第6話
「うわ……。私の輝かしい旅立ちの朝が……」
ユスティナは心底嫌そうに顔をしかめる。
彼女について来たウォルフは、警備兵たちを見て眉をひそめた。本来、適切な捜査を行い慎重に判断をしなければならない兵たちが、男爵を守るように展開して武器を手にしている。
馬車小屋の店主は、怯えたように小屋に身を潜めているようだった。乗客もこれでは近づくことはできないだろう。
「警備兵よ! あれがワシに暴力を働いた小娘だ! 社交界でも見たことがないからな。ドレス一つ買えない、没落貴族に違いない!」
周囲の様子に構わず、男爵は得意気に叫んだ。ユスティナを没落貴族の娘と決めつけ、難癖をつけて痛めつけようとするつもりなのだと察せられる。
おそらく、昨日の腹いせだろう。
なんと器の小さい男だろうか。
ユスティナは呆れたように男爵を見返す。
一方、警備兵たちは、ユスティナとウォルフを訝しげに見た。
今のユスティナは旅の軽装だ。どう見ても、高貴な貴族の女性には見えない。
その隣に立つウォルフも、今は隊服ではなく動きやすい普段着に着替えていた。いつもはきっちりと後ろに撫でつけている髪型も、今日は自然にまかせて下ろしている。多少不釣り合いな大剣を背負っている程度で、辺境伯の令息とは感じられない風貌だ。
もっとも、最初にシニスター男爵を拘束した時は、ウォルフはきちんと隊服を身に纏っていたのだけれども……。
それを男爵が少しでも覚えていたならば、今こうして威張り散らしているはずはないのだが……。
「なるほど、あなたの申告通り、貴族風の男と女ですね」
警備兵の一人が言った。
男爵がしたり顔で頷く。
残念ながら、彼はウォルフの服装など覚えてはいなかったのだ。
もしチラリとでもウォルフの隊服に下がっている勲章の意味を考えたのなら、今こうして、勝利を確信したようなニヤついた笑みを浮かべてはいないのだろうけれども……。
ともあれ、彼が引きつれてきた警備兵の数は多い。
生意気な若造を懲らしめてやるには十分すぎる戦力だと、男爵は考えていた。
「そうだ。あやつらは、ワシの言うことを聞かなかったのだ。没落貴族の分際で、生意気にもワシに逆らったのだ!」
「ふむ。なるほどそれは由々しき事態ですな」
警備兵がもっともらしく頷く。
「普段あれだけ金を融通してやっているだろう。こういうときのための振る舞いだよ。さあ、小生意気なあいつらを捕らえて牢屋にぶち込め!」
「……見下げはてた屑ってことね」
ユスティナは冷ややかな視線を男爵、そして彼に付き従う警備兵に向けた。
彼女は男爵の卑劣なやり方に心底怒りを覚える。
それに、何やら聞き捨てならないことも口走ったようだ。
「金を融通って、つまり賄賂ってこと? 嫌だわ、この辺境伯領で、そういうことをする輩がいるなんて」
「ユスティナ。前に出るな。相手の数が多い」
ウォルフはユスティナを引き寄せて、背に庇うように立たせる。
そして、するりと大剣を抜き、大きく空に掲げた。
「聞け! 我が名はウォルフ・フォン・ブラウンスベルク! 正義を掲げるラウンスベルク騎士団を率いる者だ」
「……は?」
武器を構えていた警備兵。そしてシニスター男爵さえも、呆然と掲げられた大剣を見た。
その柄には、まさしくラウンスベル家の紋章が刻まれている。
「正しく民を守る兵が、取るべき姿勢を取れ!」
「はっ!」
ウォルフの号令と共に、警備兵たちが膝をつく。
シニスター男爵も、慌ててそれに倣った。
「シニスター男爵! 民を導く立場の貴族である貴様が! よりにもよって己の立場を利用し、女性を害し酒場で暴れ、そのうえこのような騒動を起こすとは何ごとだ! 金銭で警備兵を思う通りに動かすなど、言語道断」
「あ、いやこれは……」
堂々と裁きを言い渡すウォルフの姿を、ユスティナは、知らず知らずのうちに見つめていた。
「その行い、見過ごすわけにはいかない。自らの罪を詳らかにし、領主からの音沙汰を待て!」
「くっ……! いや、そんなはずはない。ラウンスベルク騎士団を率いる者? 辺境伯のご子息が、このような場所にいるはずがない! おおかた、かの御仁を名乗る偽物だろう!」
もはやこれまでと思っていたシニスター男爵は、そう叫んで立ちあがった。
「ええい、お前たち! さっさとその小僧を片づけてしまえ!」
「いや、しかし……」
「どちらにしろ、お前たちも咎められる! それよりも、ここにいるのは小僧と小娘のたった二人だ。不幸な事故にあって口をつぐんでもらった方が良いじゃないか!」
追い詰められた男爵が、警備兵たちに訴えかける。
