強く香ってくる。
――そこにあったはずの、オオカミ噛み跡は跡形もなく消え、青白い肌が月に照らされ、怪しく輝いていた。
「何と言う事だ…っ! 傷がもう治っているだと…!」
「クスクス…ちょっと体力は使ったけど~。 こんなのもう、治っちゃったわ! アハハハッ!」
女の手から包帯が――パサッと、地面に落ちた。 たった一日で、あの深くて生々しい傷が消えた事実がおぞましく、ノアは額にしわを深く寄せながら、いぶかしげに女の腕を見つめていた。 ノアはギリリと歯を食いしばり、眉間に更にしわを寄せると、それを見た女がニヤリと笑い始めた。
「くっ…ここには何しをに来たんだい?」
「そんなことよりさぁ、お前よくも長い間隠してたよなぁ? 災いの黒い翼ねぇ…?」
女の隣から、低い男の声がローブの中か響き渡った。
――男は、地面に落ちていた黒い羽を拾い上げると、くるくると回して周囲に揺れている小さな炎に向けて投げ込むと、同時にじわじわとその羽は燃えて、塵になって消えていく――
「私は‥‥知らないよ。 それとは何のも関係ない」
ふと、ノアは顔そらせた。――それを見ていた男は、ほんの少しノアににじり寄ると、まじまじとノアの顔を見て、自分の顎に指を這わせ…そのまま口の中でぎりぎりと噛みだした。
「お前…どこかで見た顔だよなぁ?」
「知らないね、今、あったばかりさ」
「ふぅん――」
「まだ、何か用があるのかい!?」
「こちらは手負いだ、何もできやしない――さっさとやるか、消えるか…どちらだい?」
(勝算はない。 頼む…‥この場から、姿を消してくれ!)
男はニタァっと笑う。 手を振り上げて、指をパチンと鳴らすと――周囲で取り囲んでいたローブの者たちはみな一様に揺らめき始め、不気味な笑い声を響かせながら、風に乗って影に吸い込まれ始めた。
「ばぁさんよぉ~…今回だけはその意気込みに免じて、見逃してやるよぉ…クククッ命拾いしたなぁ?」
奴らは、闇夜に溶けて消えていき…ノアとシエル、そして――倒れた村の人々だけが、その場に残されていた。
ノアはふっと息を吸い込み、自分が身に着けていたローブを脱ぐと、それを丸めて地面に置き、そっとその上にシエルの頭を乗せた。 村人の一人が、ゆっくりと這うようにして、ノアの元に近づいて来る。
「くっ…命拾いしたとはいえ……この惨状を、私一人ではどうにもできん」
「の…ノア様…! お助け下さい…!」
「――大丈夫か? 今助けてやる。 (何だ? こやつら…鉄と、果物の混じった気色の悪い匂いがする…)」
「神子が…災いの神子が…現れて――うぅっ…」
「おい!目を開けとくれ! 災いの神子がどうしたと言うんだい!」
村人の意識はすでに無く、その場で気を失い倒れ込んだ。 周囲を見渡すと、まだ意識があった者達も同じように皆バタバタと倒れ、気を失っていく。
(一度、医院に戻り、他の者を連れて来るしかなさそうだ――)
ノアはふと、シエルに目線を移す――彼女の近くに、砕け散ったガラスの破片が見えた。
ほんのりと、彼女の左手が淡く光っている。 砕けた小さな種の欠片は、芽吹き、その根がシエルの指に巻き付いて絡み合いながら、彼女の細長い指から離れずにいた。
「クロトの願いが…この子を――守ってくれたんだね」
(シエル、純白の天使――どこからともなくやってきて、精霊達に愛され、闇にうなされていた、クロトの心を解いた)
「それなのに…なんだい、このあり様は…」
(ここに、クロトが居たことは間違いなさそうだ。 しかし、一体あの子は何処へ消えてしまったのか――)
ノアの心は晴れないまま…。 風は穏やかさを取り戻し、その場にいる人々の頬を優しくかすめていった。
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ノアは、シエルを背負い、よろめきながら崖を降りて医院へと向かった。 医院に戻ると、医院の手伝いをしていた者たちが慌てふためいたように走り回っていた。
