恋と人形

つかさあき

第1話 人形館〜黒猫〜

1


 陽波里市ひなみざとしの郊外に、知る人ぞ知る人形屋さんがあると聞いた時貞史郎ときさだしろうは、入日いりひ射す、なだらかな坂道を歩いていた。

 街の名に陽を冠するだけあって、この街の夕陽はなかなかのものだ。地平線に沈む太陽が空に桃瑪瑙ももめのうの置き土産を残す様は、一幅いっぷくの絵画のようでもある。

 しかし時貞は振り返ることもなく、坂上にある人形屋『黒猫』を目指す。聞いた話によれば、『黒猫』は夕刻の数時間しか開いていないらしいからだ。

「何が『黒猫』の人形が欲しい、だ」

悪態をつく。時貞の狙っている女性が可愛いもの好きで、『黒猫』の人形が欲しいな、と言い出したのだ。 

 人形であればプレゼントとして渡すのに、相手を呼び出す口実を作りやい。値は張るかもしれないが、今後の事を考えれば安い出費だろうと思い、こうして出向いてきた訳だが、まさかこんな街外れにあるとは思ってもいなかったのだ。

 初夏の夕暮れ時、過ごしやすい季節ではあるものの、時貞が『黒猫』に着いた頃にはじっとりと汗をかいていた。

 ポケットからハンカチを取り出し、汗を拭いながら店内に入ろうと木製のドアノブに手をかける。

 童話に出てきそうな丸太造りの『黒猫』の店内は夕陽に照らされているだけで、薄暗かった。

 ドアチャイムが鳴ったから、客が来たことは店内には伝わったと思うのだが、誰も見当たらない。壁際のショーケースに何体かの人形が陳列されているだけの店内は少し不気味でもあった。

「すいません、誰かいませんか」

 不安をかき消すように、声を出す。汗はいつの間にか引いていた。

 ──ぎ、ぎぎ

 どこかから、何かを引きずるような音がした。入り口の扉が開いたのか、と戸口を見てみるが扉は閉まったままだった。

「だ、誰かいるのか!?」

「……はい、ここに」

 不意に、声がした。しかし姿が見えない。

「ど、どこに?」

 周囲を見渡すが、人形以外、何も見当たらない。

「上です」

 軽やかな、それでいて芯の通った声が頭上から降ってきた。

 見ると、時貞より少し年下──10代後半と思わしき女性が天井から吊り階段を降りてきた。店内に入った時にはそれらしい階段は見当たらなかったが、半収納式にでもなっていたのだろう。先ほどの音は階段を下す音だったようだ。

 階段を降りてくる女性に時貞は目を奪われた。姿勢から足運びまで全てが洗練されていた。そして何より美しかった。

 豊かな黒髪は夕陽に照らされ、艶やかさを増していた。肌を覆う宵闇よいやみの色をしたドレスは彼女の白い肌を際立たせ、時貞を圧倒した。

 彼女は時貞の前に立つと、ドレスの裾をつまみ恭しくカーテシーの礼を取る。

「大変失礼致しました、お客様。夕陽が美しかったもので、屋根裏にいたのです」

「あ、いや、これはどうも」

 時貞はどう返していいものか分からず、ただただ恐縮して頭を二度三度と下げた。

主人あるじは今、地下の工房で仕事をしておりますので、ご要件はわたくしが承ります」

 彼女はそう告げ、猫のようなアーモンド形の紅い目を時貞に向けた。

「あ、ああ、要件ね。人形が欲しいんだが」

「左様でございましたか。人形のお引き取りで?」

 と、人形のように美しい女性が問い返す。

「引き取り?」

「はい。当店の人形はオーダーメイドでございます」

「え、そうなの!?」

 美しい店員はこくりと頷く。

 さっきまで美女に圧倒されていたが、売れる人形がない、と聞かされて時貞は我に帰った。

「でもさ、ショーケースには人形が並んでるじゃないか。あれでいいんだ、売ってくれないか」

「申し訳ございません。陳列されている人形はまだ未完成品でございます。売り物ではございません」

 キッパリと言い放つ。

「じゃあ、今日お願いしたとして、いつ出来る?」

「そうですね」

と、店員は小首を傾げ、頬に細く白い指を当てて考える。

「ご注文の内容によりますが、一年くらいでしょうか」

「一年!」

 せいぜい数週間と考えていた時貞は思わず叫んでしまった。店員はしかし慣れているのか、驚いた風もない。

「もういい、帰る」

「ご期待に添えず、申し訳ございません。もし、お考え直されるようでしたら、こちらの──」

 店員は提げていた小さなバッグから何やら用紙を取り出し、時貞に渡した。

「注文書にご記入の上、お申し込みくださいませ」

 時貞は無言でそれを引ったくるように手に取り、店を出ようとした。

「そういえば、店員さん、あんたの名前を教えてもらってもいいかな?」

 ドアノブを握ったまま、訊いてみる。

「店ではリリイカと呼ばれています」

 淀みも逡巡もなく、店員──リリイカは名乗った。

「俺は時貞。時貞史郎。また来る」

 それだけ言い、時貞は逃げるように店を出た。

「またのご来店、心よりお待ち申し上げます」

 軽やかな声が微かに時貞の耳を打った。



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