第5話

「何かしら、騒がしいわね」

「ほら見たことか。こういう酒場では、ああ言うタガの外れた酔っぱらいが多いんだぞ」

 二人は何の気なしに、騒がしい方へ視線を向けた。


「ワシを誰だと思っているのか!! シニスター男爵であるぞ! 平伏して敬うのが筋ではないか!」

「はあ?! ミニスターだかゴミスターだか知らねぇけど! 酔っぱらいのオッサンなんかこわくねーよ!」


「……」

「……」

 騒いでいる酔っぱらいを二度見して、ユスティナとウォルフは顔を見合わせた。

 たっぷりと肥え太った容貌の、あれは間違いなく昼間の貴族だ。

 酒に酔ったシニスター男爵は、店員や他の客にしつこく絡んでいるらしい。


 ユスティナは眉をひそめた。

「ウォルフ、あれは……」

「ああ、昼間の貴族だな。関わらない方がいい。どうせ酔いつぶれて店の外に投げ出されるのがおちだ」

 ウォルフはひらひらと手を振り、話を終わらせようとする。


「……でも……」

 彼女の正義感が疼き始めた。

 それに彼が荒れているのは、昼間の出来事が原因なのでは……などと罪悪感を感じてしまう。


 おりしもその時。

「黙れ黙れ黙れ!! こら、そこの女! さっさと酒を追加しないか!」

「きゃあ?!」

 シニスター男爵が乱暴に投げた空のコップが店員の顔に直撃する。

 瞬間、ユスティナは席を立った。


「あ、おい……!」

 ウォルフの制止を振り切って、ユスティナはシニスター男爵の前に立ちはだかった。

「シニスター男爵、その振る舞いはいかがなものでしょうか。紳士たるものの行いとは到底思えません」

 突然現れたユスティナを見て、シニスター男爵はぽかんと口を開ける。

 それから、かっと顔を赤くして机をダンと殴りつけた。


 酔いも手伝ったのだろう。怒りをあらわにして怒鳴り散らす。

「小娘の分際で、この私に説教などできるのか! 貴様のような失礼極まりない女が! そうだ、女だ! 女は黙って男に従っていれば良いのだ! 鬱陶しいことをするな!」


 しかし、ユスティナは臆しない。

「相手が誰であろうと、人として正しい行いをするのが貴族の勤めでしょう? あなたのその態度は、決して許されるものではありません。そもそも領主である辺境伯は、女性の社会進出にも積極的な政策をとっています。その教えを、一介の男爵であるあなたが否定するのですか?」


「は! 所詮は机上の空論だな。現に隣国では……」

「……?」

 シニスター男爵は何かを言おうとして、口をつぐんだ。


「いや、まあいい。小娘……覚えていろよ」

 そうして、興が冷めたとばかりに、酒場から出て行った。


「まったく。なんなのよ、もう」

 そう言いながらも、大事にならず良かったと思う。

 ユスティナは、周りの人々に向かって微笑みかけた。


「ご迷惑をおかけしました。さあ、楽しい時間をつづけてください!」

 騒がしい酔っぱらいに迷惑顔だった人々が、明るい笑顔を取り戻す。


「君は、いつもそうなのか? 一人で前に出過ぎるな。どんな危険があるか分からないだろう」

 そう言いながらも、ウォルフは、彼女の勇気と正義感に敬服していた。

 それはまさしく、正義を掲げるブラウンスベルク家の姿そのものだった。


「何とかなったからいいでしょ?」

 そっぽを向くユスティナ。当然だが、彼女はウォルフのお説教を聞き入れる気はなかった。自分の信条に沿って行動したことに、後悔はないのだから。


「……それにしても、父の政策を知っていたんだな」

 そんな態度を取られても、どこか嬉しそうにウォルフが口元をほころばせた。

 まだまだこの国では女性の地位は低い。だが実力主義者である辺境伯は、女性でも若くても、実力のある者は積極的に騎士団に登用している。トップがそうすることで、領地内でも男性女性にこだわらず、適材適所で役割分担をしていこうという風潮になっているのだ。

「それくらいは勉強したわよ。さすがにね」

 冷遇されていたとしても、嫁いできた領地のことは知りたかった。

 それもユスティナの本心だった。


(しかし、これで終わってくれればいいが……)

