第7話
さわさわ、春の風に桜が揺れる。
地元はまだ雪に覆われてる季節だから、日本は縦に長いなぁ、なんてしみじみ思う。
……そう言えば、去年の入学手続きの時ももう蕾が綻んでいたっけ。
「何たそがれてんだよ、夏樹」
「……健太さん知ってます? 僕の地元、桜咲くのゴールデンウィークなんですよ」
「は?」
「びっくりですよね?」
公園のベンチ、隣に腰掛けた健太さんは驚いた顔をしている。先日梶にも驚かれたこれは、暫くは話のネタで使えそうだ。
驚きから戻った健太さんは、深く息を吐く。
「やっぱりお前、心臓に毛が生えてるよ」
「そう、ですかねぇ」
返事をしながら、首から下げたお守り袋をつい握り込んでしまう。お約束の紙の感触の他――少しだけ、硬い物が掌に触れる。
「何をどうしたら、あの骨の中から小指の骨だけ抜いておくんだよ」
「……あれ、こっちだとあんまり有名じゃないんですかね」
「何が」
「人の身体には三つの仏がある、って……喉仏と、手の小指と、足の小指だったかな」
「……え、そういう話もあるのかよ」
「お祖父ちゃんのお葬式で聞いて、ずっと記憶に残ってたんですよね……手の小指の骨なら、僕でも分かったから」
あの日、骨壺の中から小指を見つけられたのも――多分、健太さんのお父さんが北の人間だから。
頭蓋骨と、三仏。それらは最後に、箱に納める。
だから僕でも小指の骨は見つけられて――警察が来る前に、それを、そっと隠すことができた。
そうして健太さんの小指の骨は、今はお守り袋の中に。
「骨壺は難しいけど、小指の骨ならどうにかできるかなぁ、って思ったんです」
天井裏に、人骨があった。
そう警察に通報すれば、結構な騒ぎになった。
僕も疑いを掛けられたけど――骨は、僕が生まれる前のものだと分かってそれも解けた。
頭蓋骨は、顎まで綺麗に残っていた。
だから歯型から、骨の持ち主は――前の住人の、行方不明だった息子だと早くに分かった。
……三十年近く前に、亡くなった『彼』の骨。
行方不明になった年を享年とするなら、今の僕よりひとつ上。
事情を知っていたであろう前住人も無くなっているため、そのまま無縁仏として供養された、らしい。
「……お前なぁ」
「でも、結果オーライじゃないですか? 健太さん、僕と一緒なら部屋の外に出れるようになりましたし……家賃も、僕が住んでる間は据え置きになりましたし」
そう言えば、調子に乗るな、と健太さんに頭を小突かれる。頭に触れたその感触が、確かにあることにほっとする。
横目で伺った健太さんは、雲一つない空を見上げている。
地元よりも薄い、水色の空。
そこに手を伸ばした、桜の花。
桜の樹の下には、と紡いだのは梶井基次郎だったか。
健太さんと桜の花は良く似合っていて――だから、不安になる。
「……嫌でしたか、健太さん」
「あ?」
「あ、いや……こうして、僕がお骨、持っちゃったの」
「……嫌っつーより、なんつーことをしでかしやがった、かな」
そう言う健太さんの顔には、苦い笑みが浮かんでいる。
ちゃんと供養をしなきゃいけない。
でも、離れるのは嫌だ。
あの時はそれしか頭になくて、今思えば、確かにそう言われても仕方がない。
「……健太さんが嫌になったら、言ってくださいね」
「夏樹?」
「その時は、頑張ってお別れできるよう……うん、頑張ります」
まだ一緒に居たかった。
零れたそれに、健太さんは目を丸くして――それから「ばーか」と僕の頭をがしがしと撫でる。
「……お前が死にそうになったら、その骨どうすんだよ」
「そうしたら――頑張って、死ぬ前に飲み込みますよ」
火葬で崩れてしまう骨も多い。
なら、小指の先が一つ増えていても――気付かれないだろう。多分。
「……お前、なぁ」
そう続ければ、健太さんが額に手を当てる。それから、深い溜息が落ちる。
「やっぱり心臓に毛が生えてるよ。それも剛毛」
「そんなことあります?」
「あるから言ってんだろ」
馬鹿野郎、と健太さんが言う。
その音すら、心地良いと思う。
……本当は、前とそんなに変わりはない。
健太さんは成仏できないままで、お骨はまだ、『ここ』にある。
頭に浮かぶそれらは――「もうすこし」で塗り潰す。
「……折角だから、健太さんが知らない場所まで足を伸ばしましょうか」
「お? 吹かすなよ。俺一昨年まではテレビ見てんだからな」
「訂正、行ったことない場所、ですかね……水族館とか、結構出来たと思います」
「あー、隅田の?」
「あと品川の方も、リニューアルしたんじゃなかったですっけ……僕も行ったこと、まだないんです」
だから一緒に行きませんか。
そう言えば、健太さんは目を丸くして、それから自分の頭をがしがしと混ぜる。
隣で落ちた溜息は――苦くない。
「……いいよ」
切れ長の、こげ茶色の目が細くなる。
その表情に、どくりと、心臓が跳ねる。
「お前去年バイトし通しだったからな……外に目を向けれるようになったの、良かったじゃねぇの」
わしゃわしゃと、頭を撫でる手。
いつ行く、と訊ねる穏やかな声。
そんなものが、たまらなく。
「……健太さんが良ければ、今からでも」
「急だな」
「思いついたが吉日、って言うじゃないですか」
「それもそうか」
――未だ続いてほしいと、そう願ってしまうのだ。
六畳一間ルームシェア(告知事項アリ) 走馬真人 @sbewis
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