第4話

 そして衣装店を出た二人は、さっそく口論になった。

「何をしてるかって、もちろん、私を冷遇する嫁ぎ先から逃げて来たんですけど?」

 ユスティナは皮肉たっぷりに言った。

 ウォルフは「うっ」と言葉に詰まり、沈痛な表情になる。


「いや、それは……」

「逆に聞きますけど、ウォルフ小辺境伯様は、こんな場所で何をなさっているんですか? そんな騎士団の隊服まで着込んで!」


「これは、着替える暇がなくてだな、君を追いかけて馬を飛ばした……。いや、それより、君はいったいどこに行こうとしているのだ? 北部に向かうのなら、実家の馬車を呼ぶのでは?」

「別に。私がどこに行こうとあなたには関係ないじゃないですか!」


 ユスティナはそっぽを向いた。あれだけ派手にブラウンスベルク家を批判したのだから、何かしら妨害があるだろうとは思っていた。だがウォルフ自身が、これほど早く目の前に現れるのは予想外だ。

 これまで半年の間捨て置いた、書類上だけの妻のことなど放っておけばいいのにと、憎らしく思う。

 ウォルフは困った表情を浮かべた。


「……旅支度だと言っていたな。まさか、一人で旅の道を行くつもりか? そんな装備で? 危険すぎる」


 しっかりと衣装店での買い物の様子を見られていたらしい。

 だが、自分なりに装備を整えたユスティナとしては、実に心外な言葉だった。

 ユスティナはウォルフの言葉に反抗するようにむっと眉をひそめる。


「私、帯剣しています。少しは戦えるので」

「帯剣だと……? まさか、その、ナイフのような刃の……?」


 ウォルフがユスティナの腰に差された小さな剣に目を留めた。

 そして、よろよろと後ずさる。まるで理解できないといった仕草だった。

 一体何をそんなに驚いているのか。ユスティナは、自分専用の小剣の柄に手を伸ばす。


「私のサイズに合った小剣ですけど?」

「いや、それは……、そんなすぐに折れそうな刃物……。ただのアクセサリーじゃないか」

 ウォルフは、心底呆れたようにため息を吐く。


「大剣をぶん回すような騎士基準で語らないでくれます?!」

 思わず声を荒らげて反論した。

 はっと気づき、ユスティナが周りを見回す。

 たしか、ここは街中の大通りのど真ん中だったはず。

 案の定、通行人たちがちらちらと二人のやり取りを見ている。


「ちょ、ちょっと。こっちに来て」

 さすがに、こんな真昼間の往来で言い争うわけにはいかない。

 二人は建物の陰に移動した。


「それで、小辺境伯であるウォルフ様は、いったい何の用事でこんなところにいらっしゃる?」

 ユスティナがじろりとウォルフを睨みつける。


「実は、父が君に謝りたいと言っているんだ」

「辺境伯が? 私に? 謝りたい?」

「ああ。今回のことは本当に申し訳なかったと、深く反省しているそうだ。その……君に指摘され、正しくないことをしてしまったことを理解したと。身一つで嫁に来た君を、冷遇すべきではなかった……」

 ウォルフはユスティナに辺境伯の様子を伝えた。ユスティナの指摘が相当こたえたようで、あんなに大好きだった訓練を休み、ふさぎ込んでしまったのだと。


「あの辺境伯が? 反省? 信じられないわね」

「だが、父は本気で反省しているようだ。もちろん、俺も……。いや、使用人含め、ブラウンスベルク家は今までの行いを反省し、君に謝罪したい」

「うーん……まあ、反省したいなら反省していればいいんじゃないですか? それとは別に、離婚はしていただきますけど」

 ユスティナはあっさりと言った。

「そ、そうか……」

 なぜか酷くショックを受けたような表情で、ウォルフが項垂れる。


「あー、はいはい。わかりました。これでいい? 私、急いでいるのでこれで失礼します」

 ユスティナは軽く返事をすると、さっさと立ち去ろうとした。

 なんといっても、旅の支度はまだ終わっていない。日持ちのする食料も買いたいし、次の街までの馬車を見つけるつもりだ。この街までは一日歩き続けてたどり着いたが、さすがにずっと徒歩というわけにはいかない。


