ガミガミ神—ガミガミがみ—

白菊

ワンルーム


「さて、改めて訊こう。おまえは何者だ?」

「神だ」男はなんでもないように答えた。「もう何度も言っている」

 残暑も引いてきた十月。家賃が安いのだけが魅力のワンルーム。大して広くない部屋には畳まれた布団、窓には長さの合わない紺のカーテン。それほど大きくない書棚は漫画で大半が埋まり、机にはノートパソコン、その横にテキスト、その上に筆記用具。

 青年は頭を掻いた。「その、……この際なんでもいい。なんでもいいから、出ていってくれないか」

「どうしてそんなことを言うんだ。おまえのためにここにいるんだ」

「いいよ、構わないでくれ」

「なにがそんなに気に入らない?」

「なにって、そりゃあ、おまえときたら……一昨日に現れてからあれが食いたいこれが食いたいといって色々食うだろう。おれの金で食うだろう」

「いけないか」

「あまり喜ばしくない。その、わかるか、大学生ってのは、だいたい、金がない生き物なんだ」

「うむ」

「だから、おまえのような食いしん坊に居候されると困る」

「でも、おまえの役に立つ」

「望んでない。必要ないから、よそをあたってくれ」青年はさあ今すぐにと言うように玄関を指差した。


 後日。青年が目を覚ますと、「おはよう」と声がした。である。

 青年は部屋の眩しさに目を細めてごろりと体の右側を下にした。「いいからもう……帰れよ」

「もう八時五十一分だ。朝はもっと早く起きるのがいい」

 青年は大きくあくびした。「いいや、あと三時間ほど寝た方が、朝食がいらなくなって、……ああ、お財布に優しいんだよ」

「それはあまりよくない。休日の朝は遅くとも七時に起きるのがいい」

「嫌だよ、そんな早くに起きてなんになる?」

「朝は七時までに起きて、パンを——ロールパンでもサンドウィッチでもなんでもいい——とにかくパンを食べながら、映画を一本観るんだ。それから十時までに買い物に出かける。その日の夕飯を決めながら買い物するんだ。このとき、なにか菓子を買うのを忘れちゃいけない。それで帰り道に書店に寄る。好きな小説を一冊か二冊買うんだ。ああ、ただし上中下とあるものは全て買う。それで家に帰り、なにか飲み物を淹れる。高級な紅茶でもインスタントコーヒーでもいい。それでその飲み物と、買った菓子をそばに置いて、帰りに買った小説を読むんだ」

