✦✦Episode.3  木漏れ日の中に照らされ✦✦

✦ ✦ ✦Episode.3  木漏れ日の中に照らされ




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 二人の会話は、止まることなく続いていた。 まるで、昔からお互いに知った顔で、久しぶりに会った友達のように、いろんな言葉が飛び出してくる。

 クロトは、この森の中で起きた出来事を話したり、自身の過去についてほんの少し触れるような話をしてみた所、シエルは楽しそうに聞いたり、顔を曇らせたり…沢山の表情を見せた。


「それで、この滝の底には、生き物が沢山いるんだぜ! 虫とか魚とか…。 それに、すごく…キラキラして綺麗なんだ」

「へぇ、いいなぁ、見てみたいなぁ…」

「うーん、ここからじゃ、良く見えないなぁ」


 クロト達は、滝の底がよく見える場所に移動して、裸足になって岩場に登り、かがんで下の方を覗き込んで見た。

 いつも泳いでいるはずの魚も、水面に映った自分の顔と、ゆらゆらと揺れた波が光に反射して、その姿を確認することができない。


「きゃっ…!」

「おっと、危ない…。 大丈夫か?」


 彼の隣に立っていたシエルは、底の方が気になって、グッと顔を出した時、ヌルついた岩に足を滑らせてよろけ、慌てて彼の腕を掴む。

 クロトもまた、彼女が怪我をしないよう、手を添え、ぎゅっと腕を掴むと、その近さに少しだけときめいていた。


「ごめんね、ちょっと…疲れちゃって。 森の中をずっと歩いてきたから…」 

「ん、そうか。 じゃあ、休める所に移動するか? 少しだけ歩くけど、平気?」

「うん。 もうちょっと、頑張ってみる」


 彼はそっと、彼女に手を差し伸べながら、二人は岩場から降りていくと、滝からほんの少しだけ離れた場所に向かって、森の中を静かに歩いていく。

 ふと、開けた場所に出ると…木漏れ日の中に照らされた一本の樹木が見えてきた。


「おっ、あった! こっちこっち!」

「不思議。 こんな所に、開けた場所があるのね!」


 ここはクロトにとって秘密の場所で、辛い気持ちになった時、この場所に来れば、自然のせせらぎが全てを忘れさせてくれる。 そんな場所だった。


「ほら、座れよ」

「まぁ……ありがとう!」


 倒木の前に二人は並んで立つ。

 倒木は、腰を掛けるのにちょうど良さそうな大きさで…。 ここなら、ゆったり休んで、会話を続けることが出来る。

 クロトは静かに手を差し伸べ、シエルはその手につかまりながら、そっと腰を下ろした。 彼女が座るのを目で追って、それに続くようにして彼もその隣にゆっくりと座った。


「ふぅ…。 いいねぇ、ここ。 私、好きだなぁ~」

「だろ? …考え事したい時とかに丁度いいんだよなぁ!」


 太陽の熱は暖かく、まだ濡れたままのクロトの髪を優しく乾かしていく。 時間の流れすら忘れているかのように、二人の会話はだんだんと弾んでいった。


「それでね、森の中を歩いてたら…上からぽとって…ここよ、ここに虫が止まったのよ!」

「肩に乗ってきたの、うぅっ、考えるだけで嫌! なんてね、えへへ」

「へぇ。 どんな虫?」

「ケバケバよ! ケバケバしたやつ!!」


 シエルは、渋い顔をすると、顔を真っ青にさせて肩をポンポンとはらった。

 彼にとっては虫なんて気に留めるものでもなく、ケバケバした虫くらいで悲鳴を上げる事もない。

 それでも、彼女が話す顔を眺めると…片足を反対の膝に乗せ、その上に肘をかけて、頬杖をつきながら静かに聞き入っている。


「私、ついキャーッ!って叫びながら走ったの。そしたらね、荷物もみんな落として。無くしちゃったの…」

「目的地に向かう地図もなくなっちゃったのよ…!」

「はぁ? 地図落とす奴があるかよぉ」

「そうなのよ!私…怖くなって…ここどこっー!? ってずっと叫んでたの!」