 ウォルフは、厳しい顔をして酒場の外を眺めた。


 さて、絡まれていた店員が、嬉しそうに礼を言う。

「ありがとうございます! 助かりました。あの貴族様は、暴れ出したらいつも困っていたんです」

「……警備兵を呼ばないのか?」

 この街には、朝晩関係なく巡回をする警備兵が居たはずだとウォルフが言った。


「いえ、警備兵さんなんて、……呼んでも来てくれるかどうか……」

「……どういうことだ?」

「最近少しおかしいんです。お金を積んだ貴族様を優遇する警備兵が増えて来て……。領主様は目を配ってくださってるんでしょうけど……」

 店員はウォルフの隊服を見て口をつぐんだ。

 その身なりから、おそらく騎士団の隊員だと思ったのだろうか。

 店員は曖昧に誤魔化して仕事に戻っていった。


「一体何かしらね?」

「さあな」


 何となく酒場で一晩過ごす空気でもなくなり、二人は宿を取った。

 とはいえ、予約もなく飛び込みだ。

 空き部屋は一つしかなく、色々押し問答はあったのだが、二人は一緒の部屋に案内された。


「じゃあベッドを使わせてもらうけど、本当に大丈夫なんでしょうね」

 ユスティナは念を押す。

「ああ、しっかり周囲に気を配っておこう。大丈夫だ、何か異変があればすぐに目を覚ますよう訓練されている」

 ウォルフが自信ありげに胸を反らした。


 ユスティナがベッドを使い、自分は床で良いと提案したのはウォルフだ。

 ここで仲の良い夫婦なら、いや恋人でも良いが、とにかく仲の良い二人だったら「一緒にベッドを使おう」となるのだが、ユスティナはとてもそんなことは言えなかった。

 ただ、何となく、同じベッドで眠っても、ウォルフはユスティナが嫌がることはしないだろうとは思ったけれど……。

 あまり話したことがない書類上の夫は、どうやら荒事には詳しいけれど、それ以外がからきしダメらしいと感じる。


 例えば、一緒の部屋に泊まることについて女性がどう思うとか……。

 例えば、真剣に心配されたら女性がどう感じるだとか……。


「違う、そうじゃなくて」

 ユスティナは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 何を言おうとしていたのか、自分でもよく分からなかった。

 ふわっと何らかの甘い感覚が湧いて来たことに驚き、口をつぐむ。


「君を危険にさらすことはない。安心して寝てくれ」

 ウォルフは真剣な表情で言った。

 どうやら、相手のことを意識して顔を赤くしているのは自分だけのようだ。


(私だけ気まずいって思ってる……。ああ、もう、何よこれ!)

 ……寝ようと思う。

 そもそもユスティナは城からこの街まで歩き通しで疲れているのだ。

 明日からのこともある。

 体力は回復しなければならない。


 というわけで、さっさと考えるのを放棄して、ユスティナはベッドに入った。

「そうよね。書類上の元夫婦なんてこんなもんでしょ」


 部屋の灯りが消える。

 ごそごそと毛布を手繰り寄せる音がして、しばらくすると規則正しい寝息がベッドから聞こえてきた。


 ウォルフは毛布にくるまって床に腰を下ろした。

 膝を抱え、人知れず顔を曇らせる。

「……まだ夫婦のままだ」

 彼の呟きは、誰の耳にも届かなかった。


 特に何事もなく、夜が更けていく。

 いくつかトラブルはあったが、ここはブラウンスベルク城にも近い街である。治安はそこまで悪くない。辺境伯の強さは、伊達ではないのだ。


 そして次の朝。

 いよいよ西のルートから旅に出る日だ。

 旅の支度は十分。

 服装もよし。携帯食料も買った。地図だって何度も見て確認した。

 これからどんな困難が待ち受けているのか、楽しみと言ったら嘘になる。

 ユスティナはこれからの旅を思い、期待に胸を膨らませて、颯爽と馬小屋に向かった。


 だが――。


「待っていたぞ、小娘! ワシに生意気な態度を取って、タダで済むと思ったか! どこの没落貴族か知らんが、目にもの見せてくれるわ!」

 出発の準備をしている馬車の前で、シニスター男爵が仁王立ちしていたのだ。

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