✦✦Episode.4 俺が先に行く✦✦

✦ ✦ ✦Episode.4 俺が先に行く

 



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 二人は、改めて門の前に立つと、村の中ではしゃぎ回る、子供たちの姿が見えた。 つい先日立ち寄ったばかりなのに、もうどこか懐かしくなった村の香り。

 家の窓辺には、たった今、干されたばかりの洗濯物が、紐につるされて風に揺られている。 彼は翼を仕舞ったまま、ゆっくりと村の中へ進んでいこうとした。


「ねぇ、あなたの翼は、出さないの?」

「あぁ、この翼は…誰にも見せちゃいけないんだ」


「どうして…? すごく素敵なのに」

「いいんだ、秘密にしておいてくれ」 

「まぁ…? (二人だけの秘密…? ちょっと悪くない…かも)」


「…俺が先に行く。 中に入ったら、少しだけそこで待っていてくれ」


 シエルに村の入り口で待っているように伝えると、一足先に村の門をくぐり抜けて進んでいく。

 彼女は門の中へ入ると、すぐ近くの壁に寄りかかった。 クロトが一歩進むごとに、村中の視線が一斉に、彼に集まっていく。


「あっ、クロトにいちゃん! かえってきたんだ!」

「ほんとだぁ、クロトにいちゃんだ! やったぁー!」

「やだ、あの坊や戻って来たわよ?」

「あぁ、ノアさんとこの子でしょ…? やあねえ。フラッと戻ったかと思えば、また森の中へ消えるんだもの」


 彼の姿を見て、ひそひそと何かを言う女たち。「おーい」と彼の名前を声をあげて呼ぶ人々。

 小さな子供たちも集まり「あそんで!」とクロトの手を掴んで引っ張っていた。


「にぃーちゃん! きょうこそ、むしとりを、おしえてくれよ!」

「あっずるーい! わたしと、おはなで、あそぶやくそくだったよ!」

「だめだよ、おれとあそぶんだ!」

「おいおい、お前ら…順番、順番だぞ」


 クロトは立ったまま、近くに寄ってきた栗毛色の子供の頭をぽんぽんと撫で、ほかの子供にも、優しく微笑みかけている。

 すぐ脇の家に、ひとりの老人が、草の 葉をふかしながら彼に目をむけた。 眉間にしわを寄せ、目を細めると、しわがれた重たい声で、彼にわざと聞こえるようにつぶやいた。


「おめぇ、まだ羽が生えてこねえんだろ、半人前が」


 クロトの耳に、嫌味の言葉が届いた。 ピクリと身体を動かす。 その言葉を受け流すように、頭に手を当て「いやぁ」と老人に向かって、笑って返すだけだった。


――嫌味を言われる事には慣れている。彼は、怒ることもせず、静かに老人から目を離した。


(ここで喧嘩をしても、何の意味もない。 余計に皆を怖がらせるだけだし…)


 ただでさえ、森の中を行き来するクロトに、不審がって近づかない者も多い。 それでも、森の中と、村を行き来する、この平穏な暮らしの為に、争いごとは避けて通る方が無難なのだ。


(今だけ我慢しておけば、すぐに、気にも留めなくさ)

「まぁまぁ爺さんよぉ。 なんだってクロトは、薬の材料を持ってきてくれるし、獲物だって時々持ってくら。 そんな言い方あんまりじゃねえかい?」

「知らねぇよ。 天使のくせして、翼もまだ生えてこねえ赤ん坊なんざ、森の向こうに帰りな」


 クロトの傍らに、父親くらいの年齢の村人が、老人に向かって、クロトをフォローするように、大きな声を出して言った。 老人はそんなこと気にも留めずに草の葉をふかし続けた。 煙はもくもくと空へ上がると、風にのって漂っていく。 不快な香りが、辺りに漂い、顔の前にきた煙を手で振り払う人もいる。


(…言わせておけば、何なんだよ。 そこまで言う必要が、あるかよ…!)


 クロトはおもわず歯を食いしばり、こぶしを握り締め、その手は震えていた。 彼が耐えていたのを見て、別の村人が、ぽんぽんと肩に手をのせ、彼をなだめる。


「悪いな、あの爺さんはボケちまってなぁ」

「嫌味を言うしかなくってよぉ。 皆にもそうだから、悪く思わないでくれ」

「あぁ…大丈夫だ。」

(俺としたことが…。 あんな言葉に乗せられそうになるなんて、まだまだ…成長が必要だよな)


 村人が口々に言うと、彼は落ち着きを取り戻す。 握りしめた拳を開いて、ゆっくりと腰に手を当てた。

 チクリと胸の奥が痛む。 ぼんやりと、想像の中で思い浮かんだ父の後ろ姿を思い浮かべ、静かにため息をついた。


(こんな時に、父さんが居てくれたら。 何て言ったんだろう。 俺を、守ってくれただろうか…?)