「ノア様――大丈夫でしたか、あの嵐の後、ノア様を探していたのです!」
「――大丈夫だ。 それより先に、この子を寝かせてやってくれ」
「はっ…シエルさん…! 一体どうしたというのです! 医院の方でも、病人たちが全ていなくなってしまって…!」
「なんだと…っ! これは、仕組まれていた事だったのか――!」
――全ては、ノアという人物を、あの裏の儀式に近づけさせないために起きていた事だと悟った。
医院では、押し寄せた病人たちが、外へ出た気配もないのに医室のベッドの上から跡形もなく姿を消していた。
(それもすべて、あのローブの者達が仕組んでいたのだろう…)
「仕方がない。 この娘を頼んでもよいか――」
「はいっ、お任せください」
ノアは、シエルを目の前に居たものに託すと、彼女の部屋へ寝かせるように家のドアを開けた。 医院から一時的に預かっていた荷物がシエルの部屋の前に積み上げられ、荷崩れを起こして中へ入ることが出来ない。
「くっ…まったく…。 すまないが、こちらに寝かせてやってくれ」
シエルはそっと、クロトの部屋のベッドに寝かされ、それを見届けたノアは急いでその場を後にした――医院へ向かうと、ノアが戻ってきたことに皆安堵の表情を浮かべていた。 カンカンとノアは地面を叩いて杖を鳴らす。
「…お前たち!! 息つく暇もないよ! 神天台で何かが起きた――けが人がかなり多い」
「さぁ、手伝っておくれ――!!」
バサバサと、翼を羽ばたかせながら、ノアを筆頭に天使たちは神天台の上へ登っていく。 賢明な救護が行われ、村の人々は次々と医院へと運ばれていった。
月夜は明るい光を放って、静かな寝息を立てるシエルを優しく照らしていた。 指先に絡みついた根がほんの僅かに伸びて、広がった葉の一枚が黒く枯れ、はらりとその身を落とす。 サラサラと散って空気の中に消えて行った。
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神天台のふもとより、少し外れた所。 その生涯を全うし、命を終えた人々が安らかに永眠している墓所。 ノアは静かに歩いて白い墓標の前に立つと、そっとルピナスの花を手向け、その場にゆっくりと座り込む。
「リアノ姉様…すまない…私は、あの子を最後まで守ることができなかった」
ノアの瞳には、悲しみの涙が浮かんでいる。――クロトが大穴に落ちたと耳にしたのは、怪我人を看病している最中のことだった。 皆一様に口をそろえ、災いの神子が現れた…それがクロトだったと呟いていたのだ。
どことなく、鉄と甘い果実の臭気を漂わせながら、頭を抱えて唸り込む者達が脳裏によぎって、ノアは首を横に振ると、手をこすり合わせてフゥッとため息をついた――シエルはいまだに目覚めないまま。 すでに日は二度落ちた。
村の人々は、徐々に回復していき、元の活気を取り戻していった。
ノアは手を伸ばすと、白い墓標を優しくなでる。 小さな妖精たちが、遠目にノアの小さく丸まった姿を見つけ、ふわふわと舞いながら、それぞれ墓標に集まってくる。 白い石の上で寝転ぶと、愛おしそうに墓を抱きしめる。
「…お前たち、まだ覚えていてくれるんだね? リアノ姉様を――彼女はとても、勇敢だった」
「私が至らぬばかりに――あの子を産んでから、惜しい命を無くしてしまったな……」
――リアノ・アルテスタ。
白い墓標に記された名は、クロトが産まれた日に命を落とした――彼の母が眠る場所。
産声をあげた彼を、その胸に強く抱き締めて、彼女は静かに息を引き取った。
「リアノ姉様…あの子の父親は未だに見つからない。 お前の隣に…早く寝かせてやりたいのに…」
「それどころか…あの子まで失って…っ」
風の精霊たちも――フワリと後ろに舞い降りて。 ノアの悲しみに触れ、その肩を優しく撫でるように、祝福の風を与えた。
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