 シエルは頬に手を当てて、やってしまったというようにしょんぼり頭を下げた。

 クロトはその隣で、シエルが森の中で迷子になって、慌てふためく姿を想像し、くすっと笑いながら楽しそうに聞いている。

 シエルは指を伸ばして、手首も一緒に動かしながら、地図の大きさを目の前に描くように指を動かした。


「落とした地図は、このくらいの大きさでね…たしか、羊皮紙できてたんだけど…」

「ふーん、で? その地図を持ってどこに行くつもりだったんだ?」

(ふっ、シエル...一生懸命説明してて、可愛いな…)


 クロトは、少し意地悪な顔をして彼女の顔をじっとみつめ…その答えを待っていた。

 シエルは一瞬ムッとした表情をして、頬を膨らませた後、パッと表情を戻して考え込むように自分の唇に人差し指を当てた。


「そうそう、確か―…ノアさんの所へ向かうように…って言われたのかな」

(ん…? ノア?…それって…。)


「ノアって、村で医院を開いてる人の事?」

「うん。 たしかそうだったわ」

「ノアさんに会いに行く途中で…。 あれ、なんでだったかな? クロトはノアさんの事知ってたりする?」


 目的の場所が、自分の知ってる人だとは思いもよらず。 聞き覚えのある名前にクロトは眉をしかめた。


(よりにもよって、ノアの婆さんかぁ。 何の用だ…? まさか、知り合いに具合悪い人が居るとか…?)


 彼女は、首をかしげながら記憶の中をたどる様に上を向いて考えている。 ふっとクロトの方へ顔を向け、身を傾けると、覗き込むようにして彼の顔をじーっと見つめている。

 彼女の口から出た、育ての親の名前…。 彼はピシッと背中を立て…両足を地面につけて答えた。


「その…なんていうか…。知ってるというより、一応俺を育ててくれた人なんだけど…要は、親…?」

「まぁ! 親御さんだったのね! よかったぁ…すごく困っていたの」


 彼女の瞳からふっと光が消えて「このまま一人、森の中で迷い続けるのか思ってた…」と、寂しそうにつぶやいた。


「んん…、まぁ大丈夫じゃないか? ここまで一人で来れたんだろ?」

「うん…」


 クロトは呟きながら頭をぽりぽりとかきはじめると、ばつが悪そうに地面の方へ顔を向けた。 そんな彼を見つめながら、シエルは意図せずに上目遣いをすると、手のひらを合わせてそっと首をかしげる。


「あのぅ。 道を教えてくれると、嬉しいんだけど…どうかな? お願い…!」

「うっ…!」

(なんだ、その可愛い仕草は‼ 惚れさせるきかぁっ‼ くうぅ…っ)


 思わず振り返った時、にこにこと笑うシエルの可愛さが、ドキッと彼の胸に響いた。 頬をぽっと染めて、照れた顔を隠す様に、再びそっぽを向くと、ムッとしたように唇を尖らせた。


「 ん、うん…別に、連れてってやってもいいけどさ…」

「クロト~? どうしたの?(照れてる? へぇ…。 ちょっと意地悪しちゃおうっと)」


 シエルは、彼の顔を覗き込むように距離を縮めた。 近づかれた事に気が付いた彼は、バッとこちらを振り向いて、照れながら彼女に向かって、両手を広げ、困った表情になった。


「うっ...! (シエルっ可愛すぎるっ…!落ち着け、俺…) む、村までは結構歩くけどっ! 大丈夫か…? まだ、歩ける?」

 (へぇ、クロトって、か~わいぃ)

「嬉しい、ありがとう! …大丈夫、ここで休んだから、まだ歩けるよ!」


 シエルはすっと身を引いて、ぱちぱちと手を叩くと、喜びの声をあげてにっこりと笑った。

 クロトは、「うん。」と言いながら、横目でシエルを眺めた

  静かに目を細めた彼の黒い瞳は、微かに赤と青の入り混じった色に輝く。 髪が風になびかれて、キラキラと輝いて。 そんな彼を見つめて…シエルは静かに頬を染めた。


(あぁ…なんかちょっと…私…彼を、好きになりそう…?)