その呆れた主張に、ユスティナは肩をすくめた。その道理が通るほど、ラウンスベルク家は甘くないと思うのだが……。
「そうだな……。このまま捕まったら俺たちはどうなる?! そうなる前に……死んでもらう……!」
一人の警備兵が、凄まじい形相で叫んだ。
彼の言葉に、他の警備兵たちも立ち上がる。
彼らは互いに顔を見合わせ、覚悟を決めたように頷き合った。
そして一斉に武器を構え、ユスティナとウォルフに襲いかかってきた。
ユスティナは、保身のために身勝手な理由で武器を取った警備兵たちの姿に憤りを感じる。
「……なんて卑怯な考えなの?!」
ユスティナは腰に差していた小剣を抜き、構えた。
警備兵用の剣は、安価ではあるものの持ちやすく頑丈だと聞いたことがある。それに相手は戦い慣れた兵士だ。数も多い。不安はあったが、悪事に手を染めた者に屈するのは嫌だった。
「ユスティナ、とどめを刺すことを考えるなよ。俺の動きにあわせろ」
ウォルフは、ユスティナを背に庇いながら短く指示を出す。
「……今はあなたに従うのが良さそうね」
すでに自分の小剣だけで切り抜ける場面ではないと思う。ユスティナは、ウォルフの言葉に素直に従うことにした。
彼の指示に従うのが最善だと肌で感じる。
「馬鹿どもめ」
自分たちに向かってくる警備兵を一瞥し、ウォルフが大剣を握りなおした。
「恥を知れ!」
そして、堂々とした叫びが響き渡る。
警備兵たちは、ウォルフの姿に怯みながらも、突進してきた。
しかしウォルフの剣術は、彼らの想像を遥かに超えるものだった。
大剣が唸りを上げ、警備兵たちの武器を次々となぎ払い吹き飛ばしていく。
まるで嵐のように警備兵たちの間を駆け抜け、ウォルフは、一人、また一人と無力化していった。
「そこ、次はこっち……! 簡単にやられてあげないんだから!」
ユスティナもまた、ひらりひらりと攻撃を躱し、軽やかに場を駆け抜けている。
指示通り、相手を倒すことではなく、ウォルフの邪魔をしないよう立ち回った。
武器を向けられたときは、たしかに少しの不安があったのだ。けれど今は、何も怖いことなどない。
自分でも不思議だが、書類上の夫のことを頼もしく感じていた。
「なんだ……。何だこの強さは……」
シニスター男爵は、目の前の光景に唖然としていた。
小生意気な小娘たちを懲らしめてやろうと警備兵を集めてきた。十分な数が居たはずだ。あっという間に、自分に許しを請うだろうとタカをくくっていたというのに……。
頼みの警備兵たちが、目の前で次々と倒れていく。
二人の圧倒的な強さに、男爵は恐怖を感じ始めていた。
彼は、自分がいかに危ない相手に喧嘩を売ってしまったかということを、今さらながらに思い知った。
「さあ、残ったのはお前だけだ。観念しろ」
ウォルフは、最後に残った男爵に大剣を向けた。
「ひ、ひいいいい?!」
シニスター男爵は、青ざめて白目をむく。そのまま地面に倒れ込み泡を吹いた。恐怖のあまり、失神してしまったようだ。剣で斬られてすらいなかったが、鬼気迫るウォルフの恐ろしさに耐えられなかったのだ。
たった数分の出来事だった。
ウォルフとユスティナは、シニスター男爵と警備兵を制圧した。
「隊長~~~~~~! ご無事ですか~~~~~~~?!」
遠くからウォルフを呼ぶ声が聞こえてくる。
見ると、ラウンスベルク騎士団の隊服を着た青年が数名走って来ていた。
「昨日のうちに速馬を走らせておいた」
「こういうところは、抜かりないのね」
戦いや荒事についてのウォルフの力は、認めざるを得ない。
ユスティナは、軽く片手をあげてウォルフを見た。
「……?」
「ほら、手を挙げて。私たち、結構いい感じだったよね」
ウォルフが促されるまま片手を挙げる。
その手を軽くたたき、ユスティナは満足そうに笑った。
勝利を讃える、小さな拍だった。
「そ……」
朝日に照らされる書類上の妻の、まるで陽だまりのような温かい笑顔。
ウォルフはその光景に、言葉を失った。
それは、これまで彼が見たことのないような、眩いばかりの輝きだった。
辺境伯を断罪した氷のように冷たい表情でもない。
自分と言い争う棘を含んだ不機嫌な表情でもない。
そこにはただ、春の息吹のような、生命力に満ち溢れた笑顔があった。
ウォルフの心臓は、まるで若い獣のように激しく鼓動し、ソワソワと落ち着かない気持ちになる。
けれど、その気持ちがどういったものなのか、彼にはまだ分からなかった。
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