「ああ、わかった、わかったよ。これからはそうしよう」

「だめだ。今からそうしないといけない。今すぐにその布団を出て、着替えるんだ。そして顔を洗い、歯を磨いて、買い物に出かけるんだ」

「着替えたあとに洗顔やら歯磨きやらをするのは好きじゃない……せっかく着替えてもびちょびちょじゃないか」

「じゃあ好きなようにすればいい。だからとにかく布団から出るんだ」


 があんまりにうるさいので、青年は布団を畳んだ。それから黒いスウェットシャツを出してきた。

「ああ、それはいけない。黒い服というのがいけない」

「なんだって?」

「服は明るい色じゃないといけない」

「なんでさ」

「とにかく暗い色の服はよくない。なんでもいいから明るい色にするんだ」

「なんだよ、明るい色なんて、半袖のティーシャツしか持ってないぞ」

「ならそれでいい」

「寒いだろうが」

「ならなにか羽織ればいい」

「黒いパーカーをか?」

「いいだろう。これから出かけて、明るい色の服を買おう」

「買わないよ。金がないって言ってるだろう」

「金は使った方がいい」

「その使う金がないって言ってるんだ」

 は今ひとつ理解していないような顔をした。


 青年はに連れられて買い物に出かけた。とにかく明るい色の服を買わないといけないのだという。

「そうだな」は一枚、服を広げた。「これなんかはどうだ」

「真っ赤だな。モミジの葉っぱだのヒガンバナだのくらい真っ赤だ」

「これに白いズボンでも合わせれば完璧だ」

青年はどう応えたらいいかわからなくなった。

「だったら、この白いのがいい。下も無難な色で合わせれば問題ない」

「この黄色いのもいいんじゃないか」

 があれもこれもと言って、売り場へ返すのを許さないせいで、一万円以上の出費となった。


 服を買ったら次は夕飯の献立を決めにスーパーマーケットへ。

「そうだな、今日はハンバーグが食べたい」

「出来合いのでいいな」

「いいや、手作りだ」

「冗談言うなよ」

 青年は買い物かごにいくつかまとめられたハンバーグを入れた。

「ああ、これで忘れちゃいけないのが野菜だ。野菜は欠かしちゃいけない」

「カット野菜でいいか」

「まあ、いいだろう」

「なんで偉そうなんだよ。ただでさえ午前中から一万円以上の買い物を強いられたんだ、ちょっとは安く済ますのも許してくれよ」

 はカット野菜を選ぶのにも口出しした。青年は言われるままに商品をかごへ入れた。

「さて、こんなものかな」

「だめだ。菓子を忘れている。このあとは本屋にいくんだ」

「いかないよ。金がないんだってば、わかってくれよ」

「いいや、いくんだ。さあ、まずは菓子を選ぶんだ」

 青年はうんざりしてため息をついて項垂れた。


 このまま帰るわけにはいかないようだったので、書店にも入った。

「気になるものはないのか」

「ないよ。なんだって小説なんだ。漫画の方が好きなんだけど」

「漫画も悪くないが、小説の方がもっといい」

「それはなんのために、あんたの気に入るためにか? それなら追いかけてる漫画の新刊を買って帰るよ」

「いいや、そうじゃない。私は休日に誰が何時に起きようが、映画を観なかろうが、漫画を読もうが構わない。だがこれはおまえのために言ってるんだ。私と出会った以上、おまえは早起きして映画を観て小説を読まなければいけない」

 青年はため息をついて、従うことにした。他にしようがない。

「ああ、それじゃあだめだ。日本の作品ならミステリがいい」

「なんだって?」

「ミステリがいいんだ。ホラーはよくない」

 青年はため息をついて、ミステリ作品を一冊取って会計に向かった。


 後日。

 青年は布団を畳んだ。冷たい水での洗顔で寝起きよりは多少はっきりした頭で服を選ぶ。

「ああ、いけない」である。「そんな暗い色の服じゃあいけない。せっかくこの間買ったじゃないか」

「今日は授業があるんだよ。あんなふざけた色の服じゃあ、頭がおかしくなったと思われる」

「そんなことはない。いいから、この間買ったものの中から選ぶんだ」

 青年はパンを齧った。これまでは米を食っていたのに、が現れてからパンを食うようになった。

 歯磨きと派手な色の服への着替えを済ませて、青年はリュックサックを背負った。

「ああ、いけない」

「今度はなんだ」

「観葉植物に水をやらないといけない。まだ鉢が小さいから、すぐに土が乾いてしまう」

「代わりにやってくれてもいいんだぞ」

「それじゃあ君のためにならない」

 青年はの指図で育て始めた植物に水をやったあと、「ああ、小説を持っていかないといけない」と言われてリュックサックに先日買ったばかりの文庫本を入れて、やっと部屋を出た。


 パンと野菜を食う頻度がぐんと上がり、小説なんぞを読むようになり、映画を観るようになり、観葉植物なんぞを育て始めて、果てには派手な色の服を着るようになった。

 まったく自分はどうなってゆくのかとため息をついて席に着くと、青年に「おはよう」と声をかける者があった。ではない。これまで長い間、遠巻きに姿を眺めていたひとである。青年は顔が熱くなるのを感じながら「おはよう」と応えた。


 青年がパンと野菜を食うことのように、そのひとと話す機会もぐんと増えた。が「持っていくからには学校でも読まないといけない」と言うので時間を見つけて本を読んでいると、彼女が「なにを読んでるの?」と声をかけてきた。

「小説を」

 青年が答えると、彼女は「どんなのを読むの?」と言った。

「ミステリを……読むようになったよ」

 彼女は嬉しそうにした。「ミステリ! わたしも好きなの。誰をよく読むの?」



 冬の足音が近づいてきた頃、神を名乗る変な男は青年の部屋から消えた。

 代わりに、菓子をつまみながら読むミステリ小説が好きで、主食によくパンを食い、休日には早起きして映画を観るのだという女性が出入りするようになった。


 この部屋にくるのが何度目か、もうわからなくなった彼女と初めて間近に見つめ合いながら、青年はちょっと笑った。

 なるほど、あのの言うことは、確かにおれのためになった。

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