第6話

 ――親父は、酒癖が悪かった。

 昔はそうでもなかったけど、母さんが死んでから酒浸りになった。

 ロクに働きもしねぇから、高校は定時制に通ってた。

 親父の代わりに家事をして。

 生活費のために、バイトをいくつも掛け持ちして。

 ……偶に親父に殴られて。

 そんな生活だったから、全日制の高校に通ってる連中が羨ましかった。

 ぽつりぽつりと、雨垂れのように落ちるそれは苦い。

 左胸に刺さる気がするのは――多分、僕の環境がまだ恵まれていた方だったから。

「……金が貯まったら、こんな家出てってやる、って思ってた」

「……うん」

「でも当時の俺は馬鹿でさ、馬鹿正直に親父に啖呵切っちまってさ……お前の世話なんてこりごりだ、って」

 それで揉み合いになった、と健太さんは淡々という。

 気付いた時には、自分の身体を見下ろしていた、とも。

 打ちどころが悪かったんだろうなぁ、なんて、あまりにも穏やかに言うから――逆に、心臓が痛んだ。

「そっから、暫くはうとうとしてた感じだな」

「うとうと」

「うん……偶に意識が浮上して、そうしたら家が変わってて。親父、転々としてたなぁ」

 最初は、俺の身体を衣装ケースに詰めていた。

 次に気が付いたら、衣装ケースは無くなっていた。

 そうして、薄くなっていく親父の背中をただ、見ていた。

 苦く笑って、健太さんは語る。

「……健太さん、は」

「うん?」

「……恨まなかったんですか」

「あー……それよりは……なんてことしちまったんだ馬鹿親父、かなぁ」

「なんてこと」

「うん……馬鹿だよ、本当に馬鹿。俺と喧嘩したのだって、一人になりたくないからでさ」

 そういうのが分かる程度には、家族だった。

 しみじみ落されたそれが、きゅう、と喉を詰まらせる。

 体育座りをした健太さんは、膝に額を寄せる。薄い肩が上下して、深く、苦い息を吐き出した。

「……一回距離を置いた方が、よかったんだ、俺と親父」

「……うん」

「そうしたらさ、多分、まぁ、盆正月は顔を合わせる位の関係では、いれて」

「……うん」

「でも、親父、そういう機会すら……自分でフイにしちまった、から」

 いつかの健太さんの言葉を思い出す。

『……距離置いた方が、上手くやれる親子ってもあるよな』

 あれは、きっとご自分の経験からの言葉だった。

 ずきずきと痛む左胸に、鼻の奥がつんとする。けど、泣く権利は僕にはない。

 自分にそう言い聞かせて、静かに息を吐く。

 そうして健太さんの背中に手を当てれば、びくりと、薄い背中が跳ねた。

「……あとは夏樹に話した通りだよ。親父が倒れて、そのまんま。救急車は、間に合わなかった」

「……健太さん」

「このまんま、親父も俺と同じになるのか、って思ったら……誰か呼ばないと、って思って」

 大家さんに迷惑かけるつもりはなかったんだ、と彼は落とす。

「親父の荷物がなくなって、それでも俺は部屋から出れなくてさ。どうしようなぁ、ってぼんやりしてたら、お前が来た」

 健太さんが顔を上げる。その目は、赤い。

「……親父が、俺のこと見えなかったから……誰かと話したの、久し振りで」

「……うん」

「あと、お前が、生活費自分で稼ぐ条件で上京した、って言った時、すげぇな、って思った」

「……そんなこと、ないですよ」

「いや、すげぇよ。逃げる為に頑張った、ってことじゃん……俺、は、さ。親父に啖呵切った時……親父がそれで、謝って……改心してくれるのを、期待してた」

「……健太、さん」

「……見捨てること、できなくて、さ……」

「……うん」

「それ、に……小学校の時に母さんが死んでから、ダチ呼んだこと、とか、なかったから……楽しくて」

「うん」

「……お前は大学生だから、社会人になったら難しいとは思ったけど……ずっと、続けば良いと思ったんだ」

 まるで、懺悔のような声だった。

 思わず手を伸ばして、隣の健太さんを抱き寄せる。

 指先に、触れる感触がある。でも――健太さんは、もう、生きてはいない。

「……僕も、ですよ」

「夏樹」

「楽しかったんです。アパート、ずっと、ここにしようって思うくらい……人生で、一番、楽しかった」

「うん」

「でも」

 息を吸い込む。吐き出す。

 見やったのは、馴染のある北の風習。

 桐箱の中の、一杯の白い骨。

「……警察、呼びますね」

「夏樹」

「このまま、健太さんのお骨を持っておきたいんですけど……そうしたら、僕が死んだ時に健太さん、また取り残されちゃうから」

 止めようと伸びた手が、落ちる。

 追いかけるように、僕の肩に寄せられた額。すまねぇなぁ、と苦い音が落ちる。

「健太さん」

「どした、夏樹」

「……触っても、いいですか」

「……いいよ」

 その声が落ちてから、そっとその頭を引き寄せる。

 ふは、と落ちた笑い声は――涙の、気配がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る