「待ってくれ、ユスティナ」

「まだ何かあるんですか?」

「……戻って来てはくれないだろうか……」


 ウォルフの蚊の鳴くような声が、ユスティナの耳に届く。

 足を止め、ユスティナがゆっくりと振り返った。


「……今さら何をおっしゃっているんですか?」

 その声が、冷たく響く。


「今まで一度だって私の言う事に耳を傾けようとしなかったのに」

 ユスティナはウォルフの目を真っ直ぐに見つめる。

「今まで冷遇し続けたことが、一度の謝罪ですべてなかったことになるなんて、思わないでいただきたいですね」


 ユスティナの言葉は容赦ない。

 彼女は、これまでのウォルフの態度を決して許すつもりはなかった。

 ちょっと反撃されたくらいで、ここまでしおらしくなるのも納得がいかないことだったし、一体何をどう考えたら戻って来てくれなどと言えるのか。


「私を冷遇したということは、私を受け入れないということ。今さら戻れなどと、都合がよすぎるわ」

 ユスティナはウォルフに背を向ける。

 彼女の心は、すでにブラウンスベルク家から離れていた。取り付く島もないとはこのことだ。


「そもそも、私が気に入らないのなら離婚で良いのでは?」

 ユスティナの言葉は、ウォルフの胸に突き刺さる。

 彼は、ユスティナの冷たい視線から目を逸らすことができなかった。

「私はすでに城を出た身。これから先に進んでいきます」

 ユスティナは再び歩き出す。彼女の背中は、迷いがなく力強かった。

 ウォルフは、そんな彼女の姿を黙って見つめることしかできなかった。


 これ以上話し合う必要はないと判断し、ユスティナはさっさと次の店に向かう。

 とにかく、西に向かう馬車を見つけなければ。

 と、思っていたのだが……。


 まずは携帯用の食料品店にて。

 乾燥肉と乾燥果実、それから素焼きした種子を見比べる。

「獣肉を燻ったものは、いくつかあったほうがいいだろう。シンプルな味付けだが、数日しのぐにはちょうどいい。旅の途中で獣を狩ることができればいいのだが、初心者では処理の仕方を間違えるかもしれない。種子は栄養価が高く、手軽に口にできるのがおすすめだ。ああ、はちみつ漬けもあるがこれは好みで……」

 などと、ユスティナのすぐ横で講釈を垂れているのはウォルフである。

 さすが騎士団を率いて遠征を繰り返すだけあって、その知識は本物だ。

 思わず耳を傾けそうになり、ユスティナは、はっと我に返った。

「あのねえ。どうして買い物について来るの? もう言いたいことは言ったんだから、帰ったらいいじゃないですか」

「だが、君は旅をするには危なっかしい。ここはきちんと専門家の意見をだな」

「あー……。はいはい」

 と言いつつも、ウォルフの提案した携帯食をいくつか購入する。

 正直なところ、長旅に慣れていないユスティナにとって、ウォルフの意見は参考になった。


 そして、今は二人、街の酒場で睨み合っていた。

「君がこれほど無鉄砲な人だとは思わなかった」

「私はあなたがこんなにお節介なんて知らなかったわ」

 目の前には軽食と水が並んでいる。


「馬車が早朝に出るのはしかたない。だからと言って、酒場で一晩を明かそうなどと!」

 ウォルフは野菜と肉が挟まれたパンをかじりながら、ユスティナを見据えた。

 その行いを一から十まで非難しているような言い草だ。


「あら、だって。ここは夜通し営業してるって聞いたわ。それに馬車小屋からも近くて良いじゃない」

 水をちびちびと飲みながらユスティナがそっぽを向く。


 これも、エールを頼もうとしたらウォルフに激しく止められて、数分睨み合った末のものだ。18歳と言えば成人の歳、しかもユスティナはすでに結婚している身だ。当然、エールを飲んでも良いと思っていたのだが……。

 酒を飲んだらどうなるか、緊張感が足りない、若い娘だという危機感を持てだのなんだの。ウォルフは全く譲らなかった。注文に時間をかけると、当然店員にいい顔はされない。そのため、ユスティナはしかたなく水を注文した。


 水は水の味しかしない。

 コップをテーブルに置き、恨めしそうに揺れる水面を見た。

 ウォルフのお小言は続く。

「だからと言って、若い娘が一人でこんな場所で過ごしていいわけがないだろう。宿を取れ」

「だって、これからの旅費を考えたら節約するに越したことはないでしょ」

 得意気に胸を張るユスティナの姿を見て、ウォルフは今まで以上に大きなため息を吐いた。


「だから、君は――」


 と、ウォルフが口を開きかけたその時。

「うるさいぞ! ワシに命令をするなというに!」

「何言ってんだよ、オッサン!」

「はあ?! 無礼な輩が!」

 店の奥が騒がしくなった。

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