第2話 日常

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 人形店『黒猫』での出来事が時貞史郎の頭から離れなかった。

 もっとはっきり言えば、リリイカと名乗った美しい店員が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 そんな感じだったので、仕事は手につかず、適当な理由をつけて外回りに出、適当に時間を潰し、定時が来るとさっさと家路に着こうとしたところで思い出した。

「そうか、今日は清美きよみと約束だったな」

 清美──安城清美あんじょうきよみとは、人形をねだった娘だ。大学時代の友人の紹介で出会い、まだ付き合うまでは行っていないが、向こうも悪い気はしていない、そんな関係。

 今日の約束をすっぽかせば、これで終わりだろうな、と思ったが、一時の気の迷いで逃したくはない。

 待ち合わせ場所は清美の家の近くの、ちょっと洒落たカフェだった。時貞の職場からは少し遠いが、君といる時間を少しでも長くしたいから、とキザな事を言ってしまった結果、そのカフェになったのだった。

 急いでカフェに向かったので、遅刻はしなかったが清美はもう席について待っていた。

「もう、遅い」

 席につく早々、怒られた。彼女の前には、パスタが置かれていた。

「ごめんごめん、ちょっと仕事が長引いて──あ、コーヒーを」

「食べないの?」

「うん、まあ」

 ここは高いからね、とは言えない。

「ふーん。あ、今日ね、面白いことがあってね──」

 清美は会社であったことを話し出す。こうなると止まらない。上司と同僚の娘の関係が怪しいとか、お気に入りの化粧品をお局様が同じものを使っていて最悪だっただとか、どうでもいい話が延々と続く。

 そんな清美の話を笑顔で聞きながら、頭の中ではリリイカの事を思い浮かべる。

 銀幕のスターもかくやと言わんばかりの美貌。洗練された、まるで貴族のような立居振る舞い。穏やかな上品な物腰。

 パスタを食べる清美の器量もなかなかのものだが、リリイカならこういった下世話な世間話などしないだろうな、などと考えていると、

「そうそう、人形はどうだった?」

 と、やはり訊いてきた。

 さて、ここからが本番だ、と時貞は気を引き締めた。

「ああ、行ってきたよ」

「本当!? 嬉しい!」

「待って待って」

 両手を突き出し、制止する。

「行ったんだけど、人形はオーダーメイド専門だったから、買えなかったんだ」

「オーダーメイド?」

「そう」

 時貞はリリイカから渡された注文書をポケットから取り出し、清美に渡した。

「そこにどういう人形を作って欲しいか、書くんだ。それで……聞いてる?」

「うん、聞いてる」

 と言う清美は、ペンを取り出し、注文書に何やら記入し始めていた。

「ちょっとちょっと」

「なにぃ?」

 不満気ではあったが、清美は書くのを止めた。

「早くて一年かかるって」

「何が?」

「人形が出来るのが」

 えー!! と、他の客が注目するくらいの大声を上げる清美。頭を抱えたくなる。

「だから、あの店で買うのはやめておこう」

 何より高そうだ。

「でもでも、あそこってすっごいのよ。とっても可愛い人形を作ってくれるらしいんだから」

「らしい?」

「うん。みやちゃんが言ってた」

 みやちゃんって誰だよ。会って説教してやりたくなる。頼むから清美にあやふやな情報を与えないでくれ、と。

「でも清美は一年も待てるか?」

「うーん、待てる、よ?」

「そっか」

 ふう、とため息をつく。待てるはずがない。自分が来るまで料理も待てないのに、一年も人形が出来るのを待てるはずがない。

 そんな時貞の心情など知るはずもなく、清美は言う。

「あたしねえ、可愛いもののためなら我慢できるよ、一年くらい。だって出来上がったら、ずっと一緒なんだよ!」

「それはそうだけど」

「それにね──」

 清美はそこで声を落とす。誰にも聞かれたくない秘密を打ち明けるように。

「あのお店、ホントにすっごい人気なの。でもね、おやすみが決まってないから、お店の中に入るだけでも大変なんだよ」

「へえ、そうなんだ」

 見た限り、そんなに注文が殺到しているとは思えなかったし、坂道を登る途中に他の客らしき人とも会わなかったので、意外だった。

 ──それに、リリイカほどの美女が店員としているのだから、彼女目当ての客が押し寄せていてもおかしくないのに。

「だからねえ、史郎くんが注文書をもらってきたの、とってもとってもビックリ! まさかお店に入れるとは思ってなかったもん!」

 そんな店に行かせたのか。せめてその情報を先に教えておいて欲しかった。

「そういえばさ」

「なあに」

 ちゅるちゅるパスタを食べながら清美が聞き返す。

「あそこ、夕方しか開いてないらしいじゃないか。なんでかなって思って」

「わかんない」

 だろうね、とは言わない。

「でもロマンティックじゃない? いつ開いているかも分からない。分かっているのは夕陽が綺麗な日の夕方だけ開いている、お人形のお店」

 そんな細かい情報も知らなかった。だいたいその日の夕陽が綺麗であるかどうかなんてどうやって知るのだ。

 いや、店主はまだ会ってないから分からないが、リリイカならば、分かるのかもしれない。彼女自身、どこか存在が現実離れしているから。

 清美とリリイカ、そして謎めいた人形店に気を取られ、いつ持って来られたのかも定かではない冷めたコーヒーに手を伸ばす。

「はい」

 パスタを平らげた清美が紙切れを差し出す。それを受け取ってざっと目を通す。

 紙切れ──人形の注文書にはいつ書いたのか、容姿の指定、服装の指示などがびっしりと書かれていた。特に目を引いたのは、

 ──世界で一番、可愛い人形が欲しいです!!!!!!! という一文。

「本気?」

「ほーんき!」





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恋と人形 つかさあき @tsukasaaki

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