「かも…。」

「ん?」

「なんでもないっ。 それにしても、この辺の森は深いね?」


 シエルは心の内を悟られない様に、話題をすり替えると、ため息をついて、眉をひそめて困った顔で空を見上げた。


「はじめは、空を飛んでみたんだけど…」

「とてもじゃないけど、目的の場所にたどり着けなかったの」

「ああ…そうだな。おかげ様で、この場所には誰も来やしないんだぜ、いいだろっ!」


 彼はわざとらしく腕を組むと、鼻を指でこすった。 いたずらっぽく笑った彼が可愛く目に映って、彼女もそれにつられて「ふふっ」と一緒になって笑う。


(…―シエルの言う通りだ)


 確かにこの辺りは森が深く、入り組んでいて、色々な生き物が突然飛び出してくる

  木陰の間から小型の生物、甲虫や鳥、蜂や蝶など、様々な生き物が飛び交って…そんなことはいつもの光景だ。

 この森を知らない者が、空を飛ぼうと思えば…木々の枝を翼に引っ掛けて怪我をする。 幼い時は、そんなことが相次いで、ノアの医院にはいつも人が絶えないのを目にしていた。


(俺にとっては、誰も来なくて最高の場所なんだけどな)


 8年間、たった一人でこの森で暮らし、自然の中で生きた彼にとって、どこよりも生きやすい。 この森は、彼にとって大切な居場所となっていた。


――やがて、二人はゆっくりと立ち上がり、村の方向に向かって並んで歩き始めた。





✦ ✦ ✦





 村へ向かう途中、食べられる山菜が沢山生えていた。 ワラビやこごみ、タラの芽などを沢山摘んで、持ってきた革袋に詰める。

 彼は、近くに見えたさくらんぼの木からそっと果実をとると…ほいっと彼女に渡した。


「食べたことあるか?」

「わぁ…つやつやね。 美味しそう!」


 彼女は思い切って頬張ってみる。 すると、口の中で香る何とも言えない甘酸っぱさ…。

 その美味しさに、シエルは思わず顔をほころばせた。


「おいひい…っ。 ひあわせぇ~」

「へへっ…だろ? (顔がモチッとしてて…可愛いなぁ)」

「お、ヨモギだ! ノアの婆さんに届けるやつ! 採るからちょっと待ってて!」


 クロトは黙々と、ヨモギをむしり始めた。 摘み取られた草の間から、汁が漏れ、ヨモギの香りが、辺り一面に漂っている。


「これはな、すり下ろして…傷に塗り込むんだ。」

「へぇ、やっぱり効く?……ねえ、こっちのは何?」

「これは…。 すごく辛いやつ。 火を通したら食えるし…お、こっちは乾燥させて煮詰めるやつだ。 お茶にして飲むとうまいんだよなぁ。」

「まあ…本当に色んな事を知っているのね!」


 シエルがあれこれ聞いてると、花の名前や草の名前を語り、時々豆知識を教えてくれる。 話を聞きながら。感心して胸に手を当て、目が合う度に、にこっと彼に笑いかけた。


 そんな二人を、小鳥が木々の隙間から覗き込むと、ちっちと鳴いて喜んでいる。

 すると突然、草の陰からぴょんぴょんとはねる耳の大きなウサギが突然飛び出してきた。


「わぁっ!かわいいね! ふわふわ~!触ってみたいなぁ!」

「晩飯に丁度いいサイズ。 よーし…!!」


 シエルが呟くその隣で…獲物をじっと見据えて…ガシッと勢いよくウサギの耳を掴む。


「じゃーん、よし、これを今夜の晩飯にしよう!」

「ひっ…っ!!」


 シエルの前にぶら下がったウサギを差し出すと、シエルの顔はゾっと青ざめていた。 目を輝かせている彼の手に、そっと自分の手を重ね…その胸にウサギを抱きとめた。