 コソコソと呟く声が、どこからともなく、彼の耳に届いた。 聞くつもりがなくても、聞こえて来るその声は…。 ひそひそとしたあわれみの言葉。


「あの子のお母さんは、ほら…病で、助けられなかったって、そう聞いたわよぉ―?」

「ご両親が生きていたら、あんなことは言わせなかっただろうに、母親が亡くなって、父親までねぇ…」

「父親も行方知れずなんだろ? 亡骸も見つかってないとか? ほんとにかわいそうにねぇー」

「それで、ノアさんに育ててもらったんでしょう? あの人もお人よしよねぇ」


 他の村人の後方で、高齢の女たちがコソコソ会話を続けている。 あたかも、優しさを含んだかのような、憐みの言葉を耳にすると、クロトの心は、より深く刺すような痛みを感じた。


(俺に、選択肢があったわけないじゃないか。 だから、ここはあまり好きじゃないんだ…)

(こんな所。 ノアの婆さんに会ったら、さっさと消えてやる)


…クロトは、地面に視線を移し、傷んだ心を誰にも悟られないように、静かに村の奥へ進もうと…。 彼が一歩踏み出すと――突然、老婆のしゃがれ声が、その場に響き渡った。


「お前たち、何を話しているんだい?  クロトの前で、その話はするなと、皆の約束だったんじゃないのかい?」

「ま、まぁ…ほほほ」

「おほほ…」

「………」


 あたりは凍り付いて、一斉にシーンと静まり返った。 コソコソと話していた女たちは、その言葉に慌てて口をつぐむ。 村の人々は老婆の威圧感を感じて、一歩引くと、ゆっくりとノアの進む道を開けて行く。


「クロトや…帰ってきたんだね?  おかえりよ」


 静寂の中から、再び老婆の声が彼の耳に届く。 地面に杖を突きながら、その場所に現れたのは…シエルが探していた人物——クロトの育ての親。 ノア本人であった。


「うちはね、お前がいつも薬草を持ってきてくれて助かっとる。 この村にはお前が頼りなんだから。 まあ、多少のことは気にしなさんな」


 ノアが近づくと、薬草の香りがふわりと漂ってきた。 彼女は、腰が大きく曲がり身長は低い。

 日除けの為に、ローブを頭までかぶり、左右に結った、白髪交じりの三つ編みの毛先に、球体の飾りがはめ込まれている。

 ノアは、見上げるようにしてクロトを覗き込んで微笑んだ。

 その首元には、魔法陣の刻まれた円盤の首飾りが、シャラシャラと音を立てて揺れている。 腰にさげた革製のポーチには、薬剤調合用のすり鉢や、薬の瓶、薄紙などが入っている。 それをしっかりと巻き付け、古木でできた大きな杖を手に握りしめた老婆がそこに居た。


「ばあちゃん、ただいま…」

「ああ、おかえり…」


 その風貌は、深くしわが刻まれていて、長年の苦労がしみわたっている。 母親代わりの顔をみて、クロトはどことなく安心を覚えていた。


 森に移り住む前。 この村で、唯一安心して過ごせたのはノアのおかげで、この村で一番長く生き、傷ついた者たちを治療してきた。 村人たちからの厚い人望と、村の長という役割を持つ彼女を、クロトは心の底から尊敬していた。




✦ ✦ ✦




――村の門前でシエルは、しおらしく待っていた。

 遠巻きに、人々の輪の中心に混ざったクロトを見つめて「はぁっ」とため息をついた。


 地面を見つめると、雑草が生い茂っている。 その近くには、白色のゼラニウムと、チューリップが日の光に照らされて、華々しく咲いている。 

 転がった小石に目を移すと、そっと小石を蹴り上げた。 コロンコロンと、小石は転がり、草の陰に隠れて見えなくなっていった。

 知らない場所で、ただひとり。 静かに待つ心細さがこみあげてきて、シエルは再び小さなため息をついた。


「クロトって、意外と人気者なのね…。 一体どんな話をしているのかしら…?」


 彼の後姿を見つめ、シエルは寂しそうにつぶやいた。 左右の親指をすり合わせながら、手の全体を指でなぞって気を紛らわせている。

 風に揺られたゼラニウム。 その花が、この先の予感をほんの少しだけシエルの胸の中に漂わせた。


「…ー所で、あのお嬢さんは誰だい?」


 シエルに向けた、老婆の声が聞こえて来たかと思えば…。 村人の何人かがその声につられて一斉彼女に目を向けた。

 子供たちは驚いて、ノアの後ろへサッと隠れ、その後ろからそっと覗き込む。 門の傍で、壁に寄りかかっている少女は、寂しそうに地面を眺めている。 サラサラと風が吹くと、その髪もキラキラと光りながらなびいている。