「だめ!! 食べちゃだめよ! こんなかわいいのにっ…」

「ね、お願い…逃がしてあげてくれない…?」


 そのまま泣き出してしまいそうな、彼女のうるんだ瞳を見て、彼はおろおろとウサギと彼女の顔を交互に眺めた。


「はぁ…仕方ねぇなぁ…今回だけだぞっ…。(くぅっ…肉ぅ…!)」


 シエルは彼の言葉ににっこりと笑うと、ウサギを静かに野に放った。 颯爽と草陰の中へ走って消えていったウサギを眺めて、クロトはちょっぴり涙を浮かべた。


「ああ…今日の晩ごはんが~っ」

「えへへ、ごめんねぇ?」

(えへ。 ちょっと、意地悪しすぎちゃったかな…?)





✦ ✦ ✦





 しばらく歩いて、森を抜けた頃、人々に踏み慣らされた道が二人の目前に現れた。 道の先には、村の門が見え、どこか懐かしさを覚える木造の家屋が、木々の間から顔をのぞかせている。


「やったぁ! やっと村が見えてきたね!」


 シエルは、ぱっと顔を輝かせて、喜びの声をあげると、はやる気持ちで、村に向かって走り始めた。


「あっ!おいあぶな―…!」

「きゃぁ!」


 …―びしゃんっ。

 目の前に泥の水たまりがあることを、すっかり見落として。 まんまと、泥を踏んだシエルは足を滑らせ、ものすごい音を立てながら、その場に転がり落ちた。


「おっおい、大丈夫か…? まったく気をつけろよ…!」

「もぉ…こんな所に泥があったなんて! わぁん」

「ん、ほら、手ぇ出せ!」


 クロトに手を差し出されると、シエルは恥ずかしさに頬を染め、その手を掴んだ。 それと同時に、グッと力強く引き寄せられて立ち上がる。


「あいたたた…。 えへへ、ありがとう。 今度は逆になっちゃったね…」


 シエルは、はにかみながら、ぱたぱたと衣服についた泥をはたくように落とした。 彼女の衣服に、汚れが全くないのをみて、クロトは驚いて目を丸くする。


(なんだ…? 泥汚れがするっと落ちて行く。 どんな構造だ? この服…?)

 

 ふと気になって、彼女のワンピースのスカートを指でつまみあげた。 指を左右にこすりあわせて確認してみると、布地はシルクの様な肌触りがした。

 ほんのりと、指に溶け込むような不思議な感覚。 その中に優しい風の力を感じ…シエルが何かに護られている気がして、クロトはじっと指先を見つめた。


「へぇ。 これはすごい…」


 どうやら、精霊の加護が、シエルの衣服に込められているようだ。 そのおかげで、大体の汚れは浮いて、地面に滑り落ちて行く。

 シエルは、引っ張り上げられて、短くなったスカートに恥ずかしくなって、頬を丸く膨らませながら、自分の元へ、つままれた布を引っ張って、手繰り寄せる。

 するりと、クロトの手の中から、布地が滑り落ちていった。


「…―もうっ早くいきましょっ…!!」


 手持無沙汰になったクロトは、目線を上にあげ、シエルの顔を覗く。

 彼女は、ぷぅっと頬を膨らませ、少し怒ったような…照れたような表情をしながら、振り返らずに歩きだした。


「泥でまた転ぶなよ~」

「ふーんだ」


 後ろから意地悪な声がして、シエルは足元を確認しながら、ぎこちない歩きでパタパタと音を立てて村の方へ進み始めた。

 その様子を目で追って、クロトはフッとため息交じりに笑うと、後を付いて歩き出した。





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