「ああ、実は婆さんに会いたがってる奴がいるんだ」

「おや、わたしにかい?」

「うん、シエルっていうんだ 今連れてくるよ!」


 ノアは、静かにクロトに顔を向けた。 老婆は、くしゃっと顔を寄せると、片手を口元に当て、ニンマリと彼に笑いかける。


「まさかのう、クロトに彼女ができたとはのう」

「ば…違うにきまってるだろ!!」

「ほほほ、まぁまぁ。 ほれほれ、早くつれてきなさい」

「——違うってば! ばあちゃん!!」


 クロトは、少しだけ赤くなりながら、ぽりぽりと頭をかいて、シエルの元へ歩き出した。

 風に髪をなびかせながら、歩いて来る彼の姿が見え、シエルはホッと安心した気持ちになった。


「悪い…待たせたな」

「んーん。 大丈夫」

「お前の探していた、ノアって人…ほら、あの婆さんだよ」

「まぁ…あの方が、ノアさんなのね」


 クロトは少しだけかしこまりながら、シエルに向かって、その手を差し出した。 誰に教えられたわけでもない…。 が、皆の前で、少しでも格好よく見えるように。 子供たちがよく遊んでいた、お姫様の手を取る王子様の真似事をして。 彼は、紳士的に振る舞う姿を見せた。


「さぁ、俺が連れていくよ。 どうぞ」

「まぁ…」


 シエルは驚いて、じっと彼の顔を見つめた。 沈黙の時間が、その場にしばらく訪れて…。 クロトは気恥ずかしさに、少しずつ焦りはじめていく。


「お…おれ、こういうの苦手なんだ、早くしてくれ…」

「まぁっ…ふふっ…よろしくお願いします」

(クロトって、見栄っ張りさんだったのね…。 可愛いなぁ)


――シエルは、差し出された手に、自分の手をそっと重ねた。 ほんのりと感じる温かさ。 その温もりは、指先から伝わって、彼女の心の中に静かに溶け込んでいく。



「じゃあ、いくぞ…?」

「はいっ…!」


 クロトは、シエルの手を取ると、そのまま自分の元へと引き寄せ、村の人々の前へ彼女を導いた――




✦ ✦ ✦




 子供たちは、ノアの後ろに隠れながら、こちらに向かう二人を見つめている。 誰の耳にも聞こえないように、ひそひそと、楽しそうな会話を繰り広げている。


「ねぇ、あのひと、だれ?」

「まるで、おうじ様とおひめ様みたい…」

「ちがうよ、クロトにぃちゃんの…かのじょだよきっと!」

「かのじょってなに?」


 子供たちは、手を顔の前にやると、より身体を丸めて、小さな声で「しー誰かに聞こえちゃうだろ?」と呟いている。 聞かれて困るような内容なのかと、一人の男の子がきょとんと目を丸くした。

 すると、傍にいた女の子が、ふふんと鼻を鳴らしてニヤリと笑いながらコッソリ呟いた。


「ママと、パパみたいに、ふうふになるひとでしょ?」

「ひえー、じゃあ、ちゅーとかすんのー?」

「きゃー、おとなだねぇ! けっこんとか、するのかなー?」

「わ…わぁ…。 あの、クロトにいちゃんが…!?」


 子供たちのヒソヒソとした声は、微かにノアの耳に届いている。 妄想の膨らむその会話に、ノアはやれやれとため息をついて笑っている。 老婆の目には、光に照らされ、並んで歩く二人がしっかり見えていた。


「——おや? あれは…」 


 シエルの衣服に、風の加護が散りばめられているのが見えた。 やんわりと彼女を包む優しい光に、ノアはそっと何かを感じ、目を細めた。

 昔々のおとぎ話。 風の民と、光の民が手を繋いで大地を歩いた記憶。 そんな話が、少しだけ頭をよぎった。


(この者が誰であれ…。 機会があれば、その話を聞かせてやるとしようか…)

(確かに。 よく見ればお似合いのカップルさねぇ…。 おばあちゃんはうれしいよ)


 ホロホロと顔をほころばせ、考え事をしていたノアは、二人が近づくにつれ…キリッとした表情に変わっていく。 ノアがカッカッと杖を鳴らすと、不思議なことに、ピタリと風がやみ…その場に静寂が訪れた。 


(まずは。 村の長として、彼女が何者なのかを見極めなくてはならない。 悪い子では、ないとは…思うがな)




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